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キャリアに悩むワーママが、自己との対話ワークに半年間取り組んだら、「母親」という存在のトラウマに気づき克服した話

ワーママとして復職して約2年。フルリモートと時短勤務という恩恵をたんまり受け、仕事に対するストレスはほぼゼロだった。

「悩む要素なんざどこにあんねん。こちとらな〜〜〜!」という声も聞こえてきそうだが、人間はないものねだりなのである。その一例がこのわたしだ。

何に悩んでいるのかもわからない。だから、誰にどんなふうに相談すればいいのかもわからない。だけど毎日モヤモヤは続く。

そんな日々を過ごしていたわたしは、当時同僚だったはせがわみかさんのnoteが目に留まった。

常々彼女の行動力と才能に惚れ惚れしていたわたしは、藁にもすがる思いで参加を申し込んだ。

正直、知り合いに自分の本気の悩みを話すのは、ちょっと勇気がいる。だけど、みかさんに聞いてほしいと思ったし、みかさんだから全てさらけ出しても受け止めてくれると確信していた。


前置きが長くなってしまったが、今日はわたしが自己との対話ワークに半年間取り組み、考えてきたことや感想を書いてみようと思う。




わたし、7年前と変わってない。

・自分に自信がない
・今のキャリアにモヤモヤする
・仕事に誇りが持てない
・自分にしかできないことをやりたいけど、何をどうすればいいかわからない

2024年春のうえだの悩み

これは、わたしが半年前に悩んでいたことである。

主に仕事において、人と自分を比べては落ち込んでいた。今の会社に新卒で入社後7年も働いているのに、成長している実感がまるでなかった。周りの同年代はリーダーになって後輩を育てていたり、責任のある仕事を任されていたり、転職してキャリアを築いていったり・・・。

わたしだけ、変わっていない。進んでいない。ずっと同じ場所で何をしているんだろう、と落ち込む日も少なくなかった。


「わたしは仕事ができる」というセルフイメージは少しずつ、でも確実に崩れていった

学生時代から、目立つこと・人前に立つことがすきだった。単なる目立ちたがり屋でもあるのだが、優等生キャラとして生きるのが心地よかったのだ。

なぜ心地よかったのか?それは、「人よりも優れている」と思えていたから。

わたしが本当に優れていたわけではなく、わたしに与えられた役割(学級委員や生徒会役員、部長・リーダーなど)がそう思わせてくれていただけだったと、今ならよくわかる。

しかし、そのことに気がつかないまま、わたしは社会人になった。頑張ればわたしなら出世できると思っていた。「これでキャリアアップできる!」と社内の一大プロジェクトに参加するも、周りは仕事のできる大大大先輩方ばかり。

会議では一言も話せず、質問するのもドギマギし、必死に取り組んだものの当然評価はされず、プロジェクトが終わってもわたしのキャリアは何も変わらなかった。

「わたしって、こんなに仕事ができない人間だったんだ・・・」とショックを受けた。学生時代のあの自信は、パンパンに膨らませた風船が油断した途端空気が抜けていくように、おもしろいくらいにどんどん自分に自信がなくなっていった。


「出世」にこだわっていたワケ

わたしにとっての「出世」とは、肩書きがあることと、お金を今よりもうんと稼げていることだった。

なぜ出世することにこだわっていたのかを考えてみた。

・自分に自信をつけるために肩書きがほしかった
・夫の収入がなくてもわたしの稼ぎだけで生活を成り立たせたかった
・母親のようになりたくなかった

まず一つ目の「肩書き」については、前述の通り。肩書きがあることで自分の存在価値を認識し、「わたしはここに必要なんだ」と自分に言い聞かせたかった。安心したかったのだ。「わたしはその他大勢とは違う」と思いたかったのもあるかもしれない。

二つ目について。もう6年前になるが、夫が一時期闘病のため働けない期間があった。高額な医療費に生活費。そのとき、「自分に稼ぎがもっとあったら・・・」とどれだけ思ったことか。家族のためにももっと稼ぎたいと思うようになった大きなきっかけだった。

そして三つ目。ここで母親の存在が出てきたのが自分でも驚いた。これは自己との対話、そしてみかさんからの質問がなければ一生気がつかなかったかもしれない。ここから先は、向き合うのも苦しい母親について書いていこうと思う。



ずっと抱えてきた「母親」というトラウマ

昔は母のことが大好きだった。やさしくて、ちょっと鈍臭くて家族を笑わせてくれる母。だけど次第に父との喧嘩が増え、母の歪んだ性格や考え方を目の当たりにするようになった。

・被害妄想
・惨め
・自分のことしか考えていない
・他己責任
・他力本願
・お金がない

母に抱く印象

自分を産んでくれた母親に対してなかなかひどいことを思っているもんだなと思うけど、これだけの印象を持ってしまうほど、わたしは母親という存在にトラウマを感じている。

母に頼りたいと思ったことはないし、頼るなんてことすら考えたくなかった。母のことを考えるだけで、連絡が来るたびに嫌な気持ちになった。わたしの人生最大のトラウマは母と言っても過言ではない。


自分自身が母親になってから、母と自分を重ねるように

12年前の春、父と大喧嘩をした母は家を出て行った。それからは実家で暮らし、パートで生活費をまかなっている。

たまに会うたびに、お金に余裕はないんだなということは感じた。髪の毛はボロボロ、休日にどこか遊びに行くこともなく、自分にお金をかけられていないようだった。

冒頭にも書いた通り、わたしは自身のキャリアに悩んできた。いっそ会社を辞めて、パートでもしながら文章を書くという生活を送るなんていう妄想をしたこともあった。

だけど、「パート」=「母親」というイメージが拭えず、その一歩を踏み出すことはできなかった。パートになること自体にネガティブな感情を持っているのではなく、あくまで母親みたいになりたくなかっただけだ。

もし母のように離婚することになったら?

これは子育てを始めてからよく考えるようになったことの一つだ。もし勢いで正社員を手放し、パートになってから離婚することになったら、わたしも母のようになると思うとこわかった。


自分が母親になってから、母と自分を重ねるようになった。子育てを始めてからの自分はそれまで知らなかった自分だらけで、それは同時にわたしの母にとてもよく似ていた。

ヒステリックで、嫌味をネチネチ言う、自分のことしか考えていない、「わたしばっかり・・・」と常に被害者意識が強い。

わたしも母のようになるのかもしれない。母のように、家族を壊してしまうかもしれない。それが本当にこわかった。こわくてたまらなかった。


「うえださんとお母さんは別の人間なのに、どうして同じって思っちゃうんだろうね?」

「きっとわたしは母のようになる運命なんだ」
嫌な自分が出てきたとき、自信が持てないとき、いつしか諦めのようにそう思うようになっていた。

わたしにとって母とのことを思い出し、向き合うことは、これ以上ないくらい苦しい作業だった。そんな中、一緒にワークをやってくれていたみかさんに言われた一言。

「うえださんとお母さんは別の人間なのに、どうして同じって思っちゃうんだろうね?」


親子だから、血が繋がっているから、結局は似てくるしそうなると同じ末路を辿ることになるのだろう、と思っていた。

じゃあ、わたしの娘に対しても同じように思いながら接しているのか?と考えてみると、違った。

娘は娘、わたしはわたし。娘はたしかにわたしから産まれてきたけど、娘とわたしは別の人間だ。個体も違えば、その考え方や感じ方も違う。わたしは娘の母親として、娘の人生を応援したいし、できる限り支えたいと思っているけど、どう生きるかを決めるのは最終的には娘自身だと思っている。

ならば、わたしと母だって同じなんじゃないだろうか。

わたしと母も別の人間で、血は繋がっていても、育った環境、時代、見てきた景色、選んできたもの、考えてきたものは全部違う。

わたしは一体なにを恐れていたのだろう、とふと立ち止まって考えてみると、母という存在を言い訳にして自分を守っていただけということに気がついた。

わたしは弱い。初めて母親になったわたしは、もっと弱かった。言い訳をしないと、何かにすがらないと、明日なんて生きられなかった。


期待しない、背負わない。それでいいと言ってくれた

わたしはどこかで、母と仲良し親子になることを夢見ていた。いつかお互いに成長して、本音で語り合い、分かち合えるようになることを。

だけどそんな期待は、たまに来る連絡や年に一回会うたびに、無駄だと気付く。その繰り返しだった。

ワークをしているとき、まさに年に一回の帰省で会う日が迫っていた。わたしは「母に会うのがこわい」とみかさんに言った。こんなことを誰かに言うのは初めてだった。

みかさんに「なぜこわいと思うのか」を聞かれて、考えてみた。

・苦労話を聞かされると、わたしまで沈んだ気持ちになってしまう
・「今回は良い感じで会えるかも」と期待して、傷付きたくない
・お金がなく惨めな母親を見たくない
・無神経な母親のせいで、夫が嫌な気持ちになったらどうしようと不安

母に会うのがこわい理由

わたしが母に会うことがこわいと思う理由を聞いて、みかさんは言ってくれた。

「いい気持ちになることはない、と思っておくこと」
「嫌なことを言われたら、他人事のように話を聞き流せばいい」


いちばん苦痛なのは、母の近況を聞くことだった。少なくともこの数年、母の口からハッピーなことを聞いた記憶はないからだ。ここまで書いた通り、当然母にポジティブオーラなるものはない。いつもジメジメしていて、悲しそうに笑う人だ。

会う前はいつもドキドキする。嫌なドキドキだ。今回はどんな気持ちになってしまうのだろうかと、不安でいっぱいだ。だから、みかさんが言ってくれた言葉をお守りのように心に持ちながら、今回は会うことにした。


介護、パワハラ上司、生活保護・・・想像以上にヘビーな母の近況

母の近況は散々だった。実母の介護、病で倒れ半身麻痺になった実兄のお世話、パート先のパワハラ上司の話、古い家の修繕(する費用はないという話)、パートの母が唯一の稼ぎ柱だから、生活保護を受けるのも時間の問題だということ。

正直、びっくりしすぎて何も言えなかった。お金はないとは思っていたけど、実の母親が生活保護を受けるかどうかの瀬戸際にいると聞いて、動揺しない自信がある人はどれだけいるだろうか。

これまでのわたしだったら、この時点で確実にKO負けだった。沈むところまで沈んでいただろう。日常を過ごしていても、頭の中は母のことがチラつき、わたしがなんとかしなければいけないと苦しい渦に巻き込まれていたと思う。

「聞き流す」

お守りの言葉だけど、わたしには難しいことだった。だけど、わたしは変わりたかった。わたしはわたしを救いたかった。守りたかった。

だからわたしは、一生懸命、できる限り明るい声で、「大変だね〜〜〜〜」「ドン底じゃーん」と言った。本当は笑える状況じゃないことくらい、わかってる。だけど、わたしはわたしを守るために、笑った。

そんなわたしを母はどんなふうに思ったかはわからない。でもそれはどうでもよかった。わたしは必死だったからだ。


良心と自分を守るための答え

帰省が終わってから少しして、母から「電話したい」と連絡があった。今度こそ「お金を貸してほしい」という話だと、覚悟をして電話をした。

しかし、母はただ愚痴を聞いてほしいだけのようだった。内容は帰省のときとそこまで変わらなかったが、相変わらずドン底のような日々を送っているようだった。

母の声は笑っていたが、「もう何もかも捨てて、そっち(わたしたちがいるところ)に行こうかと思ったよ」と言われ、反射的に「いや、困るよ」と言ってしまった。

冗談でも、母の面倒を見る余裕はない。娘はまだ小さいし、これから子どもが増える可能性だってある。夫には持病があり、いつまた何があるかわからない。もちろんわたしも。

だけど、母の気持ちを思うと、少し、わたしが何か助けないといけないのかもしれないと思った。父と弟は完全に母との連絡を絶っているから、母にとってわたしが唯一頼れる身内だ。

それをよくわかっているから、「見捨てることはないと思うけど、面倒を見る余裕はないからね」と伝えた。それは本心だった。たった一人の母親。大好きだった。見捨てることはできないけど、面倒は見れないということで、母にとっても少しばかりは安心につながった気がしたし、わたし自身も守れた。ベストな回答だったと自負した。


夫はわたしの母親を「助けない」と言った

自分を守れた、大丈夫、傷付いてないと胸を撫で下ろしながら電話を切った後、近くにいた夫が言った。

「俺は反対だから」

最初はなんのこっちゃと思った。夫は、わたしの母を助けることに反対だと言ったのだ。つまり、母に何かあっても見捨てるということ。

理解するのに時間がかかった。それくらい、ショックな言葉だった。曲がりなりにも妻の母親に対して、「何があっても助けない」と言い切れる人間がいるのか。そしてそれが、わたしの夫だなんて。

夫の一言で、わたしは、わたしも母も海に投げ捨てられたような気持ちになった。助けがなければ二度と上がれないような、そんな息苦しさを感じた。

夫は、わたしの母が今後何かしらの形で助けを求めてきたときに、助けることでわたしたち家族の幸せが脅かされると言った。わたしが一人で助けると言っても、それはどのみち夫と娘も巻き込まれることだから反対する、と。

そう言われてわたしは咄嗟に、「じゃあ、わたしがあなたの両親を助けたくないって言ったら、それに従うの?」と聞いた。夫は真っ直ぐわたしの目を見て、「うん」と言った。夫は本気だった。

これまで散々母のことで苦しみ、悩み、泣いてきたわたしをいちばん近くで見てきた夫。そんな人の言葉を、わたしは無視できなかった。


衝撃の言葉で決意したこと

夫の言葉を聞いて、泣きたかった。悲しかった。感情がぐちゃぐちゃだった。自分の気持ちを落ち着かせるために、わたしは書いた。すると、冷静な自分が出てきて一緒に考えてくれた。

「もう一人の自分をそばに置いておく」
生きやすくなるコツも、みかさんは教えてくれたのだった。


冷静なもう一人のわたしは、もし母親を助けたらどうなるかを考えた。一時は「母親を救えた自分」「親孝行ができた」と、清々しいヒーローのような気持ちになるかもしれない。だけどその先は?

一度でも、少しでも助けたら、きっとずっと頼りにされるだろう。金銭が絡むことは特に。それがなくとも、母の問題に手を貸すこと、首を突っ込むことで、確実に私たち家族に影響が出ることはわかっていた。現にいまこうして、母のことで苦しい思いをしているのだから。

踏み込んだら二度と抜け出せない。また自力で戻れる力があればいいけれど、今のわたしにはその自信がない。沈むところまで母と沈んでしまいそうだ。わたしは幸せなはずなのに。


そうだ。わたしは今幸せなのだ。この幸せは、母からもらったものでも、道端に落ちていたものでもない。わたしと、夫と、娘でつくってきた、何にも変え難い時間である。

それを脅かしてまで、わたしは母を助けたいのか?

答えは「NO」だった。



わたしはやっと、わたしの人生に戻れた

何不自由なく暮らし、友だちにも恵まれ、夫と娘にも出会えた。仕事もあるし、こうして書くという趣味も楽しめている。我ながら、穏やかに温かい人生を過ごせていると思う。

そんな光に溢れた日々に影を落とすのは、決まって母の存在だった。母が悪というわけではない。たった一人の大切にすべき存在を、心から大切にできない自分が嫌だった。実の母親に対して、こんなことを思ってしまう自分はなんてひどい人間なのだと。

その罪悪感からなのか、わたしは母の苦しさに同情するだけでなく、一緒に沈んでしまうようになった。いつからか、「母の問題」を「自分の問題」として背負うことが自然になった。

だから母に会うことが怖かった。自分では到底抱えきれないとわかっていなかったわたしは、母の暗く重い問題と真正面から向き合わなければいけないと思ってしまっていた。

だけど、ワークを通して「背負わなくていい」と気づけた。誰かにそう言ってくれるのを待っていたのかもしれない。わたしと母は親子だけど、わたしにはわたしの、母には母の人生があり、それは一つの人生ではない。

それがわかって、わたしはやっと、わたしの人生に戻ることができた。

きっとまた、母の闇に引きずりこまれそうになることがあるだろう。正直怖い。だけど、そうなったときに逃げ出す方法を今のわたしはもう知っている。

自分の目の前にある幸せを見つめる。
いつでもそこに幸せがあるように、わたしはわたしの幸せを大切に守っていく。


自己との対話ワークで得られたもの

これまで気持ちが沈んだときは、書いて、自分で自分を救ってきたつもりだった。誰にも見せないと決めていたからこそ、とことん自分の汚い部分を書いて、モヤモヤを解消してきた。

だけどそれはその場限りのもので、また悩んでは苦しみながら書くを繰り返すしかなかった。一時は自分を救えたと思っても、「解決」はしなかった。


それが今回、「自己との対話」というワークでわたしは救われた。信頼できる人に話を聞いてもらうことは、一人で気持ちを書き出すことよりもずっと深く自分と向き合うことができた。「なぜ?」と人に聞かれて、はじめて自分の本当の気持ちに気づくこともあるのだと知った。

おもしろくもない、言葉にできていないモヤモヤをポツリポツリと、順序もめちゃくちゃな話を聞いてくれた。そしてそのつぶやきに近いような独り言に対し、興味を持って「どうして?」とどんどんどんどん、わたしも知らなかったわたしの深いところまで扉を開けてくれた。

最初は問いに対して答えることが難しかった。自分では考えたこともなかったような質問ばかりだったから、自分の中に答えがないのは当然だった。だけどそんな時間を繰り返すうちに、わたしはわたしの話を前よりも上手に聞けるようになった。

それはまるで、もう一人の、悩んでいるわたし「じゃないほうのわたし」が話を聞いてくれるようだった。フラットで冷静なもう一人のわたしは、時にわたしを鎮め、時にわたしを思い切り褒めてくれる、心強い存在だ。


ワークを始める前に抱えていた「モヤモヤ」は消えたのか?

そもそも、今回ワークに参加した目的は、「キャリアに対するモヤモヤを解消すること」だった。半年間のワークを終えて、そのモヤモヤはどうなったかというと、完全に消えてはいない。だけどわたしは今、清々しい気持ちでいっぱいだ。

完全に消えることはない、度々現れてはわたしを惑わすそれの正体を突きつめ、解消するかひとまず置いておくか一旦忘れるか、その対処法を自分で選べるようになったからだ。その術をワークを通してわたしは学んだ。

モヤモヤと向き合うときにいちばん力を発揮してくれるのは、「自分にとって幸せとは何か?」という武器である。

自分にとって何がいちばん大切で、どんなときに幸せを感じているのかをわかっていることで、モヤモヤが現れてもブレずに冷静に見つめることができている。

母とのことや自身のキャリアについて気持ちが揺らいだときも、自分にとっての幸せがわかっているからこそ、その幸せをなくさないように足元を見ることができる。自分の人生に集中することができるのだ。

自分にとっての幸せは都度変化していくものだ。「これ!」と決めなくていい。大事なのは「今の自分がどう感じているか」ということだと、みかさんは繰り返しわたしに教えてくれた。


最後に

心強いもう一人のわたしを生み出してくれたこと、自分でも気づいていなかったトラウマに一緒に向き合ってくれたこと、自分を守る術を教えてくれたこと。

半年間、自己との対話ワークという形で全力でわたしに寄り添ってくれた、はせがわみかさんに敬意と感謝を込めて。

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