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リレーエッセイ「訳書を語る」/偶然の出会いが重なって(宇野和美)

スペイン語翻訳者の宇野和美です。長年児童書の翻訳に携わってきましたが、ここ何年かで文学も手がけるようになりました。今回は、文学翻訳へのきっかけともなったメキシコの作家グアダルーペ・ネッテル著『赤い魚の夫婦』と、最新刊の『一人娘』をご紹介します。 

グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』出版までの長い道のり



自分で出版社に持ち込んで訳した本はたいてい翻訳出版されるまでに様々ないきさつがある。中でも『赤い魚の夫婦』は、最も長い裏話がある作品の一つだ。
 
出会いのきっかけは、英国の翻訳者ロザリンド・ハーベイさんだった。2012年にロンドンで開催されたIBBY(国際児童図書評議会)世界大会に参加したとき(参加は自腹なので、2010年はスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラに参加し、2014年にはメキシコシティの大会に行くつもりだったことから参加はためらわれたが、東日本大震災のあとの日本の読書状況の報告にかかわっていたので結局行った)、拙訳書の著者であるスペインの作家エリアセル・カンシーノさんの翻訳のセッションがあった。彼の作品の一部を2人の翻訳者が英語に訳した文章を比べて、翻訳について考えるというもので、そこで彼女の翻訳に好感を持った。帰国後、Facebookでつながるようになった彼女が、2013年に絶賛していたのが『赤い魚の夫婦』の原書だった。ちなみにハーベイさんはStill Born(邦訳『一人娘』)でネッテルとともに、2023年のブッカー国際賞を受賞している。
 
『赤い魚の夫婦』は、生き物が出てくる5編の短編が収められた小さな本だ。観賞魚のベタ、ゴキブリ、猫、菌類、蛇というように、一風変わった生き物と響きあうように、登場人物の密やかな思いやこまやかな感情が炙り出される。
 
さっそくとりよせて読んでみると、表題作からひきこまれ、こういう作品を読みたかった、この作品を日本で紹介したいと強く思った。というのも、自分の日常や感情につながるものがある、大げさではない言葉で語られた物語は、これまでラテンアメリカ文学では読んだことがなく、とても新鮮だったからだ。
 
ロンドンに行かなかったら、カンシーノさんの作品を訳していなかったら、手にとらなかったかもしれないのだから、不思議なめぐりあわせだ。その年の12月には、グアダラハラ国際ブックフェア(メキシコ、ちなみにトップの写真はこのブックフェアの様子)でのプレゼンで、ネッテル本人と会うこともできた。
 
だが、世の中そんなに甘くない。海外文芸シリーズを持つ出版社数社にアタックするもことごとく撃沈。次の手を打てないまま迎えた2017年7月、私は出版社からの依頼で、ラテンアメリカの児童書の翻訳出版事情についての小さな発表をした。絵本は少しずつ翻訳されてきているが読み物はわずかしかない、児童文学に限らず、ラテンアメリカの女性作家の作品がもっと翻訳されてほしい、というようなことを語ったのを覚えている。
 
その帰り際、会場だったメキシコ大使館の方から「最後までいられないけれど、よかったら連絡をくださいと預かった」と言って一枚の名刺を渡された。ネッテル作品の編集者、原島康晴さんとの出会いだった。メールを書くと、「女性の作品、やりましょう。具体的な作品がありますか?」と返信があった。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。
 
だがその後、とんとん拍子に事が運んだわけではなかった。当時原島さんは新宿書房を発売元とする「エディマン」というご自身の出版レーベルを持っていた。新宿書房といえば、アニカ・トールの四部作「ステフィとネッリの物語」(菱木晃子訳)の版元だと思うと心が躍った。しかし、版権取得のあと、なかなか事が先に進まなかった。そして、見直した訳稿をようやく手渡した2020年12月末に原島さんから、長年お世話になった新宿書房の事務所を出て、1月から現代書館に勤めることになったとの爆弾宣言が。私がのろのろしていたせいもあるけれど、原島さんもいろいろたいへんだったのだろう。
 
もうだめかもしれない、という気持ちがよぎらなかったわけではない。でも、「なんとか出版できるようにしますから」と言ってくれていた原島さんの言葉どおり、春先にはゲラが動きはじめ、『赤い魚の夫婦』は2021年8月に現代書館から刊行の運びとなった。しかも嬉しいことに、9月早々の京都新聞を皮切りに、新聞、雑誌で書評がつぎつぎと出た。本の運命はわからないものだ。それにつけても、信じてくれる編集者の存在はとても大きかった。 

グアダルーペ・ネッテル『一人娘』



おかげで、ネッテルを続けて出そうということになり、短編の印象が強いことから、第二弾は短編集『花びらとその他の不穏な物語』となった。そして、その次は長編をと話が進み、『一人娘』の出版が決まった。
 
『一人娘』は、若い頃、「子どもを持たない」と意気投合していた二人の女性の物語だ。語り手である主人公はその考えを貫くが、親友はパートナーを持つと宗旨替えし、子どもを望むようになる。そして、不妊治療を経て妊娠するのだが、お腹の子は脳が育っておらず、生まれたとたんに死ぬと診断される。だが、生まれた子は生きのびる。親友の妊娠と育児に、主人公の隣家のシングルマザーと小学生の息子、ベランダに巣をつくった鳩、女性支援団体に関わるようになった母親、メキシコのフェミサイド等のエピソードが絡み合い、物語は女性たちの連帯へと広がっていく。
 
幻想やホラーを感じさせる、これまでの短編集とは異なる作風に驚かされた読者もいることだろう。だが、一つの答えを導くような大きな物語にしないところや、小難しくならない平易な表現で心の動きの妙に光を当て、凝り固まった既成概念をときほぐすところは、ネッテルのどの作品にも共通する特徴だと思う。
 
翻訳は悩むことも多々あるが、ネッテルの作品を訳すのはいつでも楽しい。ネッテルの翻訳で大切にしているポイントを一つあげるなら、等価の表現になるよう、シンプルな表現をシンプルなまま届けるよう細心の注意を払っていることだろうか。相性がよい作家なのかもしれない。 

ネッテルのおかげで今がある


還暦を過ぎた5年ほど前、会社勤めをしていた同級生の間で第二の人生が話題になるようになった頃、私はひどく心許ない心地だった。第二どころか、第一の人生も先が見えないまま、独り勝手に翻訳にしがみついている自分は一体なんなんだと。だが今は、心持ちが変わった。気に入った作品をぼちぼち翻訳していければいいとゆったり構えられるようになった。それはひとえに『赤い魚の夫婦』を手掛けられたおかげだ。
 
『赤い魚の夫婦』は、刊行からだいぶ経った今も、書店の外国文学の棚に置いていただけていることが多いし、「ネッテル、好きです」と書店員さんに声をかけていただけることもある。『一人娘』が刊行されたとき、前の作品が好きだったからと手にとってくださる読者がいるのを見て、そんなことは初めてだったのでものすごく励みになった。長く心に残るような作品をこれからも訳していけたらと思う。
 
今度原島さんと会うときには、『一人娘』の表紙絵の原画を購入して店内に飾ってくださっている東京都北区のお蕎麦屋さんに行きたいなと思っている。 

メキシコシティ、コヨアカン地区(ネッテルの住まいがあるあたり)の公園



 
■執筆者プロフィール 宇野和美(うの かずみ)
スペイン語翻訳者。児童書(絵本、児童文学、YA、ノンフィクション)やスペイン語文学の翻訳、紹介に携わる。ネッテル作品以外の主な訳書は、アンドレス・バルバ『きらめく共和国』(創元推理文庫)、セルバ・アルマダ『吹きさらう風』(松籟社)、マイテ・カランサ『この銃弾を忘れない』(徳間書店)、フアン・ラモン・ヒメネス『プラテーロとぼく』(小学館)など。フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(早川書房)で第61回翻訳特別賞、マルセロ・ビルマヘール『見知らぬ友』(福音館書店)でJBBY賞受賞。2007年からスペイン語の子どもの本専門ネット書店「ミランフ洋書店」を営む。2023年より日本国際児童図書評議会(JBBY)会長。日々の気晴らしは、ごはんを作ることとピアノを弾くこと。


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