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脳梗塞で入社して抑うつになった私が、「いや無理」で自分を救った話

この記事について
脳梗塞の後遺症、抑うつ状態、過呼吸について、当事者としての体験をそのまま書いています。テクニックや対処法というより、同じような状態にいる方に向けた記録です。

読んでほしい方

  • 「甘えているだけかもしれない」と、自分の不調を疑ってしまっている方

  • 「今の職場を辞めたら負け」だと感じて、動けなくなっている方

  • 誰かの回復のペースを、少しでも知りたい方

今、無理に読まなくていい方

  • 今まさに強い希死念慮や強い抑うつ症状がある方は、この記事より先に、専門機関(医療機関や、いのちの電話などの相談窓口)に相談することを優先してください。この記事は、専門的なケアの代わりにはなりません。


大学4年の3月5日。朝、頭が痛くて起きました。ズキズキする痛みで、風邪を引いたのだと思い、リビングに行きました。

いつもだったら、まだ寝ている私が起きてきて、驚いている母に、頭が痛い風邪だと思うと伝え、風邪薬を用意してもらいました。
瓶のタイプで蓋を回して開け、手のひらに錠剤を出そうとしたら、バラバラと大量に錠剤をこぼしていました。

あれ?と思いましたが、必要量を取って、服用し、用意してもらった白湯を飲みました。
今度はポタポタと音がするので、何だ?と思い下を向くと、こたつ布団に、水滴が落ちてました。

あれ、何だこれ?と思い、自分の口元に触れると、私はよだれをたらしていました。
おかしいな、と思いながらティッシュで口元を拭いました。

それを見ていた母が、病院へ行くから支度しな、と言いました。私は洗面所に行き、顔を洗おうと思ったら、急に力が入らなくなりました。

そのまま、へなっと、後ろにゆっくり、座り込んでしまいました。
その時、とっさに支えなきゃと思って、右手が洗濯かごにあたり、ガシャンと大きな音がしました。

その音で駆けつけた母は、様子がおかしいと思ったようで、救急車を呼ぶと言いました。
救急隊員が到着すると、お名前は言えますか?と質問され、私は自分の名前を言いました。

くぐもった、酔っ払いが話すような、はっきりしない音でした。とても聞き取れるものではなかったです。私のろれつは回らなくなっていました。

その変化に自分が一番驚いているのですが、救急隊員は平然と母に、娘さんはいつもあんな話し方なんですか?と見当違いな質問をしていました。

そんなわけあるか、と私は思ったのですが、母は、そんなことはないと思うんですがと、しどろもどろになりながら、はっきり否定しませんでした。
救急隊員が、私に質問したのは名前だけでした。

自分がおかしいのに、誰も気づかない。おかしいのに、うまく話せない。
この状況に私は焦り、パニックになりました。

そして、なぜか、息を、吸って、フュッ、吸って、フュッ、吸って、フュッ、吸って、フュッ…
息をうまく、はけなくなりました。
これが、私の人生初の過呼吸でした。

それを見た救急隊員は、過呼吸だから近くの病院で問題ないですと言って、帰っていきました。

その救急隊員は結局、一度も私に触れませんでした。
近くの内科を受診し、やっと診察した時には、私はぐったりしていました。
それを見た医師は、母から経緯を聞き、すぐに救急車を呼び、総合病院へ運ばれました。
同じ救急車でした。

診断名は脳梗塞。

左半身の麻痺でした。私の左半身は足以外は、病院到着後、すでに動かすことができず、足に関しても、少し力が入る程度でした。
感覚は全くなく、採血で左大腿部の付け根から採血されましたが、注射をされた感覚も、痛みも、全くありませんでした。

左腕はただの棒でした。
左手は少し指が曲がった状態で固まり、今までどうやって動かしていたのか分からなくなりました。
顔は左側は触られても感覚がなく、舌も半分動かせないため、ろれつが回らず、嚥下にも注意が必要でした。

点滴のおかげで1週間ほどで、足、腕の感覚は大体戻り、手に関しては指の感覚が、正座した後のしびれのような状態ではあるものの、少しは動かせるようになりました。
今では、手の親指・人差し指、顔の感覚が鈍い程度で、支障なく動かせています。

でも、やはり1年間はろれつが回らない、感覚が鈍いことで、やることなすことに、違和感が付きまといました。

4月に新卒で入社した交通安全協会で、指導員として働いたときは、安全講話をするために、まずは自己紹介から始まります。

そこで、自分の名前を人生で初めて噛みました。
中学・高校で、先生が私の苗字を必ず噛んでいましたが、言いづらかったんだなぁと初めて分かりました。

書類を数えるのも、大学生の頃、アルバイトで本屋の倉庫作業をしていた時のように、数えることができなくなりました。
私は指の感覚が分からなくなってしまったので、書類の枚数を数えることすら、戸惑いました。

交通安全協会には、研修の前に、脳梗塞になったことは連絡済みで、研修中、通院の必要があった時も、配属にも、配慮していただきました。

こんな身体になってしまったけど、これからの人生は、この身体で生きるしかないんだから、と弱音をはきませんでした。

はいても仕方ないし。むしろ動けるんだから、ラッキーと思わなければ。

ただ、どうしても自己紹介がつらかったです。自分の名前を噛むし、話すときも噛むし、こんなに噛むのか、というくらい噛み噛みでした。

人前に出ることは演劇部の経験から苦ではなかったのですが、さすがに嚙み過ぎておかしいよな、と心配して、上司に相談しました。
その上司は、配属される新人が脳梗塞になったと本部から聞いて、色々調べたと話をしてくれました。配慮してくれているのだと有難く思いました。

指導員の1年目は、何もできない状態だから、準備・片づけは率先してやること、電話には一番に出ること、掃除・洗車等の雑務をすること、となっていました。

特に電話は気が重かったです。
言葉がちゃんと出るか。そもそも発音に不安があるので。
話すことに異常に警戒して、変な言い方してしまったこともあり、先輩に指摘を受けることもありました。

それでも、何とか4ケ月やってこれ、行事で同期と顔を合わせたとき、体調を崩し辞めてしまった同期がいる中、私は大丈夫だよと報告し合っていました。

その数日後でした。
相談した上司が、私のろれつが回らないところをものまねして、その場にいたほかの同僚や警察官に披露したのは。

こんな風に見えているのか、と愕然としました。
なにより、不安で、ろれつが回らないことを相談した上司が、それを平気で見世物にすることに、ただただ、ショックでした。

裏切られた感じがしました。

そこから、坂を転げ落ちるように、イライラが止まらず、眠れず、食欲が落ち、楽しいと感じる余裕がなくなりました。
いつも緊張していて、なんでこんな状態なのか、なんでこんなイライラするのか、自分でも分かりませんでした。

朝、出勤前、人生2度目の過呼吸になりました。
その時は両目から流れる滝のような涙もセットでした。

病院へかかり、最初は適応障害と診断が下りましたが、配属先の警察署の次長から病院を紹介されました。

抑うつ状態と診断されました。
入社して半年目でした。

上司から年賀状が届きました。

「今年は勉強になる1年だったね」と書かれていました。


(※ここから先は有料となります)

ここから先は、抑うつ状態という「何も感じない地獄」の中で、私の心がどうやって微かに動き出したのか。そして、その後に転職した職場で、またしても同じ失敗(1年は我慢しなきゃという呪縛)を繰り返して3度目の過呼吸を起こした、私の泥臭い試行錯誤の記録です。

綺麗に整理された解決策はありません。
ただ、今まさに職場で息ができなくなっているあなたへ、
「自分を優先していいんだよ」と伝えるための、私の傷跡の証明です。

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