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【思考のワクチン】水も空気も危険に見える社会で

 わたしはとても悲しい。
学歴があっても、なぜこんなに多くの人が考えることから遠ざかってしまったのか。

 白目になるような話を真顔で語る人がいる。
どこで何を取りこぼしてきたのか。
それを考えると、やっぱりあの教科のことを思い出す。



1. 甘い毒は、いつも希望の顔をしている


 目の前の現実がしんどくて、未来に何の光も見えないとき、人は「誰かのせいだ」と言ってくれる物語に飛びついてしまう。

 その物語は大体美しく、希望に満ち、わかりやすくて、自分が正しい側に立てる。
 でもそれは、思考ではなく快楽。
つまり『麻薬』

 ドハマりした人に正論で言い返しても、相手は孤独に閉じこもり、より依存を深めてしまう。
ゆえに、たとえ家族が『麻薬』の沼にいても、救わなくていい。自分を守る。

 親や兄弟を変えるのではなく、自分の心と物理的な距離を確保しよう。

2. なぜ、そんなものに惹かれるのか?


 人は複雑なことを考えるのがしんどい。
でも社会も科学も、基本は複雑でグレー。

 それを子どもの頃から教えてくれていたのが、理科と社会だった。

 たとえば地球温暖化は、二酸化炭素だけの問題じゃない。選挙制度は完璧ではないが、少しずつしか変わらない。
 こういった、もどかしい現実に耐える力を、わたしたちは授業で手にしていたはずだった。

3. 理科と社会は、ワクチンだったかもしれない


『疑うことを学ぶ』             理科(仮説と検証、証拠と因果関係)

『多様な視点に触れる』              社会(歴史・政治・地理・経済)

 大人になってから陰謀論にハマる人の多くは、この授業を暗記科目としか思っていなかったのかもしれない。
 けれど本当は思考の筋トレだった。

 薬物のように甘くて強烈な物語に呑み込まれないための抗体づくりだったのかもしれない。

「H₂O」はただの水。
でも「一酸化二水素」と言い換えれば、なんだか危険そうに聞こえる。

「NaCl」=塩も、「塩化ナトリウム」と言えば劇物っぽい。

「C₁₂H₂₂O₁₁」=しょ糖。甘くて身近なもの。

 こうやって名前を変えたり、一部の性質だけ切り取ったりするだけで、物事は危険にも安心にも見える。

 それこそが、陰謀論の常套手段だったりする。

「あなたを取り巻くモノの正体は、
窒素 (N₂): 約78%、酸素 (O₂): 約21%、アルゴン (Ar): 約0.9%、二酸化炭素 (CO₂): 約0.03%です。
危険に侵されています」

 そう言われると不安を掻き立てられそうになるが、これはただの「空気」のこと。

「自分だけが真実を知っている」
どうして真実というのか?
事実じゃないのか?
そして真実が個人ブログで展開されるのか?

 陰謀が隠れているからじゃないよ。

 知識がない、もしくは一次ソースを見ない。
メシアや光の戦士がやって来たような錯覚に陥り、現状に希望を見出せないから、
『自分だけが真実を知っている』という耳に心地よい幻想へ逃げ込む、気持ちいい麻薬なんだ。

 陰謀論を信じる人は元々が善良で、正義感が強い。それ故に社会へ絶望し、詐欺師に心身を委ねてしまった。本当は被害者。

 では、加害者は誰なのか。
本当に怒るべき相手は誰なのか。

 どうして、そんな麻薬が蔓延する物語が流行ってしまう社会になったのか。土壌についても考えたい。

 政府はこの30年、国民に大きな負担を強いてきたにもかかわらず、その分の希望や安心を十分に還元できなかった。

 結果として、今のように極端な主張や怪しげな団体が目立つようになってしまったのかもしれない。
 
 そうした空気が育った土壌には、政治の停滞や責任の所在の曖昧さがあった。

 また、わたし達自身も「おかしい」と感じながらも、なかなかNOと言えなかった場面があったのではないか。
 
 不安や孤独に寄り添うフリをしながら、
「これが真実だ」と語る物語を掲げ、高額な救いを売る人たちも現れる。

 結果的に社会への信頼や政治の健全さは、さらに損なわれてしまう。

4. 最後に


 正解を提示する誰かを
信じたくなる気持ちは、誰の中にもある。

 なので自分の思考をサボらないために、理科や社会で学んだ面倒な手続きを思い出してほしい。

 予防接種のように、即効性はないかもしれないけれど、じわじわと効いて人生を守ってくれる。

 わたしたちはもう大人だ。
それだけに何を信じるか、どう疑うかを自分で選べる。

 でもその自由には思考の筋力が必要だ。

 思考を止めることは、信じる自由を手放すこと。だからわたしは理科室の匂いを思い出す。
地図帳の中で国が動いた時間を振り返る。

 あれはわたしの心にワクチンを打っていたんだと思う。

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