八月朔日弁当の話しと帽子
八月がスタートした。朔日弁当を買いに行った。当地の人気の押し寿司屋さんが1日だけ販売するお弁当。買えたらラッキー。
開店は10時。最初の20は売れてしまったとのこと。また、入りますと言われたけど、何時かは教えてくれない。ふうか(うちの子)も楽しみにしている。
イオンで所在なげに待ってみた。すぐに、携帯の充電がなくなった。熊本地震に寄付したり、SDGsのホッチキスを探したり、靴修理屋さんに行って、履いていたフランスBOSABOのかかとのゴムを貼り変えて下さいと頼んでみたり。使用方法がわからなかったイオンのコーヒーメーカーで120円コーヒーを飲んだり。
だけど、どうしても時間を潰せない。11時になって、諦め、お店の前でただ呆然と立って、他のお客さんを所在なげに見ていた。
すると大きな段ボールを台車に載せた女性がやって来て、ジッと見ている私に、笑顔で、何個ご入用ですかと聞いた。
2つと答えると、朔日弁当を2つ渡してくれた。それまで別品を買っていたお客さんは、それを見て、しまったという顔をした。レジのお姉さんは、私に、次しますからと言った。
後ろを見ると、どこから湧き出たか、多くのお客さんが台車に群がっていた。朔日弁当を一番に買えた。




夏休みの40日間のみで、残りの325日をブツブツいいながら生きるセミ女の私は、人生の夏休みをランキングしている。
第一位に輝くのは、1974年の夏休み。この夏、私は全てを得た。母からも解放されて、夏休みの宿題も全て自分で作った。この夏、赤い麦わら帽子を被っていた。赤い帽子を被り自転車に乗ってどこでも出かけた。
かよちゃんと金山のガーデンプールに行ったり、ジャガルタに転校するみさちゃんを見送りに空港に行ったり。
赤い麦わら帽子は、勝利の象徴。私は、次に赤い麦わら帽子を被ったのは、9年後の19才の夏休み。フランスに行ったり、やっぱり母からの干渉から逃れられた。
そして、時は経ち、母から黒い麦わら帽子をプレゼントされた。赤い帽子を買わせないようにかなあ。だけど、ヘレンカミングスキーの帽子は気に入った。

