正しいと思ったときほど
今、noteに書きたいことが溢れていて、どれから書いていこうかなと。
出来事の時系列でいえば、私の知人が起こす、労働裁判について。
知人がパワハラで同じ職場の先輩を訴えた。
代理人弁護士が作成した書類も、加害者とされている本人から読ませてもらった。
私、その会社には勤務していないけど、
被害者
加害者
その周りにいた従業員
登場人物は、知人や友人なのね。
だから、「ももまろに話せば、すぐに通じる」とばかりに、三方向から愚痴を聞いていた。
一緒に働いてないし、直に見てないから、誰が被害者、誰が加害者と私はジャッジしない。
話を聞いていて興味深かったのは、(便宜上)加害者と呼ぶ人物も、自分を被害者だと感じていたことだ。
被害者がマイペースで業務に取り掛かり、全体の士気が下がる。予定不調和になったことがあると話していた。
一方の被害者は、加害者から強い語気で捲し立てられるので、焦って失敗が増えた。
モノには言い方があると言っていた。
この人達を取り巻く第三者は、
「被害者も加害者も、どっちもどっち。
ただ、加害者のキツい言い方は周りが注意していた。しかし、加害者は、被害者が周りを味方につけて自分(加害者)はイジメに遭ったと社長に告げ口していた。注意できなくなった」
第三者の話では、
加害者は被害者から仕事を取り上げて、繁忙期にも関わらず被害者に読書だけをするよう命じたので異様な光景だったと話していた。
こんなことが続いたあと、加害者からの強い口調で叱責を受け、被害者は会社で過換気症候群に陥り、早退。出勤できなくなり、うつ病の診断を受けた。
且つ、被害者が直近で取得した国家資格も、精神疾患があると従事できないのだという。
たとえば、溶接の資格なら、溶接はやらせてもらえないらしい。
将来、独立を見据えて取得した資格だったので、将来設計まで影響を受けたと感じているのかもしれない。
同じ出来事でも、人は自分を被害者だと認識することがあるんだなと思った。
人様の例はテキスト。
人を裁くためではない。
自分が同じ過ちを繰り返さないための教材だ。
私はこれらの話を聞いて、自分こそ正しいと思ったら立ち止まる。言葉は慎重に選ぶ。
頭の中でシミュレーションし、言動を選択する。
本当に常日頃から意識しておこうと誓った。
イメージ戦略も大事だよ。
良心だけではなく、理性も使う。
「周りから自分はどう見えるだろう」
と一度立ち止まる。
誰かを精神的に追い詰めることだってある。
そうなってからでは、後悔は先に立たない。
