Incident File|case4出られないのではない。出る方が不安なのだ
出られないのではない。
出る方が不安なのだ
壊れていると気づいたからといって、
人はすぐにそこを離れられるわけではない。
むしろ逆だ。
おかしいと見えてしまったあとほど、
足は止まる。
長くいた場所には、
息苦しさと一緒に慣れもある。
居心地がいいわけではない。
ただ、どう息をすればいいかを知っている。
どこで黙るか。
どこで合わせるか。
どこまでなら波風を立てずに済むか。
そういう作法だけは、体が先に覚えてしまう。
だから、壊れていると気づいても、
すぐには離れられない。
中にいれば、
ある程度の安心はある。
その代わり、自由は削られる。
外に出れば、自由は増える。
その代わり、選んだことの責任は自分に返ってくる。
どちらも、楽ではない。
だから止まる。
選びたくても選べない。
本当は、中か外かの二択だけではないはずだ。
それぞれの環境があり、
それぞれの人格があり、
それぞれの条件がある。
本来はそこに合わせて、
自分なりの形を少しずつ作っていくしかない。
使えるものは使えばいい。
使いたくないなら、その分は自分で引き受ければいい。
それでも、
見えない不安はとてつもなく深く見える。
慣れた不自由は
自由より安心に見えることがある。
苦しいのに残る。
息苦しいのに戻る。
古い空気に傷つけられたはずなのに、
今度はその空気を守る側に回ってしまう。
そこがいちばん厄介だと思う。
壊れた仕組みは、
上から押しつけられるだけで続くのではない。
中にいる人が、
それぞれの不安から少しずつ支えてしまうことで、
思った以上に長く延命する。
見えてしまった人ほど、
その奇妙さに気づく。
どうしてそこまでして残るのか。
どうして苦しい場所をかばうのか。
どうして外へ出る話になると、
急に現実的な顔をし始めるのか。
でも、見えてしまった人もまた、
簡単には外へ行けない。
出ても地獄。
出なくても地獄。
そう見えるから、人は止まる。
大抵そこで自分に言い訳をする。
そうやって、諦める事になる。

全部を一度に解決しようとしなくていい。
まずは、
自分で解消できるリスクだけを見る。
全部を守りにすることが依存になるのだとしたら、
一定の割合だけでも自由を取りにいく。
その分、危険は伴う。
でも、その分だけ自分を取り戻せることもある。
前みたいに信じることはできない。
けれど、外で生きる技術が十分にあるわけでもない。
古い空気を抜けたあとで、立ち止まる。
それは弱さというより、
長く慣らされてきた感覚の名残なのだと思う。
出られないのではない。
出る方が不安なのだ。
ただ、もう気づいてしまったのなら、
その不安ごと抱えたままでも、
自分で選ぶ練習を始めるしかない。
人生は長いようで短い。
その有限の時間をどう使うかを、
自分で決める時代には、
もう入っているのだと思う。
拒否するのではなく、使えるところだけ使う。
それだけでも、見える景色は変わるかもしれない。
