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実はバタフライエフェクトだったかもね

 風が吹く。

 窓がわずかに鳴る。カーテンが揺れる。
それだけのことなのに、人はそこに意味を探そうとする。

 「風が吹くと桶屋が儲かる」ということわざがある。

 風が吹けば砂ぼこりが立つ。
→目を悪くする人が増える。
→三味線が売れる。
→猫が減る。
→ネズミが増える。
→桶がかじられる。
⇒だから桶屋が儲かる。

 無理がある。
途中から、かなり無理がある。

 それでも、どこか納得してしまうのは、人間が『因果』を欲しがる生き物だからかもしれん。

 原因があって結果がある。
そうでなければ、落ち着かない。

 だから人は意味を繋げる。
本来は繋がっていないものまで、勝手に繋げていく。
 
 前にnoteでよくあったトラブルとして。
たとえば、私が文章を書く。
ただ思ったことを書いただけだ。誰かを名指ししたわけでも、批判したわけでもない。

⇒ けれど読む人の中で、物語が始まる。
一般的に、それを被害妄想と呼ぶ。

「これは私のことだ。あの出来事を指している。
遠回しに批判された」

 風が吹いた。それだけなのに、どこかで桶屋が儲かっている。 
 私の知らないところや居ない場所で、勝手に因果が完成している。

 そこに悪意がなくてもいい。
むしろ、ない方が厄介。

 本人にとっては「そう見えた」という事実がすべてで、その解釈は、疑われることなく正義になる。

 そんなわけで、私は加害者になる。
身に覚えのない罪で裁かれる。
風なんて吹いただけなのに。それでも人は桶屋を儲けさせる。
 
 意味を与えずにはいられないからよ。
無関係のままでは、気が済まないからだよ。

 う〜ん。
けれど、本当は違うのかもしれない。

 遠くで羽ばたいた蝶が、嵐を呼ぶことがあるという。
 ほんのわずかな違いが時間をかけて、大きな現実を生む。

 だとしたら。 
だとしたらね。

 あのとき私が書いた一行も、あなたが描いた小説も、誰かの中で確かに何かを動かしてしまったのかもしれない。
今まで見てきたトラブルはこうして起こったと言えば説明がつく。

 風は、ただの風。
その風がどこへ行くのかは、もう、誰にも分からない。

#小牧幸助さん
#シロクマ文芸部
#風が吹く