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不幸と感じている人への処方箋

1つ前の記事において、カントが幸福論における解決策を示したことを記しました。
さて、今回はカントがいかにして解決したかをお話します。
まず、カントはなぜ、大多数の人が幸せになれないか、そして、人生において迷いが生じてしまうのか、その理由を暴きます。
『したがって経験的な普遍性というものは、せいぜい多くの場合に妥当するにすぎないものを、すべての場合に妥当するものであるかのように、恣意的に妥当性の水準を高めたものにほかならない。』(カント『純粋理性批判1』P21)

例えば多くの人が良い大学を出て大企業に入ることが幸福への道だと考えているとします。
しかし、
この「多数者がこう考えている」=「普遍的な原則」だということにはならないのだとカントはいいます。
なぜなら、良い大学を出ることも、大企業に入ることも経験的なものだからであって、大企業に入ったからと言って、幸せになれるという保証はないからです。
つまり、カントが言いたいのは経験からは確実なものは何も導き出せないのだと。いくら、色んな人の経験を集めたとところで、普遍性及び必然性には決してならないのです。

だから、他人の経験を元に行動するすると、心の迷いが生じ、心の迷いによって不幸に感じ、行動が不規則になってまた、新しい不幸を招き、そして、心の迷いが生じるという負の連鎖に陥るのです。

韓非子という古代中国の思想家がこんなことを言ってます。
『人は欲があれば思慮が乱れる。思慮が乱れれば欲が深くなる。欲が深ければ邪心が勝つ。邪心が勝てば筋道が絶える。筋道が絶えれば災難がおこる。これで見ると、災難は邪心から生ずる、邪心は人の欲しがる物に誘われておこる。人の欲しがる物は、甚だしい場合は良民に悪事を働かせ、それほどでなくとも善人に禍いを及ぼす。』(『韓非子 全現代語訳 本田済訳」 講談社学術文庫 P176』)
カントはこの欲心を「心の傾き」と呼びました。傾きということから分かる通り、欲心は常に傾いてる状態なわけで、欲心に従う通りにしている限り、心の安定など存在する訳がないのです。
そこで、カントはアプリオリな道徳法則に従うことを提唱するのです。アプリオリとは先験的なという意味合いで、「経験なしでも明白に確実に帰結する」ということを意味します。
そんなものが存在するのかということをカント自身がひたすらに探究したのが『純粋理性批判』に続く作品である『実践理性批判』です。
そこで彼はこう言います。
『規則が客観的で普遍的に妥当するためには、それぞれの理性的な存在者ごとに異なるような偶然的で、主観的な条件と関係なく妥当することが必要だからである。』(カント『実践理性批判』P58)
世間が言うようなこうすれば幸福になるというような最もらしい助言に惑わされるのは止めろということです。
例えば、公務員になれば幸せだとか、年収を増やせば幸せだとかというのは、たかだか、経験から成り立つ妥当性に過ぎないのですから、普遍性、確実性が全く無い。先程カントが言ったように妥当性をかき集めても妥当性の水準が上がるだけで確実性になり得ない。
つまり、妥当性は確実性を生まないのです。
確実性が無いものを指標にすればそりゃあ、
迷うでしょうし、苦しいのは当たり前です。
そこでカントはこう言います。
『あなたの意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ』と。
は?と思う方もいると思いますので説明すると、

「誰かほかの全員がやって困ることは自分もするんじゃねえ」ということです。(逆に言えば誰かにやって欲しいなと思ったことは自分もやりなさい。ということです。)

例えば、全員がポイ捨てをしてOKという世の中になったら街中は異臭を放ち、誰もが困る、少なくとも嫌な思いをする訳です。だから、そもそもあなたもポイ捨てしちゃダメだよね、絶対にしちゃダメだよとカントは言うんですね。これはそういう「ポイ捨て全員OK」の世の中になる前にも容易に理性から結論づけられるわけです。(この実現する前から理性から帰結できるものをアプリオリのものとカントは呼んでいるわけです。)
つまり、カントの幸福論は常に義務に基づいて行動せよというものです。
これはカントだけが唱えているものではありません。孔子、孟子と言われる儒教、それの流れを汲む陽明学、西郷隆盛、吉田松陰など名だたる歴史的人物達が直感で捉えていたものです。
西郷隆盛は
「人を相手にせず、天を相手にせよ。人を相手にせず、己を尽くして我が誠の足らざるを尋ねべし」 
と言いました。これはどういうことかというと、

「多数者の考えという極めて不安定かつ経験的なものを前提として行動するのではなく、道理(天)に基づいて行動せよ」ということです。

カントは西洋哲学のまさに頂点とも言える存在ですが、(カント以前、カント以後と西洋哲学を区別されるほどです。)実はカントの他にも、あの偉大な西郷隆盛も同じことを言っていたということに私は驚きを隠せません。
よく、西洋哲学と東洋哲学と分けて考えられますが、実は言っていることは同じという場合がしばしばあります。
また、確実なものに基づいて迷うということは不可能です。(1+1の答えが2であることに迷わないのと同じです。)

なぜなら確実なものは1つであり2つもないからです。行動する上で道理に沿うようにすれば心に迷いも生じないのです。

私は常にこのことを念頭に置いて行動するようにしてます。
皆さんの善き人生を願っております。


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