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母のごはんが、私の安心だった

幼い頃の思い出の中で、
「親子なんだな」と感じられたのは、母のごはんでした。

どんなに家の中がピリピリしていても、
台所にごはんが並んでいるだけで、なんだかホッとしたのを覚えています。

たまに一緒にスーパーに行けるのもうれしくて。
「今日は何作るの?」って聞ける時間が、私にとっては小さな安心でした。
大した会話じゃなくても、
“母と並んでいる”っていうその時間が、私にとっては特別だったのかもしれません。



物心がついたときには、もう両親の喧嘩は日常でした。
原因のほとんどは、お金のこと。

母が借金をしていたのは、ほとんどが生活費のためだったと思います。
でも実際には、生活費が足りなくなるような理由もたくさんあって。

両親ともにパチンコやタバコがやめられず、
父は毎晩のようにお酒を飲んでいました。
週に何度かのコンビニ弁当や外食も、出費がかさむ原因だったと思います。

それでも、父の給料だけで家族4人が暮らしていくには
そもそも厳しかったんだろうな、と今は思います。

当時の私はそんな背景を知らずに、
母に強く言ってしまったこともありました。

「やりくりすればいいのに」
「タバコやめればいいでしょ」って。
口調もきつかったと思います。

でも本当は、
母が父に怒鳴られたり、叩かれたりする姿を、
もう見たくなかったんです。
どうにか、喧嘩が起きないようにしたかった。

あとになって、母に発達障害があることを知りました。
やりくりや判断の難しさ、人との関わりに苦手さがあったこと。
もし母が子どもの頃から適切な支援を受けていたら、
また違う人生があったのかもしれません。

だけど今、私は思います。
母なりに、精一杯やっていたんだろうなって。

毎日ごはんをつくっていたわけじゃないし、
家事から逃げたくなる日も、楽したい日も、たくさんあったと思います。
でもその中で、
「家族は大事」「娘たちにはちゃんとごはんを食べさせたい」
そんな想いが、母の中にちゃんとあったのかもしれないなと、今は思えるようになりました。

完璧じゃなくても、不器用でも、
母は母なりに、家族を守ろうとしていた。

すべてがつながって、
いまの“わたし”になっていると思うと――
まだ心のどこかで許しきれない部分があるのも本音だけど、
それでも、産んでくれて、育ててくれたことには感謝しています。

この人生に出会わせてくれたのは、やっぱり父と母だったから。



次回は、
そんな母を「守りたい」と思っていた、
子どもだった私のことをもう少し深く書いてみたいと思いますが、その前に少しだけどうしてこのnoteを書くのかもう一度振り返ってみようと思います。



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