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流行? 知らん。私は自分の世界観を書くだけ

 わたしは人様の側面しか知らない。
もちろん、人様もわたしの側面しか知らない。
B'zの曲にあった『イチブトゼンブ』がそれを言い当てている。

 だから、人様へ寛容になれる部分もあり、
わたしが悪く言われても
「知ったかぶり、ご苦労様」と思う。

 リアルでこんな感じなのに、ネットではもっと思う。「わたしは相手の僅かしか知らない」
「相手もそう」

 他人の心情や人格を自分の気持ちで決めつけて、
自分は愛されてないとか自分は必要とされてないとか、アイツは人格障害とかボロクソに言って、
他人の承認や欠落を、自分の安堵する基軸にしないのが生きやすいよ。

 自分の気持ちだって、糸が切れたタコのように宙を舞い、日々ブレブレになるのなら、他人もそうだよ。生きて生活しているんだから。

 そして、人様は人様の生活があれば軸がある。
人様がやりたいことや好きなこと、個人のペースに乗り、やっているのだから
外野にいる小姑は「ウルセェ」

 どうして自分と他人を切り分けて考えないのか不思議ですよ、本当に。

 「人は人、自分は自分」と言いながら、人様のペースやニーズが自分の思ったものと違うと、ガミガミ言うのは何故かな。
団体行動、会社組織や自治会じゃないのにね。

 たぶん、自分すら見えてなくて、頭が硬いからなんでしょうね。
自分の見たい側面だけ見て、人様の見えている側面だけ見て、自分の思い通りに人様を動かしたい欲が働いているのでしょう。

 それで、自分も人様から同じようなことをされたり、反発を喰らうと被害者意識を持つ。
ある意味、それは人様にとって迷惑行為だと思う。


 
 talesが創作大賞2025のエンタメ原作部門の募集を始めた。4月はnoteも各部門の創作を募るだろう。

 しかし、わたしは参加する予定はなく、主催者のニーズを分析しても、自分の書きたいものとは違うので、わたしは今まで通りに自分が書きたいものへ特化する。

 わたしは創作大賞に出さない。
でも、だからといって書くのをやめるわけじゃない。
むしろ、わたしは私のやり方で書き続けるだけ。

 投稿してないだけで既に創作は4本あり、
今、流行りのキャッチーでポップな流行に擦りもしない。
 よって、出してもまた、わたしの落胆コレクションが増えるだけで、創作大賞は見送っていいかって。

 わたしが書きたいのは、人の絶望であり、失望であり、胸糞であり、必ずしもハッピーエンドで終わらない。
 転生しないし、令嬢はいないし、王子様みたいな夫とハッピーエンドは、わたしの好みじゃない。

 だけど、今まで通り淡々と自動投稿へ創作をし続ける体制でいる。

 わたしは賞へ縛られずに書き続ける。
自分のスタンスは、わたしのスタイルで書くこと。

 創作活動は時に孤独で、周りから理解されにくく、賞に縛られると主催者の傾向を分析して、自分が書きたいものと違い、落ち込んだりする。

 もうさ、わたし、『note界の太宰治』でいるわ。

 芥川賞の選考時、太宰治は、川端康成に
「作家たるもの、こうあるべき」
品行方正じゃないから“No”を突きつけられた。

 それって創作大賞でいう
「note運営や版元が『スタバでコーヒー飲みながら読める、オシャレカジュアル創作じゃない』」に似て
「はいはい、分かりました。お前はな。
ワシは自嘲しながら鬱々や虚無を増産してやる!」
あら、わたし。太宰治が憑依したかと思ったわ。

 こう内観すると、わたしにとって創作とは、
自分を救うものであり、自分を超えるためのツールなんだと思う。

 公募に参加しようが、するまいが。受賞しようが、するまいが。どちらも価値ある創作者であるのを忘れないでください。
自分の世界観を築く過程だからね。
そもそも創作という感性に勝ち負けは必要ないよ、
感性に優劣をつけるから、お笑いコンテストの後、ネット民が荒れるんでしょう。

人間は他と比較するのが本能だからね、仕方ない。

 わたしは書くのが好き。これで楽しみながらやっていきますので、よろしくね。


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