見出し画像

Saturday in the park

 『札幌コンサートホールKitara』での公演を観終え、妻と夕暮れ時の中島公園を散歩する。

 明日……いや、日付が変わって今日から『北海道神宮例祭(札幌まつり)』が始まる。
 公園内では既に出店の準備が整っていた。

*


 菖蒲池の畔を歩くと、ボートを漕ぐカップルがちらほらと目に付く。
 藤棚の新緑が揺れ、その向こうには『豊平館』の優美な姿が見える。

 「オレさぁ、ここのボートから落ちたことあるのさ……」
 池を指差し、隣を歩く妻に語りかける。

 「マリノスケちゃん、ここを通る度に毎回同じこと言ってるわよ」
 妻は呆れ顔を見せながらも、私の話に穏やかに耳を傾けてくれる。

 高校生の頃だ。
 デート中、見栄を張ってボートを漕ぎ、バランスを崩して転覆させた。

 焦燥のあまり細部は判然としない。何らかの追加料金を払った気もするし、薄汚れたバスタオルを借りた気もする。洗濯や着替えをどうしたのか、記憶は欠落している。

 鮮明なのは、彼女からビンタを喰らったことと、二度と次のデートがなかったことの二点のみだ。


 そんな苦い記憶の現場を通り過ぎ、『札幌パークホテル』へ立ち寄る。明日の朝食用にパンを買う為だ。

*


 振り返れば、人生の節目の“舞台”として、私は必ずと言ってよいほどこの藍色タイルの下にいた。


 大学の謝恩会は、ここの宴会場だった。二次会のススキノで、大して飲めない酒を飲み明かし、その翌々日に東京へと旅立った。

 院生時代、東京と北海道の遠距離恋愛の最中に訪れた『ピアレ』と『パーククラブ』。別れを予感した逢瀬の中、彼女の瞳には夜明けの札幌の街が映っていた。

 東京での会社員時代、道内の要人を接待した『桃源郷』。その人物から得た教訓は、後の人生の糧となった。

 そして年月を経て帰郷し、札幌で妻となる人と出会い、このホテルのチャペルで結婚式を挙げた。


 ホテルは常に静謐を湛え、色褪せつつある藍色の壁で、凛としてそこに在った。



 時は流れ、周囲には次世代のハイクラスを標榜する大規模ホテルが次々と立ち上がっている。

 2027年2月、札幌パークホテルは60余年の歴史に幕を下ろす。


 肯定も否定もしない。
 ノスタルジーに浸り過ぎるつもりもない。
 跡形など残さなくていい。
 ただ、記憶だけは留めておく。
 生を受けた頃からそこに在り、自身の半生を刻んだ“聖地”として。

 この場所で迎える夏も、あと僅かである。

いいなと思ったら応援しよう!