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離婚までの心理プロセスと、大切な学び

今振り返ると、私は昔から、一度で何もかもうまくやれるタイプではなかった。遠回りもするし、失敗もする。でもそのたびに、自分のことを少しずつ知ってきた。24歳で焦って結婚し、その結婚がうまくいかず、離婚に向かうことになった過程も、苦しかったけれど、どこかとても自分らしい回り道だったように思う。
これは、離婚まで至った心理プロセスの話であると同時に、私が自分の人生を丸ごと愛せるようになるまでの話でもある。そして、傷ついてもなお誰かを深く愛せる自分のことを、少し誇らしく思えるようになるまでの話でもある。

1. 「結婚したい」と「この人と生きたい」の違い

私は長い間、「結婚していること」そのものに安心しようとしていたのだと思う。結婚さえすれば、人生の大きな宿題を一つ終えたような気がしていたし、社会的にも、女性としても、どこか“ちゃんとしている側”にいられる気がしていた。でも今振り返ると、あの頃の私は、「この人と生きていきたい」という気持ち以上に、「結婚したい」という願望そのものに強く引っ張られていた。そして私はせっかちなので、結婚ラッシュの第1波である24歳以前に完璧な結婚すると決めていた。

夫と出会ったのは留学先だった。当時の私にとって彼は、かなり“条件のいい人”に見えた。海外育ちで、実家も裕福で、地頭もいい。顔立ちも整っていて、この人との子どもはきっと可愛いだろうな、とまで思っていた。そして何より、当時の私には、彼が私をとても大切にしてくれているように見えた。
今ならわかるけれど、あの頃の私は、相手そのものを見ているようでいて、かなり「この人とならどんな家庭が作れるか」を見ていたのだと思う。美男美女で、優秀で、お金にも困らない、いわゆる“完璧な家庭”。私は彼自身を愛することと、彼と一緒に理想の人生を実現したいと思うことを、あまり区別できていなかった。

もちろん、当時の私は本気だった。ただ、その本気はかなり危うかった。結婚への憧れが強すぎて、違和感があっても見ないふりをしていたからだ。今思えば、あの頃すでに小さな引っかかりはあっても、「この結婚を手に入れたい」という気持ちを優先していた。

そして厄介なのは、モラハラのようなものは、その渦中にいるとすぐには気づけないことだと思う。相手に大切にされていると思っていたことが、あとから振り返ると違って見えることもある。実際、私も鬱になるまで、自分がどれだけ抑圧されているのか分からなかった。だから当時の私は、本気で「この人は私を大切にしてくれている」と思っていた。

離婚までの心理プロセスを書くなら、私はまず自分の当初の未熟さに正直でいなければならない。

2. 結婚してから適応障害になった

結婚すれば、小さな違和感はそのうち馴染んでいくと思っていたし、私も既婚者という社会的地位により自信を持ち、違和感に寛大になれると思っていた。けれど実際は逆だった。結婚してからの私は、安心するどころか、少しずつ苦しくなっていった。

最初は、その苦しさをうまく言葉にできなかった。ただ、自分の感覚に自信が持てなくなっていった。嫌だと思っても、私の受け取り方が悪いのかもしれない、私が未熟なだけかもしれない、と考えるようになっていた。そうやって私は、自分の違和感より相手の理屈を優先するようになっていった。

夫婦としての親密さも、私が思い描いていたものとは違った。外から見れば結婚していて仲良しの新婚夫婦なのに、内側では満たされない。そのズレが、静かに私を消耗させた。彼の八方美人的なところや異性との距離感に傷つくこともあったが、当時の私はそれすら「私が気にしすぎなのかもしれない」と飲み込んでいた。そしてセックスレスにも絶望した。愛に満たされた結婚生活は一生できない運命なのだと、、、。

結婚してから適応障害になったときも、最初は自分が弱いのだと思っていた。でもカウンセリングに通う中で、私はようやく、自分が思っていた以上に抑圧されていたのかもしれないと気づき始めた。

モラハラのようなものは、渦中にいるとすぐには分からない。実際、その頃の私は、彼は私を大切にしてくれていると思っていた。
でも現実には、私は少しずつ元気を失い、自分が何を感じているのかさえ分からなくなっていった。今振り返ると、あの結婚生活でいちばん苦しかったのは、夫とうまくいかなかったこと以上に、その中で自分らしさが消えていったことだったのだと思う。

3. 自分を取り戻したプロセス

適応障害になった頃の私は、自分がどれだけ苦しいのかさえ、うまく言葉にできなかった。理由もわからないまま、ただ人生に絶望していた。眠れないのが何よりつらく、睡眠薬をオーバードーズしては、毎日のように精神科に通っていた。

今思うと、あの頃の私は、自分を見失っていたのだと思う。私は私としてではなく、「夫の妻」として見られていた。
駐在妻としてふさわしいかどうかを、日々ジャッジされていた。実際、週に4回ほどある日本人の集まりのたびに、夫から私の振る舞いについてフィードバックを受けていた。私にとって毎回の集まりは、気楽な交流の場ではなく、うまく振る舞えるかを試されるテストのような時間になっていった。

そんな中、ある日、ゴルフレッスンの先生に「大丈夫? 最近表情が暗いけど、ちゃんと寝れてる?」と声をかけられたことがある。その一言で、久しぶりに“誰かの妻”ではなく“私自身”として見てもらえた気がして、私はその場で号泣した。

そんな私を支えてくれたのが、両親と友人たちだった。久しぶりに日本へ帰ったとき、友人たちは弱っている私にたくさんの愛を注いでくれた。彼らは昔から、「良い妻である私」ではなく「ありのままの私」をこんなに愛してくれていて、そしてずっと、私が自分を大切にして幸せでいることをこんなに願ってくれているのだ、と何度も思い知らされた。

両親の住む実家には、幼い頃の私が描いた絵や、昔もらった賞状が飾られていた。その光景を見て、私は誰かの妻である前に、まず私自身なのだと思った。ここまで努力して生きてきたこと、素晴らしい友人たちに恵まれていること、両親とは確執があれどもしっかり愛されていること。そうした事実に触れるたびに、私は自分を大切にしようと思えた。

それから私は、毎月日本に一時帰国して心を休めた。そして本帰国し、就職して、自分でお金を稼ぎ、目標を達成しながらキャリアを積み上げていく楽しさを知った。家族や友人に日常的に会える生活も戻ってきた。そうして世界が広がるにつれて、夫だけが人生の中心ではなくなっていった。私はようやく、「この結婚を続けるべきか」ではなく、「私はどう生きたいのか」を考えられるようになっていった。

4. 「従順な妻」をやめたとき、結婚が揺らぎ始めた

自分を大切にしようと思えるようになってから、私は少しずつ変わっていった。以前のように、何かを言われてもただ飲み込むのではなく、「それは違う」と言い返すようになった。自分の気持ちを後回しにせず、嫌なことは嫌だと言おうとするようになった。
でも、それは結婚生活を穏やかにする方向には働かなかった。むしろ逆だった。

私が自分を守ろうとするほど、夫との衝突は増えていった。以前は私が我慢することで成り立っていたバランスが、もう成り立たなくなっていたのだと思う。

帰国して3、4か月ほど経つ頃には、喧嘩の絶えない日々になっていた。私は少しずつ、「この結婚を続けることが本当に幸せなのだろうか」と考えるようになっていた。以前の私は、結婚していること自体にしがみついていたけれど、この頃には、それ以上に、自分がすり減っていくことの方が怖くなっていた。

それでも、すぐに離婚を決められたわけではなかった。バツがつくことへの抵抗もあったし、子どもを持たない人生への不安もあった。世間体も気になっていた。

でも、帰国して5か月目の夏、また大きな喧嘩をしたとき、私ははっきりと感じた。離婚した方が幸せかもしれない、ではなく、離婚した方が幸せだ、と。その確信だけは、もうごまかせなかった。

5. 理想の家庭より、大切なものに気づいた

しかし、それでも尚、すぐに離婚を選べたわけではなかった。
私の中にはまだ、強い執着が残っていたのだ。バツがつくのも、子どもがいない人生も、怖かった。世間から見て“失敗した人”になりたくなかった。
会社の人たちに噂されることを一人で想像して、とても悲しい気持ちになった。苦しい結婚生活を続けることよりも、その先で自分が何者でもなくなることの方が、あの頃の私には恐ろしく感じられた。

私の中で、結婚がうまくいかないと認めることは、自分が信じてきた“正しい人生”そのものが崩れるようで、恐怖であった。

そんな中で出会った人がいた。その人は、今まで私が出会ってきた人たちとは少し違っていた。内面が深く、我慢強く、プライドが低かった。私はその人を通して、今まで自分がどれだけ見栄や条件や社会的な正しさに囚われて大切なものを守れていなかったのか、やっと知ったのだと思う。

彼と出会ったから離婚を決意した、というほど単純ではない。ただ、その人の存在を通して私は初めて、ステータスよりも、自分が心から安心できることの方が大切なのだと思えるようになった。理想の家庭を持つことより、自分の人生を自分らしく生きること、そして自分が心から愛する人と共に人生を歩むことの方が、ずっと大事だと理解した。

また、私はようやく、子どもを持つことについても正直に考えられるようになった。本当に私は今、子どもを育てられる精神状態なのか。本当に私は、自分のやりたいことを手放してまで、ひとつの家庭を守りたいのか。答えは、まだ違う、だった。
私はまだ、自分の人生をもっと生きたかった。海外にも行きたいし、仕事もしたいし、挑戦したいこともたくさんあった。そしてこんなに衝突の多い夫との子供は、欲しくない。
一人の人生を強制スタートさせ、全責任を持つ、ということが自分はまだできないのだ。

その頃から私は、世間的に正しい人生を守ることよりも、自分の幸せを裏切らないことの方が大切なのだと思い始めていた。
離婚は怖かった。でも、自分に嘘をついたまま生きる方が、もうずっと怖くなっていた。

6. 頭より先に、身体が夫を拒んだ

離婚した方が幸せだと頭では分かっていても、実際に人生を動かすのは怖かった。相手との思い出もあったし、感謝している部分もあった。結婚をお祝いしてくれた方々への罪悪感も大きかった。

でも、あるとき、夫に触れられた瞬間、私は鳥肌が立った。自分でもごまかしようがないほど、身体が拒絶していた。そのとき初めて、私はもうこの結婚には戻れないのだと思った。頭ではまだ迷っているつもりだったけれど、心と身体はとっくに限界を迎えていたのだと思う。

そしてその日、私は両親に「申し訳ございませんが、離婚させてください」とLINEを送った。結婚式では、両親に心からの感謝を伝えた。私たちが幸せに結婚生活を送ることが、両親にとっても喜びなのだと分かっていた。だからこそ、その期待を裏切ることが申し訳なくてたまらなかった。親戚や友人に対しても、同じような気持ちがあった。

両親は離婚に反対していてかなり揉めたが、一方で、多くの親戚や友人が、「申し訳なく思わなくていい」「あなたの幸せが一番」と言ってくれた。その言葉に、私は何度も救われた。
中には、冗談で「おかえり」と言ってくれた友人もいた。その言葉を聞いて、私は不思議なくらい安心した。ああ、私は失敗した人間になったのではなく、やっと昔の自分に戻ってきたのかもしれない、と。きっとみんな、私がずっと無理をしていたことに気づいていたのだと思う。そんな人たちに迎え入れてもらいながら、私は心の中で静かに「ただいま」と思っていた

あの頃の私は、離婚を決めたというより、もう自分に嘘をつけなくなっていたのだと思う。世間体や理想の家庭以上に、自分の心と身体が発している限界のサインを、もう無視できなかった。あの日は、自分の人生に対してもう一度誠実になろうと決めた日だったのだ。

7. 離婚プロセス;地獄の現実と徹底抗戦

弁護士を雇うまで


離婚の意思が固まっても、現実はすぐには動かなかった。私はもう夫と暮らし続けることが難しかったし、新しい相手への罪悪感もあり、別居を始めた。

両親を交えて夫と話し合ったが、話はまとまらなかった。私は自分の意思として離婚したいと伝えていたが、先方は離婚を望んでおらず、私都合の離婚なのだから名誉毀損や引っ越し代など、さまざまなお金を補償するべきだと言ってきた。

私は、では具体的にいくら必要なのか、離婚にあたって必要な条件は何なのか、整理してほしいと伝えた。けれど返ってきたのは、「わかったが、俺は急かされる立場ではないので、いつまでというのは約束できない。俺も忙しいから」という言葉だった。そのやり取りの中で、私はもう当事者同士で誠実に着地させるのは難しいのだと感じた。

弁護士に相談すると、相手が言うような費用を私が払う義理はないと言われた。むしろ収入差を踏まえれば、婚姻費用分担請求という形で先方が私に支払うべきである、という事実を知った。その言葉で、私はようやく、自分が一方的に責められる立場ではないのだと理解した。

モラハラへの徹底抗戦を決意

弁護士に相談する前の私は、相手の言うことに飲まれかけていた。私都合の離婚なのだから、いろいろ補償すべきなのかもしれない、と。でも今振り返ると、あれも私を言いくるめ、罪悪感の中に閉じ込めようとする先方の作戦の一部だったのだと思う。
さらに相手は、モラハラ特有の口の巧さにより、私の周囲の人間関係にも介入してきた。不倫を疑うような前提で第三者に接触したり、第三者を通じて私に誘導するような問いかけをしてきたりもした。
それにより先輩夫婦が離婚危機に陥ったこともある。事実無根である以上に、そうやって人を巻き込みながら認識を揺さぶってくること自体が恐ろしかった。
両親まで彼に洗脳され、親子関係まで壊されかけたとき、私は人間のいちばん醜い部分を見た気がした。

いちばん悲しかったのは、「こんな人と結婚していたのか」と知ってしまったことだった。だから私はもう、性悪説を信じ、自分と愛する人たちを守るために戦うと決めた

親友の紹介で、最強弁護士と契約することができ、その後、実際に調停の中で相手も「離婚を申し出る準備をする」と発言するようになったものの、未だにその動きは見られず、調停は決着の目処が立っていない
そこに至るまでの過程で、私の中に残っていた感謝や思い出は、少しずつ灰になっていった。離婚そのものよりも、そこに至るまでのやり取りの中で、人はこんなにも過去の記憶を書き換えられてしまうのだと知った。私は怖かったし、傷ついたし、もう最後まで徹底的に戦うしかないと思っている。

今一番苦しいこと

さらに苦しいのは、新しく出会った人のへの罪悪感である。その人のことを大切に思うほど、進展が遅い自分の状況に罪悪感が募る。身動きが取れず、結果的に彼にも自分にも誠実でいられていないような感覚で日々心を痛めている。そして、夫が彼を攻撃するのではないかと、毎日不安に苛まれている。

8. まとめと感謝

今振り返ると、私は昔から、一度で何もかもうまくやれるタイプではなかった。遠回りもするし、失敗もする。でもそのたびに、自分のことを少しずつ知ってきた。だから、24歳で焦って結婚し、その結婚に失敗し、そこから新しい学びを得たことも、苦しかったけれど、どこか自分らしい出来事だったように思う。

あの経験があったからこそ、私はようやく、世間的に正しい人生より、自分が心から幸せでいられる人生の方が大切だと思えるようになった。離婚を決断するのは怖かった。でも最後に、自分に嘘をつかず、自分の幸せのために人生を動かした自分のことを、今の私は誇らしく思っている

そして私は、傷つくかもしれないのに、それでもなお誰かを深く愛せる自分のことも誇らしいと思う。結婚がうまくいかなかったからといって、人を愛する力まで失わずにいられたこと。それは私の弱さではなく、私の強さだと思う。

ある人との出会いを通して、私は自分の欠点も、弱さも、回り道も含めて、人生を丸ごと受け入れていいのだと思えるようになった。今後どうなるかは分からないが、彼には既にもう感謝しかない彼と出会ったことで、私は自分の人生を取り戻し、自分自身を前よりずっと愛せるようになったからだ。

失敗した経験も、壊れた理想も、全部今の私につながっている。だから私は、遠回りも失敗も含めて、これからも自分の人生を愛する。そして誰かを深く愛せる心を、大切にして生きていく。

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