従軍慰安婦問題の真相
AI による概要
従軍慰安婦問題とは、第二次世界大戦中の旧日本軍の管理下で、軍の将兵の性の相手を強いられ、名誉と尊厳を深く傷つけられた女性たちがいたという、戦後持ち上がった一連の諸問題です。被害者の多くは朝鮮出身者で、強制的な連行や過酷な扱いの末、肉体的・精神的苦痛に苦しんだとされ、韓国をはじめとする各国の政府、国際機関、市民団体から、日本政府に対し公式謝罪、賠償、再発防止策などを求める声が上がっています。
一度広まったデマ記事はそう簡単には消えない
AIはデマ記事を事実だと判断したようだ。これも朝日新聞の罪
共犯はニューヨーク・タイムズ、日弁連、国連、統一教会、自民党
慰安婦問題とは
2014年8月5日朝日新聞記事(2025年もネット上に残されている)
慰安婦問題の主な経緯(肩書は当時)
1982年
吉田氏の虚偽証言、朝日新聞に初掲載
朝日新聞は、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。
吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。
記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。
「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。
この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。
しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。
「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します。
一方、「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)は、東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。
これまでの取材から、吉田氏の証言に信用性はなく虚偽と考えられます。ただ、裁判という司法手続きでの証言の内容は取り消しや訂正になじまないと考え、この記事にはデータベース上で「吉田氏の証言に信用性はなく、虚偽だと考えられます」とのおことわりをつけます。
吉田清治と植村記者と朝日新聞の罪
・吉田氏の捏造本
・植村記者の捏造記事
・朝日新聞の政治問題化(訪韓直前にスクープとして連発)
・日本人全体の名誉を大きく毀損
・日本国の国益を削いだ政治的犯罪
日教組教師、日本の子どもたちに嘘を教えていた。
現在も、ネット検索すると捏造記事が本物のように表示され続けている。
AI検索も同様に捏造記事の内容が表示される。
吉田清治と朝日新聞の従軍慰安婦捏造の歴史
1980年
3月7日 朝日新聞朝刊(川崎・横浜東部版)
連載 『韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣』
吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介。
1982年
9月2日朝刊(大阪本社版) 朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり 大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した。
1983年
10月19日 朝日新聞夕刊
『韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立』
6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している。
11月10日 朝日新聞朝刊
『ひと 吉田清治さん』
「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた。
12月24日 朝日新聞朝刊
『たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式』
吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介。
1984年
1月17日 朝日新聞夕刊(大阪本社版)
連載『うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1)』
徴用に新郎奪われて 本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介。
1986年
7月9日 朝日新聞朝刊
『アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会』
吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している。
1990年
6月19日 朝日新聞朝刊(大阪本社版)
『名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅』
「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載。
1991年
5月22日 朝日新聞朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦
『木剣ふるい無理やり動員』
吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介。
朝日新聞は隠蔽しようとしたが、第三者委員会からの指摘を受ける。
8月 韓国で元慰安婦が初めて名乗り出る
10月10日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦
『乳飲み子から母引き裂いた』
吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた。
12月 元慰安婦が日本政府を提訴。政府が調査開始
8月11日と12月25日の植村記者が書いた偽の元慰安婦金学順の偽証記事が外部からの指摘で問題となった。
金学順は14歳(数え)からキーセン学校(妓生学校、기생学校)に3年間通った。
キーセンは、宴席で客をもてなす芸妓のような存在で、性的奉仕も行いました。
金学順はアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件の原告の一人であったが、裁判の訴状の中には「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたといった記述はなく、「そこへ行けば金儲けができる」と養父に説得され、養父に連れられて中国に渡った。と記述されている。
のちに朝日新聞は「慰安婦」と「挺身隊」を混同していたとして訂正、
また、内部調査で植村から「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との説明を受けたこと、
第三者委員会はこれについて「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」ことを指摘したことを報道している。
裁判で敗訴確定
植村氏は自身の記事を捏造と評した西岡力氏、櫻井よし子氏に対して名誉毀損訴訟を起こしたが、いずれも最高裁まで全て植村の賠償請求は認められなかった。(最高裁は、原則として事実認定に踏み込まない)
1992年
1月11日付 朝日新聞朝刊1面
★首相訪問直前の絶妙なタイミング
『慰安所 軍関与示す資料』
「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦(ごうかん)事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」
朝日新聞夕刊では「韓国メディアが朝日新聞の報道を引用して報道」とのソウル支局電を掲載した。
1月11日夜のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を、ジャパン・タイムズは「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」との誤報記事を掲載した。
1月13日 朝日新聞朝刊
『元慰安婦に謝罪』
ソウルで吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた。
これは本を売るための「宣伝お詫び行脚」の一環だった。
1月13日、加藤紘一官房長官が事実確認もせず朝日新聞の記事を信じ込んで「お詫びと反省」の談話を発表
1月14日には韓国で、女子挺身隊を誤解歪曲し「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」と報道
宮沢首相はこれまた事実確認をしないまま「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べた。
日本政府は、まんまと朝日新聞の罠にハマった。
1月16日には天皇の人形が焼かれるなど反日デモが高まる韓国に渡り、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束した。
結局のところ、吉田清治と朝日新聞のデマだったので証拠など有るはずもなかったが、韓国側との密室での取引で日本側が証拠もないままに認めて河野洋平が談話を発してしまった。
1月23日 朝日新聞夕刊
窓 論説委員室から
『従軍慰安婦』
「(慰安婦を)戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介。
1月 宮沢喜一首相が日韓首脳会談で謝罪
3月3日 朝日新聞夕刊
窓 論説委員室から 『歴史のために』
吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ。
5月24日 朝日新聞朝刊
『今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓』
吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた。
7月 政府が調査結果発表。政府の関与を認める
実は、調査結果で従軍慰安婦の強制連行の事実は見つからなかったが、政治的な取引(韓国側の提案)で河野談話に至る。
1993年
8月 河野洋平官房長官が談話で慰安婦の募集、移送、管理に強制性を認め「お詫(わ)びと反省」を表明(河野談話)
1994年
1月25日 朝日新聞朝刊 政治動かした調査報道
朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介。
8月 村山富市首相が談話で慰安婦問題の解決策について「幅広い国民参加の道を探求したい」と表明
1995年
7月 政府主導で民間のアジア女性基金が発足。国民の寄付をもとに「償い金」を元慰安婦に支給するなどの「償い事業」を実施
2007年
3月 基金が解散
安倍政権は、「従軍慰安婦」問題をめぐって、国際的な批判の矢面に立たされた。
朝日新聞の“マッチポンプ記事”(アメリカではこういうふうに報じられたと記事を逆輸入する手法)のパートナーとして知られるニューヨーク・タイムズ紙6日付は安倍首相ら日本の政治家らに対して「恥ずべき過去を克服する第一歩は、それを事実と認めることだ」と警告を発した。
朝日新聞と朝鮮新報はマッチポンプ記事を書いた。
→7月 米下院、慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択
2014年
6月 政府が河野談話作成過程の検証結果を公表
朝日新聞は、第三者委員会の報告書で、吉田証言への疑問が提起された1992年以降も、その取り扱いを減らすことさえしなかったと指摘され、誤報の放置を認め、謝罪しました。
河野談話や村山談話を政府に発表させて成果を上げたので
朝日新聞は謝罪することにした
2014年8月5日に慰安婦報道に関する検証特集を掲載し、上記の事実を公表しました。
朝日新聞を潰せという大きなデモ行進が繰り返し起きた。
逃げた赤い論客
外部の者が書いた「声」欄の投稿や「論壇」「私の紙面批評」への寄稿の3本は現2014年12月23日在も朝日新聞によって隠蔽されており、外部の筆者の読者への謝罪もない。
第三者委員会 要約 英文
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/report20150728e.pdf
デマ報道記事は読んだとしても、デマ報道と分かり、第三者委員会の面白みのない文章をわざわざ読む外国人もいないだろう。これも朝日新聞の成果だ。
吉田清治は日本共産党員だった?
1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称
著書(「私の戦争犯罪─朝鮮人強制連行─」三一書房刊)、『朝鮮人慰安婦と日本人』を売る目的で韓国でお詫び行脚して従軍慰安婦問題を捏造した。
日本人の名誉を毀損し、日本国の国益を大きく削ぐことに貢献したのだから、そう見られる。
従軍慰安婦問題で盛り上がった日本共産党も大慌て?
矛先を保守勢力に転換しようとするアホな記事を出してしまい恥の上塗り
防衛研究所図書館にも強制連行があったとの記録はみつかっていない。
朝日新聞の捏造 元 記者 植村 隆
2016年
北海道札幌市の北星学園大学の非常勤講師を務める。
日本を貶める成果を上げ、韓国カトリック大学校招聘教授となる。
株式会社金曜日(週刊金曜日発行元)代表取締役社長(2024年9月まで)
慰安婦問題を扱ったモキュメンタリー映画『主戦場』に出演。
フェイクドキュメンタリーをモキュメンタリーという。
架空の出来事をドキュメンタリータッチで描いたフィクション作品のジャンルです。
談話について
政府が認めた理由は恐ろしいね
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の密接な関係
統一教会は、従軍慰安婦問題を打ち立てて日本人信者に反省と謝罪と全財産の寄付を強要し続けた。これは動画で残っており、YouTubeで公開されたり消されたりを繰り返している。
統一教会は日本人から巻き上げた巨額の資金で韓国に宮殿を建て、全世界の保守系有力議員に多額の献金をした。トランプ大統領も含む。
トランプ大統領は先日、韓国大統領に統一教会の捜査を辞めるように意見したが、韓国では捜査が続いている。
トランプの意向を汲んで打ち切られる可能性もある。
保守か・・・と単純に考えてはいけない。
統一教会は極左の北朝鮮ともお付き合いが有る。
(C)毎日放送
https://youtu.be/Vdtkb5LjpE4?si=cwwGYPhS0Dc0M8xo
旧統一教会本部が岸信介元首相の自宅隣に。
旧統一教会と政治家の長年の関係。
名称変更の裏には圧力が?
(C)古舘伊知郎チャンネル
旧統一教会、19年越しで名称変更のなぞ 下村文科相在任中に突如実現:東京新聞デジタル
岸信介の時代から統一教会と自民党は蜜月関係となり、その関係は断ち切ることが出来ず2025年も続いていると言われています。
岸信介総理時代の自民党政府は韓国に奉仕し始める。
教団は1954年、文氏が韓国で創設した。日本では64年に宗教法人として認証された。教団系出版社が刊行した「日本統一運動史」によると、教団は同年、岸元首相の自宅(東京都渋谷区南平台町)の隣に下北沢から本部教会を移した。岸政権時代に首相公邸だった建物を使っていたという。
「運動史」によると、岸氏は73年、教団を訪れ「笹川君が統一教会に共鳴して『私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君だ』という話を聞き、礼拝の後に参りお話ししたことがありました」とあいさつしたという。
72年、79年と日本共産党が躍進した為、危機感を感じた自民党は、
統一教会や関連団体で勝共連合と反共で共闘する。
しかし、日本の共産党とは敵対しても、統一教会は北朝鮮とは繋がりが深かった。その縁で安倍氏の訪朝と一部の拉致被害者帰国が実現した。
その際に、故アントニオ猪木議員やデヴィ・スカルノ(デヴィ夫人)といった北朝鮮に招かれているような人物の名前も上がった。
岸総理から始まる韓国支援
日本企業の最先端技術を韓国財閥に教えるように指示した。
国費を投じて韓国財閥を支え続けた。
そして、証拠もないのに従軍慰安婦問題を韓国側の言い分通りに認めてしまう。日本人の名誉よりも統一教会との関係を優先した自民党。
韓国に追加の税金を投じる。利益を得たのは韓国財閥と日韓政治家
結果、韓国財閥は日本企業を追い抜くまでに成長した。
そして教えた側の日本企業は次々と経営不振となり、多くの大手企業が中国企業の傘下に入ってしまう事となる。
いやー怖い話やな
Q 慰安婦とは何か。
A 戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘した。
Q 何人くらいいたのか。
A 総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人と推計し、99年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上と改めた。韓国や中国ではさらに多い数字をあげる人もいる。
Q 慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。
A 戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。
Q 日韓間の問題として認識されたいきさつは。
A 90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺身(ていしん)隊『怨念の足跡』取材記」の題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧泰愚(ノテウ)大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。
「元慰安婦、初の証言」の記事について
91年8月11日付朝刊社会面〈大阪本社版〉
「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり……」
これは、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで掲載した記事の前文部分です。記事は、韓国人の元慰安婦の一人が初めて、自らの過去を「韓国挺身隊問題対策協議会」に証言したことを、録音テープをもとに伝えました。
しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。
前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。
第三者委員会に対し、筆者の(朝日新聞による従軍慰安婦問題捏造を主導した)植村隆・元記者(56)は「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との趣旨の説明をしたといいます。
第三者委は報告書で、「だまされた」事例であることをテープ聴取で明確に理解していたにもかかわらず、この前文の表現は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」などと指摘しました。
また報告書は、挺身隊と慰安婦の混同について、91年から92年ころにかけて両者の違いが急速に意識されるようになるまでは、「両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があった」との見解を示しました。朝日新聞は今年8月の検証記事で、この記事に「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。報告書はそれだけでなく、「読者に正確な事実を伝えるという観点から、前文部分の記載内容も含め、さらに踏み込んで検討すべきであった」としました。この指摘についても、重く受け止めます。
この記事には、過去記事を閲覧できるデータベース上で、挺身隊の混同がみられたことから誤用したことを示すおことわりをつけています。今後、改めて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。
植村氏が91年に書いた記事2本には、他メディアから疑問が示されていました。
一つは、91年8月、録音テープの提供を受けて元慰安婦の証言を匿名で報じた際、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の別団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで取材し、裁判を有利に進めるために記事を書いたり内容を変えたりしたのではないかという疑問です。
この点について第三者委は、植村氏から「ソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセス(接触)した」という説明を受けたとし、前年に韓国で元慰安婦を捜す取材をした経緯も踏まえ、この説明を「不自然ではない」としました。北海道新聞が直後にこの元慰安婦を直接取材し、実名で報じたことにも触れ、「記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない」「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」と結論づけました。
また、この元慰安婦がキーセン(妓生)を育成するための学校に通っていた経歴を書かなかったことへの疑問も出ていました。報告書は、植村氏が続報記事「かえらぬ青春 恨の半生」(91年12月25日付大阪本社版朝刊5面)を書いた時点で、この元慰安婦らが起こした裁判の訴状などから経歴を知っていたとし、こう指摘しました。
「キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。『キーセン』イコール慰安婦ではないとする(植村氏の)主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」
【重要】朝日新聞の陰謀によるデマ記事がバレる
第三者委「政治課題となるよう企図」
1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた記事をめぐっては、他のメディアなどから疑問が出されていました。
首相訪韓の5日前で、調査する暇を与えないタイミングの記事
記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。
記事への主な疑問は、
(1)資料を早く入手していたのに、首相訪韓直前のタイミングを狙って記事にしたのではないか
(2)韓国や日本国内で、慰安婦の強制連行に軍が関与したというイメージを世論に植え付けようとしたのではないか、という点です。
(1)について、第三者委の報告書は「(首相訪韓直前のタイミングを狙った)実態があったか否かは、もはや確認できない」としたうえで、前文の表現などから「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。
(2)については、「記事には誤った事実が記載されておらず、記事自体に強制連行の事実が含まれているわけではないから、朝日新聞が本記事によって慰安婦の強制連行に軍が関与していたという報道をしたかのように評価するのは適切でない」としています。
