Photo by
hidemaro2005
「優しい」の迷路で友達を見る
今、友達が「つらく悲しい」と、苦しんでいて
友達の問題に断りもなく立ち入らない自信がない
だから、そっとしている
友達は、問題を言いたくないから黙っている
「つらい、苦しい」は言いたいけど
触れられたくない出来事があったのか
自分で解決しようとしているのか
今のわたしにある「優しい」は
飼えない野良猫に餌をやってしまう
泣いている子どもに飴を差し出す
優しさの本質とかけ離れた行為で、手を差し伸べ
上辺だけの同情からくる言葉をかけそうで
「あの人は優しい」「この人も優しい」
毎日のように優しいを見る
だけど「優しい」に優しい視点の高さがあるか
甘い言葉をかけているだけではないかと
わたしは捻くれているから、考える
わたしのは言い訳だし、逃げている
友達にとって優しさが本物に感じてくれたら
それは本物で、それ以上もそれ以下もない
友達から、どんな話を打ち明けられても
共感し、受け止める力量があるとは思っても
理解できない痛みを、身をもって知っているか
友達に優しさを拒絶されて腹を立てない強さが
今はないと思うのよ
今は「優しい」の迷路で友達を見ている
