三兄弟それぞれ
三兄弟それぞれだなあ、と思う。
たとえばパズル。
長男は、2歳の頃にはもう30ピースのパズルをひとりで完成させていた。
次男は、絵をじっくり見る。
ピースを手に取り、とりあえずパズルの上に置いてみる。
「どれかなー」と、形と絵を照らし合わせながら考えている。
三男は、まず床にばらまく。
そして次男がパズルをしているところへ行き、お邪魔虫に勤しむ。
同じパズルでも、こんなに違う。
シールブックもそうだ。
長男は1歳頃に、シールブックにはまっていた。
でも、できるくせにシールをはがすのはママ。
ママがはがしたシールを受け取って、自分で貼る。
今と同じだ。
ごはんだって、自分で食べられるくせに、食べさせてもらいたがる。
できないのではない。
甘えたいのだ。
次男は、絵とシールをじっくり見て、考えながら進める。
空にはヘリコプターと飛行機。
湖にはボート。
道路には車やトラック。
線路には電車。
ちゃんと世界のルールを見ている。
この乗り物はどこにいるものなのか、分かって貼っている。
三男は違う。
シールをとりあえず剥がす。
そしてページにどんどん貼る。
場所なんて関係ない。
空にコンクリートミキサー車が浮いている。
道路では電車と車が衝突している。
湖のそばにも、なぜか工事車両がいる。
彼の世界では、きっとそれでいいのだ。
長男は、できるけれど甘えたい。
次男は、じっくり見て考えたい。
三男は、まずやってみたい。
同じ家で育って、同じおもちゃで遊んでいるのに、出てくる姿は全然違う。
特に双子は、一卵性なのに面白い。
同じ顔で、同じ年齢で、同じものを渡しているのに、
片方は秩序を見つけ、
片方は秩序を壊して笑っている。双子だけで遊ばせると、じっくり取り組むのは次男だ。
絵を見て、考えて、場所を選ぶ。
パズルもシールブックも、次男はわりと慎重に進める。
その横で三男は、ばらまく。
剥がす。
貼る。
そして次男の遊びを壊しにいく。
だから、双子だけを見ていると、
次男は秩序を守る側で、
三男は秩序を壊す側に見える。
だけど、三兄弟で遊ばせると、またガラッと変わる。
長男がブロックで何かを作る。
パズルを進める。
すると、すかさず次男が近づいていく。
そして、壊す。
さっきまであんなにじっくり考えていた次男が、今度は長男の作品を破壊しにいく。
一方で三男はというと、案外マイペースだ。
長男の作品にはそこまで執着せず、ママのところへ来る。
甘えながら、違う遊びを始める。
同じ次男でも、相手が三男なら少しお兄ちゃんになる。
でも、相手が長男になると、ちゃんと弟になる。
三男は三男で、双子だけの時は次男のお邪魔虫なのに、長男がいるときは自分の世界に戻っていく。
兄弟って、ひとりひとりの性格だけで決まるものではないのだと思う。
誰といるか。
誰の隣にいるか。
誰の下の子になるか。
誰のお兄ちゃんになるか。
その関係の中で、子どもの姿は変わる。
長男は、作る人。
次男は、三男の前では考える人。長男の前では壊しにいく弟。
三男は、次男の前ではお邪魔虫。長男の前ではマイペースな末っ子。
三兄弟それぞれだ。
でも、その「それぞれ」は、固定されたものではなくて、関係の中でくるくる変わっていく。
私はその変化を見ているのが、たまらなく面白い。
三兄弟それぞれだ。
私は毎日、同じようで全然違う三人を見ている。
そしてその違いに、いちいち笑ってしまう。
