藩主より有名な家臣を量産した学校──松下村塾とは何だったのか?
幕末を調べていると、
不思議なことに気づきます。
薩摩藩。
島津斉彬。
土佐藩。
山内容堂。
越前藩。
松平春嶽。
会津藩。
松平容保。
水戸藩。
徳川斉昭。
どの藩も、
まず藩主の名前が出てきます。
ところが長州だけ違う。
高杉晋作。
桂小五郎。
久坂玄瑞。
伊藤博文。
山縣有朋。
井上馨。
名前は次々出てくるのに、
藩主の名前はあまり出てきません。
なぜでしょう。
■ 長州だけ何かが違う
もちろん長州にも藩主はいました。
毛利敬親です。
しかし、
彼の有名な逸話といえば、
「そうせい」
です。
家臣から相談されるたびに、
「そうせい」
今風に言うなら、
「社長、どうしましょう?」
「君たちで考えて」
です。
普通の会社なら大混乱です。
しかし長州では、
なぜか組織が回ってしまった。
むしろ、
どんどん人材が育っていった。
■ 松下村塾という不思議な学校
その中心にあったのが、
松下村塾です。
といっても、
大きな学校ではありません。
立派な校舎もありません。
豪華な設備もありません。
むしろ、
農作業もしながら学ぶような、
小さな私塾でした。
しかし、
ここには大きな特徴がありました。
身分を問わない。
年齢を問わない。
理解度に応じて教える。
そして、
ひたすら考えさせる。
現代の学校に近い部分すらあります。
■ 問題児が多い
ところが、
そこから出てくる人材が濃すぎる。
高杉晋作。
船酔いするのに海軍を作る。
桂小五郎。
危なくなるとだいたい逃げる。
久坂玄瑞。
突撃が好きすぎる。
伊藤博文。
気づいたら初代総理大臣になる。
山縣有朋。
気づいたら人事権を握っている。
井上馨。
宴会と外交を同時にやる。
冷静に考えると、
かなりクセが強い。
しかし、
彼らはみな松下村塾につながっています。
■ 人材工場だったのかもしれない
松下村塾は、
単なる学校ではなかったのかもしれません。
長州藩にとっての
人材供給工場。
現代風に言えば、
ベンチャー企業の創業メンバー養成所。
そんな存在だったようにも見えます。
藩主が指示を出す。
家臣が従う。
そんな組織ではありませんでした。
若者が考える。
動く。
失敗する。
また動く。
その繰り返しの中から、
後の日本を動かす人材が生まれていったのです。
■ 長州の本当の強さ
長州藩の強さは、
藩主にあったわけではありません。
特定の英雄にあったわけでもありません。
次々と人材が出てくる仕組み。
それこそが、
長州の最大の資産だったのかもしれません。
幕末の長州を見ていると、
ふと思います。
松陰先生は、
何を教えていたのでしょう。
いや。
もっと正確に言いましょう。
松陰先生。
いったいどんな人材を育ててしまったんですか?
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