刺す言葉が刺さりすぎて、チクチクする件
洗脳されているのは否めません。
目に入る言葉を無意識に使ってしまう。
……おはようございます、ももまろうめこです。
今朝はどっかのセミナーにありそうなテキスト形式で記事を書いちゃうよ。
最近やたら見かけませんか?
人の心を刺す言葉。胸を刺すようなセリフ。
グサッと刺さる展開。
って、それは包丁かナイフを突き立ててるのでしょうか。
もともとは「心に響く」とか「感情を揺さぶる」の強調表現だったはずなのに、
気づけば、全部“刺して”くる感じ。
たとえば:
「この一言が胸を刺した」
「○○さんの投稿、心に刺さった」
「読後、胸に鋭いトゲが残る作品」
読者みんな、ハリネズミなるやん。笑
こういう「刺す系表現」が増えてる理由、いくつかあると思う。
ひとつは、インパクト至上主義。
「響く」より「刺す」のほうが、痛みや鮮烈さがあり、SNS時代の強い言葉として好まれやすい。
もうひとつは、語彙の単調化。
「刺さる」で簡単に感情の動きをまとめられるから、言い換えを考える手間が省けてしまう。
それから、「深読みできる自分」「感受性が強い自分」アピールとしても便利。
ちょっとしたわかってる感を演出できちゃう。
でも、わたしが言いたいのはね。
全部「刺す」ばっかりじゃ、感情の繊細なグラデーションが死ぬやん。
感情って、もっと多彩で複雑でやわらかい。
優しい言葉がじんわり沁みる
同情から声が出せずに、胸がチリチリ痛む
問題点が鈍く重くのしかかる
思わぬ言葉に、ふっと何かが抜ける
「これ、好きだわ」と、かすかにうずく
そういういろんな触れ方があるのに、
全部「刺す」で片づけてしまうのは、やっぱりもったいない。
とはいえ、「刺す」って言葉が悪いわけじゃない。場面を選べば、強烈な武器になる。
たとえば、こんなふうに。
言葉が喉元を過ぎた瞬間、奈々はそれが彼の心を刺すことを確信していた。
けれど、それでも言わなければならなかった。
↑これは、“刺す”をあえて選んだニュアンス。
使うか使わないかは、選択の問題。
毒にも薬にもなる言葉。
あとね。
「刺すって、そもそも物理的に痛い道具でやる行為じゃん!」って思いません?
包丁、針、押しピン📌。
感動って、本来そんなに痛くないはずなのに……
いつのまにか「刺さった」が感動の代名詞になってる。
え、誰? 何持って来た?
なんか尖ったやつで、私の心グサッてしてきたんだけど!?
って気持ちになる笑
もしかすると、
現代人の感受性が「痛みでしか実感できない」方向に変質してるのかも。
「泣いた」じゃなくて「えぐられた」
「響いた」じゃなくて「刺さった」
「沁みた」じゃなくて「抉られた」
どんどん、アグレッシブになってない?
発見や気づきすら、
もはや痛みで叩き込むみたいな傾向がある。
押しピン📌でぶっ刺すのなんて、むしろ平和でカワイイ方で、
最近はもう、
電動ドリル
スナイパーライフル
ガチのナイフ
くらいの勢いを感じる。
刺して、心から流れる血が見たいのか。
ほんとは、じんわり沁みてほしいだけなのにね。
わたしは自分の文章を刺すというより、切るイメージで書いている。
紙で指先を切って、後からチカチカ痛みがあるような。小さいのにインパクトを残したい。
