わたしは空気じゃない、あなたもね
過去。見る人から見れば、わたしはイジメっ子だったのだと思う。
自他共に認めるスクールカーストの上位に君臨すれば、底から見上げるとわたしはイジメっ子。
手を出さなくても、悪口を言わなくても、わたしの視界には入らないと話しかけることがなかった。
卒なく振る舞っていたつもりになって、あの頃は恨まれたり、憎まれたりしたんだろうと振り返る。
さて、今朝は自省を交えて、
『ピラミッドを壊せ!』を追及しますわ。
・はじめに
内輪のノリ、ヒエラルキー、ピラミッドはどこにでもある。身近な職場や地域コミュニティにもある。
気軽に参加できるのに、
なぜ、見えない壁や高さがあるのかな?
わたしが見ていると、ピラミッドに
「はいる人」「いれる人」があり、
『はいる人は延々とピラミッドの下』
『いれる人はスムーズに上へ』招かれる。
選ばれない者と選ばれし者がいる。
「がんばってるのに認められない人」と
「自然と受け入れられる人」って、職場でも地域の集まりでも、どこにでも居るんだよ。
前者は「自分が足りない」と自責に陥るけど、
実際は『構造』がそうさせてる。
イジメではないけど、
閉塞感が入れない人の心へ圧力をかける。
この圧力を一般的に『空気』という。
なぜ、ピラミッドはできて、ヒエラルキーになるのか。聞きたい?
ヒエラルキーは『分かりやすさ』なんだよね。
カオスより、序列がある方が人は安心するじゃん。
特に人が集まる場所では、「ルールなきルール」ができて、それを守る人=仲間として扱われる。
空気を読むって、そういうこと。
そして、『閉塞感』
これは『見えないルール』による抑圧。
『同調圧力』ともいう。
イジメじゃない。誰も悪くない。
でも、空気が語る選別がある。
例えばね、地域の集まりや職場だと
「あの人、○○さんと親しいから中心メンバーになれる」
「あの話し方ってこの場に合ってるよね」
「あの話題なら目立てる」
そういう【正解】が、暗黙の正義になる。
すると、そこから外れる人は
『居ても居ない』扱いになる。
さっき、わたしが書いた無視でも否定でもなく、ただ視界に入らないってところ。
ピラミッドの怖さは、
悪意じゃなくて無意識の秩序なんだよ。
・ 誰も悪くないのに、心は傷つく
・ 空気という名のルール
・ 正しさを装う閉塞感
この三本がスクールカーストであり、ネズミ講であり、日常に蔓延って心が蝕まれる柱。
ひとりで居るときは、これらで悩まないじゃん。
お金・承認・仲間意識
この三つが絡むと、カルト宗教やMLMと同じ構造が自然とできあがる。
地域コミュニティや職場も人とつながる場と言いつつ、心理的に序列が生まれやすい土壌があるんだよね。
だから自然と人間関係は上下に分断されていき、
取り残された人は、我が道を歩むか、離れていくかに分かれる。
1. 誰も悪くないのに、心は傷つく
誰もあなたは入っちゃダメなんて言ってない。
しかし雰囲気や話題が決まった輪で回り、新しい人が話しかけても無視じゃなくて、流される。
言葉に反応がないのはあなたのせいじゃなく、
反応がもらえる関係性が既にあるから。
入れない人は、自分が足りないからだと思って黙って傷つく。
悪者はいないんだよ。でも構造として排他になってる。
2. 空気という名のルール
見えない規範って、ほんと厄介だよね。
地域の集まりや職場の会話で目立つ人はどんな人?
決まった話し方、決まった話題、決まった振る舞い。
その場特有の「正しい流れ」ができちゃって、ちょっと外れると「う〜ん、なんか違う?」ってスルーされちゃう。
これで人は見えないルールに合わせるようになっていく。
空気に最適化していくとは、個性が空気に食べられていくときでもあるのよ。
高校時代。女子はルーズソックスとローファーを履き、ベストはラルフローレン。ミニスカートで街を闊歩した時代。女子は判を押したように皆がお揃いで、どこに個性があったか聞きたいわ。
これらについていけない子はどれだけ閉塞感に包まれて、学生時代を苦い思い出に変えたのか。
自分たちが思春期に通過した痛さを中年になっても繰り返すとは、タチが悪いとしか言えない人も出てくるだろう。
3. 正しさを装う閉塞感
あなたのありのままで自由に振る舞ってと言いながら、「好まれる話し方」「嫌われない態度」って指南が溢れる。
ダブルスタンダードに気づいていたかな。
共感を得ようとすればするほど、自分が後退して、正しさが前に出てくる。
ありのままに正解があって、どうすんのさ。
「バカも休み休み言えよ」と思うのは外野だけ。
そして、正しさを守る人たちの中に入れなければ、「あ、自分は合ってないんだ」引くしかない。
これって正しさがルールを支配する社会と同じ。
地域コミュニティや職場でさ、自由に意見を言える場のはずなのに、なんか見えない枠にガチガチに縛られてる。高校時代でいうなら、ルーズソックスにニットのベスト着てなきゃ「女子高生失格」みたいなノリ、分かるでしょ?
大学に進学しないと人じゃない扱い。
風が吹けば飛んでしまいそうなガリガリの体型じゃないとモテませんなどの洗脳。
じゃ、ピラミッドを打開する、本当に開けたコミュニティを作るにはどうすればいいか。
スクールカーストの上位に居たわたしだから説明できる。
4. オープンなコミュニティの作り方
ピラミッドは要らん。
でも秩序は保ちたいって、理想論じゃなく現実に運用できる、オープンなコミュニティはどう作るのって話になるよね。
結論から言うと、3つの材料にあると思う。
a. 上下ではなく“循環”を構造化すること
ピラミッドの問題は「上が与えて、下が受け取る」構図。
じゃなくて、与えたり、受け取ったりが巡る循環型にする必要ね。
地域コミュニティや職場を例に引き出すと、会話や協力が目立つ人やリーダー格に偏らず、みんなで関わり合う文化を育てる。
定期的に新しい人を紹介する機会を設ける。古参が新参者を歓迎する仕組みも循環を生む。
「上へ行く」じゃなく、「横につながる感覚」
b. 空気に代わる明確なルールと言語化
「なんとなく無視される」
「なんとなく受け入れられない」空気がつらい。
だから何が評価されるのか、どう関われるのかをルール化 or 可視化したらよくないか。
今、思いつく限りだと、誰がどんな貢献をしたか、例えばイベントの準備やアイデア出しが明確に共有される仕組みや、参加者がローテーションで役割を担うシステム。
交流の場で「こんな話題なら気軽に話せるよ!」ってガイドラインを作って、みんなが参加しやすい空気にする。
そうだな、「政治や宗教、思想はちょっと置いといて、最近ハマってるドラマや地元の美味しい店、週末の予定とか、気楽な話題で盛り上がろう」的なヒントをイベントの最初にチラシで配ったり、司会がサラッと伝えたり。
昔は「政治、宗教、野球」が会話のタブーだったけど、最近じゃ野球ファン減ったよね。
でも、こうやって「みんなが楽しめる会話のコツ」をハッキリさせると、初対面でも
「何話せばいいんだろ」のモジモジが減って、誤解や気まずさもなくなる。
ガイドラインはガチガチのルールじゃなく、
「せっかく集まったんだから、みんなで笑おう」とノリで伝えるのがミソ。
空気に委ねず、透明性と多様性を両立させんの。
c. 演出より“素”が報われる評価軸
今はうまく振る舞う人や目立つ人が評価されやすい。
でも、それって演技がうまい人が得をする仕組で、心からの行動が埋もれやすい。
どうすればいいか考えると、
評価軸に【誠実さ】【独自性】【未完成】を入れる。
分かりやすく言えば、誰かの小さな親切や面白い提案に感謝を伝え合う文化や、完璧じゃないアイデアでも「いいね!」と応援する場を作る。
未完成な試みでもフィードバックが集まりやすい。
行動を成果ではなく生き様と捉える文化を形成する目標。
わたしが目指す方向は、対等な関係性が息づく場。
ピラミッドを崩すには、一人ひとりの声が重なることで価値になるって思想が必要なんだと思う。
・あとがき
高校時代、入りにくいコミュニティがあった。
サブカル系は独特の世界観があり、距離を詰めるのが難しかった。
しかし、一曲の作品が目立つ子や目立たない子、真面目な子、斜に構えた子をつないだ。
ピラミッドなどない、平坦な関係性が今は眩しい。
人生の「オールナイトロング」
石野卓球やピエール瀧がインディーズ時代に出した曲は、歌詞が多感な16歳を共通の笑いでまとめた。
冬の学校は、それぞれが両手にミルクティーを挟んで登校した。記憶に残らない会話をして、昨日と変わらない今日が明ける朝。教室の隅から“とんでもないリリック”が流れてきた。男女問わず、一斉に目線が向き、一斉にお腹の皮がよじれるほど笑いの渦が流れた。
恥じらいがあるものを爆発させて、踊りながら大合唱し、多様な価値観にある共通点で仲良くなれた。
高校1年の冬。男子の目なんて気にしない!
クラスの女子、全員が廊下でダンスをした懐かしさ。
だからわたしは空気じゃない、あなたもね。

