ゲイとかストレートとかどうでもいい
今振り返れば、自分にとってカミングアウトとは、周囲に告白するという手段を使った、自分自身とちゃんと向き合わない姿勢におさらばすることだったのだと思います。
幼少の頃から、ゲイであることに気づいてはいましたが、はっきりと認められませんでした。ずっと曖昧にしてきました。それが苦しくて、正直でありたいと思ってカミングアウトしましたが、一番正直でありたかったのは、自分自身に対してなのだと思います。
自分がゲイであることを認め、ゲイの知り合いをつくろうとマッチングアプリを始め、その中で初めて男性との恋愛も経験し、その経験をnoteにも記し、ゲイである振る舞いをいくつかやってみました。それはそれでもちろん良い経験です。
ただそんな経験もしてみて今思うのは、ゲイとかストレートとかどうでもいい、ということです。noteを書いていると、自分のことを何度もゲイと呼ぶのですが、そこに違和感を感じるようになりました。もちろんゲイではあるんですが、ゲイとラベリングされる(というか、されるではなく、自分でしているのですが)ことが、引っかかるようになりました。
当たり前ですが、ゲイっていろんな人がいます。なんとなく声が大きかったり目立つ人たちの様子が、ゲイの定義となりがちですが、それはほんの一部で、陽気な人も、静かな人も、男性的な人も、女性的な人も、いろんなタイプの人がいるんです。
当たり前です。人間なので…
そう思いました。人間なんです。
40代のゲイ、ゲイの恋愛、ゲイであることのカミングアウト…
なんでこんなにゲイ、ゲイと自分のことを新たにラベリングしているのだろうと疑問を感じるようになりました。
ゲイというよりは、一人の人間として生きていきたい、と思います。
もちろんゲイであることは、自分の一つの特徴です。なので、これからも自分のことをゲイだと説明することはあります。ただそれが第一の顔、自己紹介の最初に来る言葉、ではないのかなと思っています。
この年齢になっているから、言えることなのかもしれません。もう少し若くて、恋愛や結婚がまだまだ主要な話題である年頃では、ゲイということが第一に来る時期もあるのかもしれません。
まだあまり整理できてない感情ではあるのですが、一旦書いてみました。ゲイであることを認めてカミングアウトしてみたら、ゲイであることが少しどうでもよくなった、という話です。自分のことを少し認めたからなのだと思います。やっと、自分のことを一人の人間として大切に扱った、ということなのかもしれません。
読んでくださった方、ありがとうございます。このテーマはまた書いてみたいと思います。
