白紙の異邦録 26
満開のお花に囲まれてみんなで朝ごはんを食べたあと、父様はぼくのことを抱っこした。いつもは手を繋いで歩くのに、どうしてか今日は抱っこだった。背の高い父様に抱っこされると、少し怖い気持ちと、わくわくの気持ちになる。
「父様? どこに行かれるのですか?」
ぼくは父様の肩にぎゅっとしがみつきながら尋ねた。
「着いてからのお楽しみかな」
父様はそう言って片目を瞑った。
何だろう?
父様の背中に目を向けて母様を見ると、ぼくの視線に気がついてにこっと微笑まれた。でも何も言ってくれない。そのお隣にいらっしゃる兄様も、母様とそっくりな笑顔を返すばかりで何も言ってくださらないの。
なにかあるのかなぁ? ぼく、建国祭のこと、何にも知らないみたいだ。
父様たちと一緒に着いたのは応接間だった。
どなたかお客様かしら。でも、父様は全然ぼくのことを降ろしてくださらない。
「と、父様、ぼくひとりで歩けます」
「今日はレインのことを抱っこしたい気分なんだ。だめかな?」
父様は困ったようなお顔でそう言う。それは少し悲しそうなお顔にも見えた。
父様、なにかあったのかしら……。父様に抱っこされてるのはぼくなんだけど、ぼくは父様の首にぎゅっと抱きついた。父様はくすりと笑ってくれた。ぼくはそれがすごく嬉しかったの。
だけど、抱っこのままじゃお客様に失礼ではないかなぁ。そう思って父様に聞いてみると、父様は不思議そうな顔をした。
「ん? ああ、待たせているのはお客様ではないんだよ。というか、私たちが『お客様』かな」
ぼくたちがお客様? ぼくの頭の中はますますハテナでいっぱいになった。父様はくすくす笑いながら、そんなぼくに構わず応接間に入って行った。
「待たせてすまなかったね」
「とんでもございません、エヴァンジェリン侯爵閣下」
そう言って恭しくお辞儀をしたのは、身なりはいいけれど、貴族ではなさそうな人たちだった。商人さんかもしれない。お部屋にはたくさんの品物が所狭しと置かれているの。とっても広い応接間には、綺麗に包装された包みや、リボンが結ばれた箱がたくさん積み上げられている。その向こうにはまるで衣装部屋をそっくりそのまま持ってきたみたいに、たくさんのお洋服がハンガーにかけられている。
「レインにプレゼントがあるんだよ」
「ぼくに、ですか?」
ぼくは目をぱちくりさせた。なんでぼくにプレゼントなんだろう?
「……今日は初代王様のお誕生日ですよね?」
「その通りだよ。よく知っているね」
「ぼくのお誕生日はまだまだ先です」
父様は笑いながらぼくをソファに座らせると、ご自身もぼくの隣に腰を下ろした。
「建国祭はこのレグソン王国に生まれた皆を祝う日だからね、親しい人たちとプレゼント交換する習慣があるんだよ」
「そうなのですね」
と返事をしながら、ぼくの気持ちは少しだけ沈んだ。だってぼくは、今まで誰ともプレゼントを交換したことがなかったから……。
「レイン。私たちからのプレゼントを受け取ってもらえるかな?」
「はい、父様。ありがとうございます」
ぼくはうまく笑えていたかな。嬉しいのに、少し寂しくて、うまく笑えなかったかもしれない。
「まずは母様のプレゼントですよ」
ノーラ母様がそう言うと、仕立て屋さんかなぁ? 女の人たちが次々に小さなお洋服を持ってきてくれた。部屋の隅に置いてあった、衣装部屋みたいな量のお洋服、全部を!
「え、っと……、母様?」
「何ですか? レニー?」
「あの、ぼくはこの中から好きなお洋服を選ぶのでしょうか?」
「選ぶ?」
母様は小首を傾げられた。不思議そうなお顔で首を傾げる母様はとっても可愛らしいのだけれど、ぼくは少し不安になった。
「もちろん毎日好きなお洋服を選んで着てくださいね。このお洋服は全て、レニーのお部屋に運んでおきますからね」
「ぜ、全部ですか?!」
お行儀が悪かったけれど、つい大きな声が出てしまった。ぼくは慌ててお口を手で隠した。父様が困ったお顔で笑っている。
「ほらね、ノーラ。びっくりさせてしまっただろう?」
父様が母様に微笑みかけると、母様はほっぺに手を当てて「んー」と唸っている。兄様が後ろからぼくの耳元に囁いた。
「母上はこれの三倍くらい頼もうとしてたんだよ」
「さっ……!」
ぼくはまた慌ててお口に蓋をした。ぼくの広すぎるお部屋にも、この三倍の量はしまえないと思う……。
「子どもはすぐに大きくなってしまうんだ。夏の装いまで楽しみをとっておこう」
父様が母様を慰めるようにそんなことを言っているけれど、ここにあるお洋服の量は夏になっても全部着られないかもしれない、と心配になってきた。それに、こんな贅沢はきっと良くない。だって領主のお金は領民のために使うべきものだと本に書いてあった。ぼくのために使っちゃいけないお金だと思うの……。
「あ、あの……、母様。あの……」
母様は不思議そうに首傾げている。
ぼくなんかが侯爵夫人である母様にこんなことを言うべきじゃないのはわかってる。でもこんなにたくさんのものを貰おうとしているのはぼくだもの……。言わなくちゃいけない。
ぼくは小さな声でやっとぼそぼそと言った。
「……こ、こんなにいただくことはできません」
「どうしてですか?」
と母様はぼくのところまで降りてきて尋ねられた。そのお顔が少し寂しそうで、でもとてもお優しくて、ぼくは申し訳なさでますます小さくなった。
「……ぼくにではなくて、エヴァンジェリン領の皆さんに……お金を使っていただいた方が、……いいと思って……」
ぼくの声は尻すぼみに小さくなっていく。怖くて母様のお顔がとても見られない。ご気分を悪くされているかもしれない。すごく罰当たりな子だって思われたかもしれない。俯いていると、膝の上の拳がかたかたと震えているのが見えた。
ぼくが握り締めていた拳に、母様のあったかくてほっそりとした手が覆い被さった。母様はぼくの手を握ったまま、ぼくの身体をそっと抱きしめてくれた。
「レニーはとっても優しい子ですね。母様はそんなレニーが大好きですよ。だからそんなお顔しないで?」
ぼくはそおっと顔を上げた。母様はにっこり微笑んでくれた。それからいたずらをしているようなお顔になって、「心配は無用です」と言った。
「母様が使うお金は全て、他国から来たお金ですから」
にっこり笑う母様のお顔を見て、ぼくはたくさん瞬きをした。父様がぼくたちの様子を見て笑った。
「レイン。ノーラは貿易の事業を行っているんだよ。貿易がなにかは、知っているかな?」
ぼくは父様の方を向いて頷いた。
「えっと、……他国にものを売ったり、他国からものを買ったりする商いのことです」
父様は「よくお勉強しているね」と頭を撫でてくれた。
「その通りだよ。だから、ノーラは領民の納める税を使ってるわけじゃないんだ。わかるかな?」
父様はぼくの頭を撫でながら説明してくれた。ぼくはこくりと頷いた。
「じゃあ、……母様が領地の商人さんからお買い物をするのは、エヴァンジェリン領のためにいいことなんですね?」
「まあ!」
母様はびっくりしたお顔でぼくのことを見た
あ、あれ? ぼく、おかしなことを言ったかな?
「マイロ……、テオはまだ経済については教えていないんじゃなかったかしら?」
「と、思っていたんだけれどね」
「ランス? あなたは今のレニーのお話を聞いてどう思ったかしら?」
「外貨が領地の経済を活性化させている、というお話ですよね? ぼくは習ったばかりなのでわかりますが……」
兄様がぼくの方を見た。ぼくは首を傾げた。
「がいか? ……かっせーか、ですか?」
兄様は難しい言葉を使われた。でも、それを説明はしてくださらなくて、代わりにぼくに質問した。
「レニーはどうして母上のお買い物がエヴァンジェリン領にとっていいことだと思ったの?」
ぼくは「えーっと」と頭の中で言葉を探した。
「……誰かがお金を使ったら、そのお金をもらった人はまた違うお買い物をして、……お金がぐるぐる回るので、色んな人のところにお金がめぐるかなって。限られたお金をぐるぐるさせるより、他国のお金が増えてぐるぐるする方が行き渡ると思うんです……」
ぼくはお話しながら、何かを思い出しそうな感じがしていた。こういうのってなんて言うんだっけ? なにかぴったりの言葉があったような気がするんだけどなぁ……。
ぼくは「うーん」と考えていたせいで、兄様が黙り込んでしまったことには気が付かなかった。
「……テオドールとまた話をしなければならないね」
父様が困ったようなお顔でそう言った。テオドール先生と何のお話をするんだろう?
「有望な後継者が見つかったね、ノーラ」
「ええ、本当に」
父様がそう言うと、母様が両手を合わせて言った。
後継者? 何のお話だろう?
「ランスロットはマイロに取られてしまうのだもの。レニーには母様が良いものをあげますからね」
「良いもの……ですか? ぼく、お洋服はもういっぱいいただいてしまいました……」
ぼくの身体はひとつしかないんだもの。こんなにたくさん着られないよ?
父様と母様が可笑しそうに笑っている隣で、今度は兄様が小さな包みをふたつ持っていた。
どちらも兄様の手のひらに収まるくらいの小ささで、ひとつは木箱に濃紺のリボンが結ばれていて、もうひとつは金色の薄い箱だ。
「これはぼくから」
そう言って兄様はぼくの手にふたつの箱を乗せた。ぼくは手の中の小さなふたつの箱をじっと見つめた。
「開けてみて?」
「……でも」
ぼくはなんだか開けるのさえもったいないような気持ちなの。兄様からもいただけるなんて。この嬉しい気持ちにリボンをしたまま、大事にしまっておきたい。
だけど兄様が「ね?」とおっしゃるので、ぼくは濃紺のリボンの端を引っ張って、するりとそれを解いた。どきどきしながら木箱を開けると、そこには……。
「わぁ……」
きらきら光る金色の薄い板に、透かしの模様が型抜きされている。
「……これは、エヴァンジェリンの紋章……?」
廊下に飾ってある領旗と同じ、狼さんと二本の大剣がクロスした紋章はエヴァンジェリン侯爵家のシンボルだ!
「栞だよ」
兄様が言った。
「栞?」
「そう。……レニーは本をたくさん読むでしょう? レニーが毎日使えるものはなにかな、って考えてたら、栞が一番いいんじゃないかなって思って」
兄様はそう言って、笑った。
ぼくのこと考えて選んでくれたんだ。ぼくのことを見ていてくれたんだ。
ふと、ぼくの隣で本を読まれていた兄様がいつだったかぼくに「それはなに?」と尋ねられたことを思い出した。ぼくは栞の代わりにジェマが編んでくれた綺麗な紐を使っていたから。
「ここに紐を通せるから、またジェマに編んでもらうといいよ」
兄様はそのことも覚えていてくれたみたい……。ぼくは胸がいっぱいになった。
「あ、ありがとう、ございます……っ。ぼく、みんなに何もお返しがないのに……」
建国祭にお部屋から出てもいいことも知らなかったし、プレゼント交換をすることも知らなくて、ぼくはもらってばかりだ。ぼくばっかり嬉しくて、お返しできるものがないことが悲しい。
そう思っていると、母様は「レニーはちゃんと返したくれましたよ」と仰った。
「え?」
「レニーが領民のことを思ってお話してくれたこと、母様はとても嬉しかったのです。あれはとっておきのお返しでしたよ」
父様も商人さんたちも頷かれている。
そ、そんなことでいいのかしら……。でも母様が嬉しいのなら、ぼくも嬉しい。母様はぼくの頭を優しく撫でてくれた。
「レニーがお返しをと思ってるなら、こっちのプレゼントはぴったりだよ」
兄様がもう片方の小箱を指して言った。
「……開けてもいいですか?」
「もちろん」
ぼくはまたドキドキしながら金色の平べったい箱を開けた。
「あ……」
そこにはきらきら光るリボンが入っていた。ブルーグレイの、透けるようなリボンだ……。
ぼくはぱっと顔を上げて兄様を見た。
ーーレニーがレニーを好きになるおまじないをしようか。……レニーもレニーにリボンを着けて、プレゼントするんだよ。
そう仰っていた時の、あの優しいブルーグレイのリボンだ。その色は今もぼくのことを優しい色で見つめている。
母様がぼくの手からするりとリボンを取って、それをぼくの髪に結んでくれた。朝、ジェマが編んでくれた三つ編みの先っぽに綺麗な水色の蝶々がついた。
「ランスの見立て通りですね。とってもよく似合っていますよ」
母様がそうおっしゃると、ぼくより先に兄様が「ふふふ」と笑った。
「はい。よく似合ってると思います。ぼくも」
「あ、ありがとう、ございます!」
「リボンを付けたレニーは世界で一番可愛いプレゼントね」
母様がそんなことを言うので、ぼくは恥ずかしくてお顔が熱くなったの。
「じゃあ、最後は私かな?」
「と、父様もですか?!」
「もちろんだとも。レインは父様のプレゼントはいらないのかい?」
父様がいたずらっぽいお顔をされたので、ぼくは慌てて「い、いいえ!」と返した。
「きっと喜んでくれると思うよ」
父様は自信満々に片目を瞑った。
何だろう? ぼくが喜ぶもの? 母様のお洋服も、兄様の栞とリボンも、ぼくはとっても嬉しかったんだけど……。
父様が頷くと、商人の男の人が立ち上がって、とっても重そうな大きな木箱を二人がかりでぼくの近くまで持ってきてくれた。ぼくが中に入っちゃいそうなくらい大きな箱だ。これがプレゼントなのかしら? な、なんだろう?
「さあ、開けてみて?」
父様に促されて、ぼくは大きな蓋をぱかっと開いた。
「ほ、本だ!!」
ぼくは思わず大きな声をあげてしまった。だって、本だったんだもの!!
「ほらね」
と父様が笑ってこっちを見ている。ぼくは嬉しくて嬉しくて、大きな声で「はい!」とお返事した。
「まぁ。マイロのサプライズはこれだったのね」
「そうか、……その手があったんだ……」
母様と兄様がそんな風にお話している。ぼくは「しまった!」と思ったけれど、もう遅い。ぼく、父様のプレゼントに喜びすぎたみたい。
「ぼ、ぼく、お洋服も栞もリボンも、すごくすごく嬉しいです!!」
母様と兄様は頷いてくれたけれど、何故だか負けたみたいなお顔をしているし、父様は勝ったみたいなお顔をしている。
「屋敷の図書室にはない本を取り寄せたんだ。レインが好きそうなものをね。ナジュールの本を気に入っていたようだから、今あちらで流行っている書物を多めに仕入れてもらったんだ」
父様がそう言うと、商人さんたちは誇らしげに胸を張っていた。
「ナジュールは書籍を国外に出したがらないお国柄ですから、きっと大変だったでしょう」
母様がそう言うのを聞いて、ぼくはナジュール語が暗号のように難しい言葉だということを思い出した。
「商人の皆さま、お買い物をありがとうございました」
ぼくがぺこりと頭を下げると、商人さんたちはびっくりしたお顔をされた。そのびっくりのお顔の向こうにぼくはもうひとつ箱があるのを見つけた。
「あれは……なんですか?」
ぼくが今開けたのと同じ木箱だ。あれももしかしたら本かしら?
すると商人の方たちは慌てた様子で「あれは少々手違いがございましたもので……」と言った。
「我が家の次男は本の虫だから、よければそちらも購入するよ」
父様が言った。
「父様、見て来てもいいですか?」
「構わないかな?」
と父様が商人の方に尋ねると「それは構わないのですが……」と聞こえて、ぼくは一目散に木箱に駆け寄った。父様からいただいたたくさんの本も、もちろん今すぐに読みたいのだけれど、あそこにあるのも珍しい他国の本なのかも、と思うとやっぱりちょっと覗いてみたくなる。背後で母様や兄様が笑ってる声が聞こえたけれど、ぼくは早く中身が見たくて箱に飛びついた。何の本かなぁ。
蓋を開けると、そこには分厚い本が一冊だけ入っていた。
あれ? この模様……どこかで見たことがある。
三つの不思議なマーク。
そうだ! 魔道具図鑑で見た、あの本だ。
ぼくの後ろでは大人たちがお話している声が聞こえる。
「荷物に紛れこんでしまったのか、購入した覚えのないものなのですが……」
「それでも骨を折ってくれたのだから、支払うよ」
「しかし、侯爵様。実は……」
三つの不思議なマーク。
あの時も思ったけれど、今もやっぱりぼくには文字に見えるの。
「異邦録」って。
「……実は中身が真っ白なのです」
商人さんがそう言うのが聞こえたかと思うと、父様が「レイン!」と大きな声を上げた。
「それに触っては……っ!」
そう言う父様の声が聞こえたのは、吸い寄せらせるようにその本に触れた後だった。
