「おばあちゃんになった時に優しい人でありたい」—看護師からライター&デザイナーへー八木自由里さん
「おばあちゃんになった時に優しい人でありたい」
—高校生の時に抱いたこの思いが、八木自由里さんのキャリアの出発点だったそうです。
看護師として医療現場で働き、学校保健室で思春期の子どもたちと向き合い、心療内科のリワーク部門でメンタルヘルスに悩む人々の職場復帰を支援。
そして現在は、ライター・デザイナーとしてお仕事をしながら、Honmono協会では価値観カードプロジェクトを中心となり進めています。
一見異なる分野を渡り歩いているように見える八木さんですが、その根底には一貫した「人の優しさの源泉を探求したい」という思いがありました。
人生の各段階に関わりたい——看護師としてのスタート
—まず、八木さんの最初のキャリアについて教えてください。
一番最初は看護師です。
最初の3年ぐらいは白衣を着る普通の病院の看護師をしていました。
3年ほど夜勤もあるような看護師をして、結婚と出産を機に一度やめました。
その後、学校の保健室に就職しました。
—看護師として復帰する方も多いと思うのですが、学校の保健室のお仕事を次のキャリアとして選ばれたのはなぜだったのですか?
元々看護師を志した理由は、人の優しさがどこから来るのかを研究したいと思ったからでした。
高校生の頃に志望校を決める際、みんなは偏差値的に狙える学校を選ぶのが普通だと思うのですが、私は将来どうなりたいかを真剣に考えたんです。
その時に浮かんだのが、最終的におばあちゃんになった時に優しい人になっていたいという想いでした。
—高校生にして、人生の最後どうなっていたいかから志望校を逆算するなんて、なかなか珍しい高校生ですね。
はい、それは皆から言われます(笑)
優しさって、甘いだけじゃないし、人間のもっと本能的な感情だとか、いろんな経験をしていろんなことを感じることが必要なんじゃないかなと思って。
病気の人と関わるとそういう優しさが生まれる瞬間に立ち会えるんじゃないかと思ったんです。
実は、人生の各段階(終末期、誕生、思春期)に関わる仕事を順に経験したいという思いがありました。
病院では終末期の方や誕生の場面を経験したので、次は思春期の子供たちに関わりたいと思って保健室の先生になりました。
人の変化する瞬間に立ち会う感動
—保健室時代に印象深かった出来事はありますか?
出勤初日にやんちゃな生徒10人ぐらいが保健室に乱入してきて、「とんでもないところに就職してしまった」と思ったんです(笑)
でも、相手を決めつけずに丁寧に話したり、自分のことを丁寧に伝えたりしていったら、その子たちがめちゃくちゃ変わったんですよね。
あとは、受験に失敗して自信を喪失した高校1年生の男子が印象的でした。
毎日保健室に来て「死にたい」と言い続けていたんですが、1年後に友達ができて表情が変わり、嘘みたいに学校に通えるようになって。
人って関わり方でこんなに変化するんだなって。
「これ一生変わらんかもしれん」というような状況も、地味な積み重ねを毎日でも続けていったら、ある日パッと変わる瞬間が来るんだなっていうのを目の当たりにできることが、自分の原動力でした。

リワーク部門での新たな学び
—その後、心療内科のリワーク部門に仕事を変えられたんですよね?
それはなぜだったのですか?
保健室で10年働いて、医療に繋がったらもっとスムーズにいくだろうに医療と繋がってない子が多かったりして、精神的な疾患の知識も不足してるなと思うところがありました。
娘がちょうど小学校卒業するタイミングでもあったので、今度は医療の部分で心の部分で関われたら、いずれ学校に戻ることがあってもパワーアップして戻れるなと思ったんです。
—リワークでの仕事内容はどのようなものでしたか?
リワークはメンタルダウンして仕事を休んでいる方が元の職場に復職する前の数ヶ月間、仕事の予行演習として通ってもらい、生活リズムを整えたり、休職の原因を振り返ったりする場所です。
チームを組んで1ヶ月かけてプレゼンを作るなどの模擬仕事をしてもらい、働き方の強みや改善点についてフィードバックを行います。医師や臨床心理士とチームを組んで患者さんを見るスタイルでした。
医師や臨床心理士とタッグを組んで、お互いがお互いの職種をちょっとまたぎながら、専門外のところはお互い聞いて一緒に関わるみたいな感じで。
病気が作ってる表層と元々の性格って結構違うんですよ。
そこを多面的に捉えることができるようになったのは大きな学びでした。

価値観カードプロジェクトとの出会い
—そんな中で、今Honmonoでも取り組まれている価値観カードプロジェクトと繋がるお仕事があったと伺ったのですが?
リワークでストレスとの付き合い方などを週に1回講義形式で学ぶ時間があり、その中で私が担当する「これからの働き方」というキャリア教育の一環としてカードゲームを行っていました。
毎回参加者が前のめりになって楽しんでくれて、スタッフも楽しんでいました。
その授業をやった日は、皆さんが帰った後スタッフだけでやろうみたいなぐらい楽しくて。
自分の価値観を知ることって、なかなか大人になってそういう時間を改めて取ることって少ないし、それがわかると人生の道しるべを立てやすくなるから、周りの意見とかでぶれたりしにくくなると思って。
リワークの中だけでしてるのめちゃくちゃもったいないなって、企業研修とか学校とか日常の中にあったらいいのになってずっと思っていました。
コロナ禍を経てのキャリアチェンジ
—リワークからライター・デザイナーへのキャリアチェンジはどのような経緯でしたか?
元々文章や言葉が好きで、ブログとかメディア運営をしていました。
そして、コロナ禍に入った時に、クリニックがめちゃくちゃ大変だったんです。
感染症対策が十分取れない状況でもプログラムは止めるなという中で、私はリーダー職として板挟み状態が続いて。
3年ぐらい無我夢中でやってきて、やっと落ち着いてきた時に体が動かなくなってしまって。
娘も大学生になって経済的な目処もついたし、改めて自分の働き方を考えた時に、書くことが好きだったからライターの仕事を家で、家族に何かあった時にいつでもそばにいれるような働き方にシフトチェンジしました。
ライターの仕事をしていくうちに、画像やアイキャッチなども巻き取りで仕事を受けることが増えて。
Canvaも講座で勉強して、デザインスキルも身につけました。

Honmono協会での新たな挑戦
—Honmono協会に入った理由は?
代表の三井所さんが赤羽のコワーキングのワークショップでCanvaの講師の枠が空いているということで、Xで探されていた時に私がヒットしたようです。
面談してHonmonoのことを教えてもらい、コンセプトやコミュニティのあり方がすごく面白そうだと思いました。
自己紹介で価値観カードゲームの話をした時に、メンバーのヤンさんが「そのカードゲーム面白そう、やってみましょうよ」と言ってくださって。
実際でオフラインで会うミートアップでワークショップを実際にさせてもらったら、みんなが「めちゃくちゃ面白い」って言ってくれて。
リワークの時に「ここだけでもったいないな」って思ったことが、実際に外でやる機会を得て、やっぱり役に立つんだなって実感できました。

—それがきっかけで、今のHonmonoでのオリジナル価値観カードプロジェクトが始まったのですよね?
はい、その中で、「Honmonoオリジナルのカードを作ってみたら面白いんじゃない?」という話になったんです。
その流れで、他にもやりたいと手を挙げてくれたメンバーたちと共に、価値観カードプロジェクトを進めています。
元々の価値観カードとは異なった、自己理解や他者理解に焦点を当てたコンセプトをまとめているところです。
—Honmono協会の魅力は何ですか?
1人じゃできないような規模のプロジェクトをみんなでチームでできることが一番大きいです。
普段は出会えないような人たちと会えることも魅力です。
そして、自分の経験を生かして新しいことにチャレンジしたい時に、そのスキルを学べる場があることも重要です。
私、今後はライターとデザイナーの経験を生かして広報のサービスを立ち上げたいと考えているんですよ。
もしそのサービスを立ち上げながら行き詰まったりしても、気軽にスキルがある人に相談したり、利害関係なく話せる人がいたりするのは心強いな、と思っています。

ー編集後記ー
八木さんの歩みを振り返ると、一見異なる分野を渡り歩いているように見えますが、その根底には「人の優しさの源泉を探求し、人の変化する瞬間に立ち会いたい」という一貫した思いがあります。
高校生の時に抱いた「おばあちゃんになった時に優しい人でありたい」という願いは、形を変えながらも今なお八木さんの原動力となっています。
実際、八木さんはお話するだけで心がほぐれていくような、優しい人柄がとても印象的です。
Honmono協会という新たな舞台で、これまでの経験を統合した価値観カードプロジェクトに取り組み、さらに広報サービスの立ち上げにも挑戦される八木さんの今後の活動に注目です。
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