“或るもの”事件簿〜アオハル編
平成初期の高校生兼下宿生。
風呂無し、共同便所、女人禁制の下(もと)、一人暮らしの気儘さを謳歌していた。まさに、“我が世の春”である。所詮、親の庇護に甘え切っているだけだってのにねぇ。よくもまぁ、このスネカジリは…。
克己心の欠片もなく、リミッターの効きが頗る悪い青年が、いざ実家からぶっ放された環境下で暮らすと、まず碌な事をおっ始めた験(ため)しがない。そればかりか、その結果を省みる訳もない。
〜中断・躊躇〜
…と、思いつきで、若き日の下宿時代の備忘でも何か記してみよう…と、手元の備忘録を捲り、差し当たりと書き始めてはみたものの、これ以上は、やはり、やめておこうと思う。
この先、とてもではないが、この場での公開を憚られ…、いや、人道上憚られる話が多すぎる。やる事なす事、今振り返るに、殆ど犯罪に近いし。
やはり、この青年の数々やらかした与太話はとっとと切り上げて、墓場まで持って行こうか…。べつに書かんでも余生に支障をきたすモンでもあるまいし。
…いや、枕もどきを延々と書いた手前もあるし、何よりもウチの墓だって、悪行三昧の限りを尽くした先祖代々が、やはり数々の不始末を隠蔽し倒してきた挙句の果てに、最早、決壊寸前なのである。現に彼岸に墓参りへ行ったとき、墓石にヒビ入っているのを見つけたし。
これでも現在は、墓守の立場である。取り急ぎ、手元にあるアロンアルファで塞いで誤魔化し、当座を凌ごうか…。
…いやいや、子孫である私自身も、いずれは入るのである。自身の隠蔽でダメを押したが為に、遂にぶっ壊れてもねぇ…。余生に支障がなくとも、墓に入る段になってから大支障を来たすのも調子悪い…。背に腹はかえられぬか…。
…ならば、“公序良俗に反しない程度の話”を一つだけ持ってきて、懺悔録のつもりで書き置きし、“外”へと葬り去ろうか。そうすれば、その分だけウチの狭い墓にも若干の余裕ができ、決壊までの時間は稼げるだろうし。
だって、新しい墓石って、高いんだもん。
そう、唯の一つだけ。
二度とはやらん。
〜おことわり〜
さて、これより書き進めるにあたり、タイトルに記した“或るもの”の内訳を話さなければなるまい。
“或るもの”。要は、エロ本である。
これより、上記の内訳及びここに至る迄の文章を御読みになり、大概に御気分を害された方、御怒りの方、黙殺を決め込まれた方、御食事中・御喫茶中の方、手術直後の御療養中の方、電車・バス等の公共交通機関にて御移動中の方、その他不都合等の御座います方などがいらっしゃれば、この先更に精神衛生上有害となる虞が御座いますので、くれぐれも御読みにならぬ様、勝手ながら御断り申し上げます。
…と、一応、身勝手且つ慇懃無礼承知な断り書きを入れておき、本題の枕へと入ってゆく。「公序良俗…云々」の件が、早くも揺らいできた気もするが…。
〜再開〜
金曜日の夕方。
週末、食事が出ない決まりだった為、銭湯帰りに週末分の食糧調達をするべく、近所のコンビニへ。その“ついで”に、エロ本も買う。そう、ついでに。
翌朝分の弁当は、大事な食事という生命線。天からの授かり物。
コーラとガラナドリンクは嗜好品。背伸びした晩酌の真似事。ちょいとした“大人への憧れ”である。夜食も付けよう。
エロ本は…、ま、そういうモノだ。これほど使用目的が明朗な“実用品”も、他に無かろう。購入にあたり、酒・煙草の様に年齢制限に引っ掛かる物ではなく、免許制でもない。
食糧類と“実用品”を携えて部屋に帰り、宿題を早々にうっちゃらかし、夜食を肴にコーラで一杯呑みしつつ、実家から持ってきた色調が怪しい骨董品級の14型テレビで、『11PM』だったか『EXテレビ』だったかを観、徹底的に夜更かしするのが金曜日の“週課”であった。
夜中の12時。薄紙の日捲りを一枚捲る。土曜日の青が清々しく、その下に日曜日の赤もうっすらと透け見える。
日曜日より何故か土曜日の方が嬉しく、心躍る。決して休みではない、“半ドン”であるにもかかわらずだ。
午後からの時間はたっぷりある。午前中さえ適当にサクッと乗り切れば良い。
こちとら、明日の夜中は“操業”に忙しいのだ。
土曜日の朝、授業中に惰眠を貪り、“調整”。
昼から夕方、街中にて友人達とボウリングで遊び倒し、“起動”。
夜、晩酌もどきのコーラをガラナドリンクに切り替え、“燃料投下”。
夜中から日曜未明、エロ本のグラビアアイドルと対峙し、“深夜電力自家発電所稼働”と相成る。発電中にもかかわらず、何故か部屋の電気は、限りなく暗め。
〜またもや中断・賢者タイム〜
…と、もう、少なくとも脳味噌の96.2%は“怠惰”、“遊び呆け”、“いい振りコキ”、“スケベ”、“ヒワイ”、“エロ”…などなど、数多の煩悩に冒された、実に“おめでたくもはんかくさい”青年である。何らかの拍子に両親が彼の実態を知った日には、さぞやさんざっぱら嘆き悲しむこと請け合いだ。
現在の当の本人ですらも此処まで書きつつ、「酷ぇな。このワラシ(北海道弁で“こども”の意)ゃあ…」と、頭を抱えている。
何なんざんしょ、この“バカムス…息子”は。我が事の備忘録ながら、呆れ果ててきた。 掻き…書き手もいい加減飽き飽きし、疲労も“タマ…溜まる”一方。人様に読んで戴くものか、コレ? ヌキ…抜き差しならぬ話となってきた。やっぱ、やめるか?
いや、せっかく此処まで来たのだから、些かの軌道修正を図りつつ、葬りに行こうか。無駄にサオ…先は長いが…。
なお、余分な情報だが、ここまでの要らぬ迷いと気疲れ、元来のド遅筆も相まって、此処へ書き着くまで1週間、文章全体を書き上げるまでに、更にそこから2週間掛かっている。
碌でもない人間が、ヘタに暇を持て余すと、本当に碌な…いや、ロクでもない七顛八倒の本題へ続く…。
〜ようやくエロ…本題〜
…さて、予てから、毎週足繁くエロ本を買いに通っているコンビニの入り口に、急募の店員アルバイトの張り紙が貼ってあったのだが、今週末、それが剥がされていた。
どうやら、新しい店員氏が見つかったらしい。
…この件が、私の“死活問題”に関わる話になろうとは、この時点に於いて、知る由もなかった。
先週までレジに立っていたのは、定年退職後の、やや耳の遠い好々爺然とした店員氏であった。かつては、隣の高校の教諭として教鞭を執って居られたという。
毎週こちらが差し出す数々のエロ本。
店員氏は、“おでんの蒟蒻”、“蚊取り線香”などの、ごくノーマルな商品と同様、特に私の購入したエロ本に無関心な手付きで、茶色の紙袋に放り込んでいく。
元高校教諭と現役高校生という立場を超えた、何処か男同士の“黙契”の様な清々しさを感じていた。
ところが。
その日、レジに立っていた店員氏は、同年代の女子高生と思しき女性。
はっきりと姿は見えないが、清楚そうな印象である。
彼女の死角近くに居た私は事情を知らず、既にエロ本を籠に入れてしまって、レジへ向かっている。
お?ちよっと待て。これから、コレを彼女に差し出すのか?
とてもではないが、度胸はない。
レジへの歩みに急制動を掛け、脳味噌の理性分の残量、3.8%をフル稼働させる。頭から湯気が噴き出す感覚を覚える…って、オレは、汽車ポッポか?
(棚にもどすか?)
(いや、この時点では、不自然だべ)
(いやいや、一か八か、カモフラージュ作戦を執ろう。懐が痛むが…)
パニックにでも陥っていたのだろう。棚から読めもしない『家庭の医学』を掴み、風呂と便所の無い部屋に住んでいる身でありながら『登別カルルス温泉の素』、『トイレブラシ』を抱える…。
要は、エロ本によるダメージ緩和を試みた、“物量作戦”に打って出た。

(オレは医学に親い、向学心溢れる幼気な風呂好き青年。趣味は便器磨きで綺麗好き…、云々カンヌン…)
…と、体裁を取り繕い、レジへいざ行かん。もう、カモフラージュと言うよりは、殆ど“罰符払い”の世界である。
「いらっしゃいませ…。あっ、マリノスケくん?」
「えっ…?ユリカちゃん?な、何でここに…?」
掻い摘んで説明すると、ユリカちゃんとは、元教諭の店員氏の孫娘であり、この度、療養で店員職を休んだ祖父と交代し、数日前からアルバイトを始めたとのこと。
私のクラスメイトで、可愛く優しい子。
青年マリノスケが、…少し気になっている子。
さして容積の無い脳内に、阿波踊りが響く。 エロい…えらいやっちゃ、ヨイヨイ…。
踊る阿呆?
否、只の阿呆である。
「えー?マリノスケくん、週末は、下宿の御手伝いするの?」
「そ、そうそう。ほれ、下宿の婆さん、いま、五十肩…、いや、七十肩…、あ、とっくに八十超えてたっけか…?家庭の医学読んで調べたぐらいにして…。婆さん、タライに湯ば張って、行水するべっつってるんで、温泉の素を土産に…。なんせ、痔も悪かったんでねがったっけか?湯さケツ入れで治しで…。婆さん、便器だか便座だかも磨けねぇとかなんとか言ってるモンでさー。あ、和式だから、便座はねーか?んで、だから、オレ、磨くのにブラシを…、はぁ…。婆さん…」
さすがは残量3.8%の脳味噌である。支離滅裂な言い訳に、遺憾無くその力量を発揮している。
自爆を悟った。
なお、下宿の婆さんの名誉の為に記しておくが、本人にはこれといった持病も故障も無く、酒もあおるし、煙草も吹かす。今朝も早よから大鍋で、輪切りにした大根をぐらぐら煮込んでいた。
グラビアアイドルの水着姿も、呆気なくユリカちゃんに見られた。これに関しては、最早、婆さんをダシに使えない。いや、すでにダシ殻である。
ユリカちゃんが、私を見、照れながらクスッと笑っている。
万事休す。
「ねぇ、マリノスケくん。また来てね」
ユリカちゃんのいつも通りの可愛く優しい微笑み…。痛い…。痛すぎる。
いや、とてもとても。彼女の祖父が療養明けで復帰し、交代しない限り、とてもじゃないが、「また来てね」と言われても…、エロ本は買えない。
…待てよ。それどころか、もし…。
私は此処で、最悪の事態を想定し、恐れ慄いた。
…よもや、祖父から孫娘へと、疾っくの疾うにオレの話が伝わっていたとすれば…?
…いや、これは、決定的にまずい。
黙契…?オレの思い込み…?
真相はユリカちゃんに聞いて…、いや、聞けない…。聞いてはならぬ…。
詰んだ。
あぁ、穴があったら入れ…り…、いや、“あったら”どころか、自ら恐ろしい程の大墓穴を掘り倒したではないか。一遍、思う存分入って来い。
春まだ浅い2月の風は冷たい。私の懐も自尊心も、下宿の共同便所の薄ら小汚い割れたタイルほどに冷え切っていた。
“発電所”も、最早、燃料切れ。あえなく“操業停止”に追い込まれたのは、此処に書き記すまでもない。
さらば。我が世の春。
月曜日、“針の筵”確定だわ、こりゃあ…。
せめて、日捲りの当面分の数字だけでも、青く塗り替えようか…。
〜後記・6年後の新千歳空港にて〜
事件から6年後の、3月某日。
高校入学〜大学卒業までの7年間の長きに渡り住み続けた下宿を引き払い、東京へと旅立つこととなった。
都内へ更なる進学を決めた為である。
頑丈なる下宿の婆さんが好き好んで作り続けた大根の煮物も、一生分食べた。
が、今現在も冬になるとそれを思い出し、見様見真似で作り、妻に振る舞っている。頗る好評だ。
あと…。
ユリカちゃんはというと、2年前に短大を卒業。その1年後の昨年春、誰かと“ウエディング・ベル”。同時に、旭川へと引っ越していった。
今夏には、“ちいさな家族”が、増えるそうだ。
これで…、うん、これでいいのだ。
…ふと、いつしか焦がれていた頃を思い出し、喉の奥が締め付けられ、鼻の奥がツンとする。
「ふうっ…」と、息を一つ吐き、新千歳空港の展望デッキに立ち、空を見上げた。
悲しいほど青い空の下。青い翼のB767型機が、頭の上を旋回し、やがて、南方へと機首を向けて遠去かってゆく。それを見送ってから、搭乗口へと向かった。
歯を食い縛って、口元を一文字に結ぶ。右の目から一粒、涙が頬へと伝って流れ、それを春先の埃っぽい風が攫って行く。
なんだろう…。まぁ、新手の風邪でも引いた…、ことにでもしておこうか。
搭乗口へと入る。
今後、北海道に帰郷できる保証はない。
だから、“忘れもの”をしてゆこう。
“我が世の春”第二幕は、既に始まっているのかもしれない。
私の乗り込む、赤い翼を広げたB747型機。
新千歳空港を後に、緩々と機首を上げ、羽田空港へと飛び立った。

皆様、佳き春を御迎えください。
