嫉妬祭り 最後の独り言
当然ですが、人間は様々な性格や思考があるわけなんですよね。
結論はこれです。
現在、池松潤さんが斉藤ナミさんと共に『#嫉妬祭り』を開催なさり、嫉妬について深掘りしながら、他の方々が投稿された記事を読み、更に自分を振り返る機会になった。
嫉妬は、自分が欲してないものまで雰囲気に呑まれてニセモノの嫉妬が湧いてくる場合があるのに気づいた。
分かりやすく説明すると以下になる。
1.高校時代のエピソード
高校時代、わたしは陸上部に所属していた。
短距離走をやっており、瞬発力はあっても持続力がないのは自身を分かっていたのでそうした。
もとより、陸上部に所属するのも、他の部活へ所属するのも、部活ならなんでもよかった。
なぜなら、内申書に書いてもらうための道具。
陸上競技で活躍し、大会に出場して優勝するのが目的ではなく、内申書を良くするため。
当時の大学受験は、AO入試、推薦入試、一般入試に分かれており、推薦入試に欠かせないのが内申書だった。
そのため、成績は常に国立大学の基準値である
4.3/5.0以上をキープし、クラス委員であろうが、ボランティア活動に声をかけていただこうが、生徒会長に推薦してもらおうが、快諾した。
全て、内申書を良くしたい。手段を選ばず、大学進学したかった。
こんな中でも不思議な自分を発見したのが、偏差値について。
模試を受けた後には、主催者側が全国の高偏差値の人だけ名簿にして配布する。
こんなわたしも名前を載せてもらったのだが、周りから「ももまろっち、すげ〜!」と言われるまで全然知らなかった。
凄いと褒め立てられても心が動かず、そんなことよりも電離定数を用いて水素イオン濃度を表す式がバツだったのは頭から離れず、クヨクヨしていた。
「どうしてこんなに頭が悪いんだろう」
やっぱり自分には化学のセンスがないのかもしれないと、進路変更を思い詰めたほどだ。
受験に心血を注いでいたはずなのに、自分が得意だと思っていたものができなかった悔しさが勝った出来事。
卒業式後、同級生がどこへ進学したかほとんど知らない。
「アイツ、東大行ったって」と聞いたところで
「あの子、目立たない人だったよね」程度の返事をして、今は名前すら覚えてない。
誰それは○○を狙っているらしいという噂に嫉妬していた18歳。
心底、嫉妬していたならもっと偏差値争いにエネルギーを費やし、卒業後の進路さえ嫉妬していいはずなのに、周りの雰囲気だけでニセモノの嫉妬心が湧いていた自分がおかしくてたまらない。
2.noteにリンクさせたエピソード
noteにリンクさせて話を進めると、『今日の注目記事』を読んだことがなかった。興味や関心がなく、そんなもんがあったんだと思うほどだ。
なのになぜ、わたしは嫉妬心が出て、今は嫉妬しなくなったんだろう。
興味がないものが比較の対象になったのか、考えてみると、それは雰囲気に呑まれただけで自分がほしいものではないと気づいた。
お陰様でnoteをやってきて、コンテストや今日の注目記事、note以外でも入選などをいただいているが、noteを含めたSNSで報告したこともなけりゃ、
結果について関心がこれっぽっちもなかった。
初めてこの記事に書くのかもしれない。多分。
複数の手段を選択して目的に向かう。
高校時代の話どおり、わたしは自己満足するのが目的で、他人からの評価は不要なんだと感じた。
しかし、この心の現象が特殊だと思えない。
3.私の「キンクマとタツジュン」』創作大賞
創作大賞で落選しようが、わたしがいいと思ったのだから、これからも創作を続けていく。
他人の評価は所詮、他人の好みであり、
わたしが自分の創ったキャラクターや物語を否定する理由にならない。
落選したから、自分が創作することを間違っていたとは思いたくないし、自分が与えられたnoteに、自分が物語を紡ぐことは、むしろ私個人の正しい在り方に思う。
目的は書くこと。
主催者の好みに合わせた受賞じゃない。
落選は自分が否定されたようで悲しみに溢れたが、キンクマやタツジュンを描くことまで否定されたのではないと、考えを変えた。
わたしは商業作家を目指してなく、有名人になりたいとも望んでない。
心の中で他者との書くことへの差別化し、嫉妬心がなくなった。
作家になりたい人がいる。
ライターになりたい人、有名になりたい人。
マネタイズしたい人、交流したい人。
わたしのように書くことが息抜きの人間もいる。
メンバーシップや企画に参加し、課題は書いて、100%、我が道を突き進んでいない現状から、今の姿勢は人へ嫉妬せず、気楽な生活だと満足している。
4.他者にもありそうなハナシ
学校や会社、コミュニティにモテモテのAがいたとする。周りがAをちらほやして、やがて誰かがAに恋したと耳にして「自分もAが好きかも……」
気持ちが芽生えてAに纏わることで、自分の嫉妬が燃え上がり、撃沈する。
ところがある日、気づく。
「自分って本当にAが好きだったの?」
周りの雰囲気に流されただけじゃなかったの?
後々になり心の上書きやフォルダにも保存されないAの存在。
保存されていくのは、キラキラした宝石ではなく、
自分にとって唯一無二の石たち。
人の心にはヒロイニズムが潜んでおり、これがニセモノ嫉妬を作り出す正体ではないかと思う。
5.ヒロイニズムとニセモノの嫉妬
ヒロイニズムは、悲劇のヒロイン的な自己演出や、どこかドラマチックな自分を求める心の動きを指しているのかなと解釈した。
そして、ニセモノの嫉妬と結びつくのは、周囲の状況や他人の輝きに反応して、自分をモテモテAとの物語の主人公に仕立て上げようとする過程で、偽物の感情が生まれることかもしれない。
たとえば、モテモテのAを見て
「自分もAを好きかも」と感じる瞬間は、Aそのものに惹かれているのではなく、「Aに恋する自分」や「Aを巡るドラマの中心にいる自分」を想像して、そこに感情が乗っかってくるのかも。
そうすると、嫉妬してる対象はAじゃなくて、
自分が主役じゃない状況に対する不満だったり、周囲の盛り上がりに取り残されたくないという焦りだったりする。
そういう意味で、ヒロイニズムが
「本当は欲しくないものへの嫉妬=ニセモノの嫉妬」を作り出す動機になってるんじゃないかと分析した。
6.本物とニセモノの嫉妬たち
受験、今日の注目記事、モテモテAに恋をし、
崇めて挫けることで生まれる自己憐憫。
悲劇のヒロインになる自分へスポットライトを当てる行為はカタルシスが、自分を大切にするプロセスや証に思えてきた。
魔法が解けたようにケロッとする自分。
だからニセモノの嫉妬は、一過性じゃないかと。
では、本物の嫉妬とは、なにか。
7.本物の嫉妬への考察
高校時代に偏差値より、水素イオン濃度を表す式がバツだったのが悔しかった。
noteの今日の注目記事に選ばれないより、自分の著作物が無断転載され続けたこと。
パートナーの人生の中で、一番好きな人がわたしじゃなかったことが怒りになる。
これは、わたしの価値観や願望に根づいた『納得』なのではないかと思った。
本物の嫉妬は、誰にも取られたくないもの。
わたしが所有していたいたもの。
創作が無断転載されたとき「自分の一部」だからこそ出てくる感情が嫉妬で、こんな記事でさえ、わたしには本当に宝物。
自分の精魂を込めたものだから、軽んじられたり勝手に扱われたりすると、怒りや悔しさが湧く。
逆に、もし誰かが適当に描いた落書きを無断転載していても、不当と思わないから、
「まあいいか」って流せるかもしれない。
本物の嫉妬や怒りって、
「自分がどれだけ大事にしているか」に比例するんだろうと考える。
今日の注目記事に選ばれないより比較にならないほど辛いんだよ、無断転載されるって。
8.結び
昔、やきもちや嫉妬は表に出すものではないと親に言われて育った。
嫉妬は醜い。そして嫉妬から見栄を張ったり、自慢話をして、ジタバタする立ち振る舞いは他人を不快にすると教わった記憶がある。
人は誰しも嫉妬心を抱く瞬間があり、でも人の内訳は水鳥のように澄ました顔をして水面下では足掻いている。
当然だが、人間は様々な性格や思考があるわけだ。嫉妬をパワーにする人や自分をダメにする人など多様にいる。
結論は、冷静に本物とニセモノの嫉妬を見分け、本物の嫉妬の対象だけを大切にして生きていくのが穏やかな生き方ではないかと、わたしの考えは帰結するのです。
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