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亀のむくろ

ビーチには様々な漂流物が流れ着く。
ゴミや海藻に混じって命を失った亡骸も。

サーフィンをするために毎週千葉の勝浦周辺に行く。
そこは小さなローカルポイントで、リーフでもあり、あまり人は入らない。
ある日、当時お付き合いをしていた男性と2人で訪れた時のこと。
小さな砂浜に80センチほどの海亀が腹を天に向けていた。ぴくりとも動かない様子から息絶えていることは明らかだった。大きな生き物の亡骸を目撃することなど、愛犬が亡くなって以来で、ショックだった。

亀は裏返しになると、自力で戻るのは難しいという。海が荒れたある日、砂浜に打ち上げられた拍子に裏返しになってしまったのかも。もがいて、苦しんでつらかっただろう。生きているうちに、私がそばにいられたら良かったのにと、海亀に思いを馳せていたその時。

「亀、裏返しにしてみていい?」
連れの彼が言った。

その瞬間、私は頭の脇がキュッと締め付けられ、喉の奥に不快な塊が詰まった気がした。
なんと答えたら良いのか.…。
言葉に詰まりながら私は聞いた。
「なんでそんなことするの?」
すると彼は私の様子をうかがうように
「どうなってるか見たいから」
と、罪悪感を抱えている子供が親に告白するかのような小さな声でつぶやいた。
私は怒りとも悲しみとも区別がつかないような気持ちで「残酷だからやめて」と、その行為を止めた。

その後、彼とは疎遠になった。
亀の出来事がきっかけだったのかはわからない。
でも、ひとつの要因であったのは確かだ。

なぜ、こんな事を急に思い出したのかと言えば、
アマゾンで芥川賞受賞作の小説、『コンビニ人間』の主人公・古倉恵子が幼い頃、小鳥の死体を見て食べようとしたシーンを読んだからだ。
その主人公は個性的な感性の持ち主で、社会にうまくなじめない人。作品には独特な倫理観や世界観が描かれている。

私は色んな人の感性や人間の特性を受け止めたいと思う一方、どうしても理解することができないことがあるし、それはしかたがないことだと思う。

例えば、生き物を見れば、擬人化するし、そのために死骸を見れば悲しみや痛みやつらさまで想像して心が痛むのだ。
ただ、それを感じたり、想像しない人もいるということ。それはその人の特性だし、感性だから批判すべきことではない。
そして、それを不気味だと感じる私の感性も私の特性。 
感じ方はその人そのものを支えている土台なのかもしれない。
なにが良くて悪いと決める必要はない。
ただ、そこに感情がある。

その彼は、亀を10年以上飼育していて、大切に育てていた。けれども、海で亡くなった亀に対して、自分が大切にしているペットの亀を投影して感じる感性を持っていないだけなのだろう。だからこそ、海亀を見て悲しい気持ちになったりすることもない。
彼が残酷だからではない。
でもやっぱり、海亀の亡骸を裏返しにして調べてみたいという無邪気な欲求は、私には悪趣味にしか感じることができなかった。

それでも、私とは違う感性があるからこそ、世界にはバランスがあり調和がある。
同じ気持ちをシェアできなくても、彼に温かい心がなかったわけではなく、むしろ私なんかよりも、もっと、とてつもなく優しく温かい人だった。



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