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小テスト

昨日、結婚は学校。
学びだという記事を書いた。

そしたら、ちゃんときましたよ。
テストが。

今回は小テストでしたけどね。

私の感情を揺さぶるような発言を受けたわけです。
「こんなんでも『学びだ』なんて冷静に言えるのか」テスト。

あ、モニタリングか⁉️
「こんなセリフを言われてもイラッとしない?イラッする?」のモニタリング⁉️

だってね、何事もなければニコニコしたり、心穏やかにいることは容易いわけですよ。
そこに、イラッとする出来事が現れて初めて「あぁ、こんな状況でもイラッとしなくなったなぁ私」と思えるか「うーん、まだまだイラッとしちゃう。修行が足りん!」と思ったり「なるほど、ここはいいけど、こっちは嫌なのね」と、自分を分析出来たりとかする。
イラッとというより「あぁ、私はまだ人をコントロールしよう、変えようとしてるんだな」というブラックが見えてガッカリしちゃったりするわけです…。

なので、自分を知るために、小テストは大切なんだなとは思う。

ダンナの不安

急にまた、ダンナの中で不安感が強まり、怒りをあらわにしてきた。

きっかけは私が昨日、玄関先さえも雪かきをしていなかったことへの不満。

それは、私が悪かった。
つい、色々用足しに回らなきゃと、考えすぎて、目先の雪に気が回らなかった。

雪が降ってて嫌だなとは思ったのにね…😅

帰って来てからも玄関先に残っている雪くらいかけば良かったのに、違うことに気がいっていて、やらなかった。

なので、そういう私の気の回らなさにイラついたんだと思う。

と、まぁここまでは私の落ち度だ。

そして、ダンナは今週末の予定を聞いてきた。

制服を買いに行くって前にも言ったのになぁと思いつつ「土曜日か日曜日に制服を買いに行く予定でいるよ」も伝えた。

そしたら、なんだか嫌そうな顔つきをした。
なので「あ、まぁ、今週じゃなくてもまだ大丈夫っちゃあ大丈夫だよ。なんかある?」と聞くと「いや、いい。いいけどな」と言って、息子の走ることについて言ってきた。
要するに、またダンナの実家の方へ行き、雪がないところで走らせないと、今の体力、走るスピードなど色々と不足しているから、鍛えないとダメだと言いたいらしい。

それは、そうだけども…。
制服は、買わなきゃないよね…。

そんなことを思っていると「俺は今後、休日出勤になるかもしれない。その時にお前は息子を連れて、俺の実家まで行けるか?」と聞いてきた。

ダンナの実家までの道は、ここ数年で少し変更していて、この間行った時に「この標識だと、わかりにくいなぁ」と思っていたので「ちょっとどこを曲がるか何ヶ所かわからないかも」と言った。
すると、またまた怪訝そうな顔で「お前はな!そうやって、運転してもらってる」という意識だから、ダメなんだ!次行ったら確実に覚えろよ‼️」と、怒鳴りながら言った。

自分なりに考えてみよう

こうやって細かいことを書いてると、罠にまんまとハマってる感じですな。
テストに落ちてしまう。

上に書いたことは、テキストですね。テキストなので、いいも悪いもない。

まず、言いたいのは、私が悪い悪くないの話ではないということ。
もちろんダンナが悪い悪くないという話でもない。
どっちが正しいか正しくないかという話でもない。

しかも、ここに書くことは、私からの視点なので、私にとって不利な情報は書かないかもしれないし、ダンナの言い分がわからないから、公平感がないので、ジャッジをするつもりもしてもらうつもりもない。

フラットな状態で、私なりに考えてみようと思う。
難しいけど。


私の中のやらなきゃいけないことと、ダンナのやらなきゃいけないことの違いがあるんだろう。

私は、手続きなどやらなきゃとか思っているけど、ダンナは高校に入って、部活についていけなくなっては大変だという思いと、活躍するためには、このままの実力では到底無理だと考えて、少しでもタイムが縮むように指導したいんだと思う。

この雪で思うように走れないから、雪のないところへという思いがあるんだろうね。

この不安感は…、ダンナの抱く不安感は、いつか私が不安を強く感じ、その不安から行動したものが、今自分に返って来てるのかな?

すぐ返ってくるパターンと、時間が経ってたから返ってくるパターンがあるらしい。

子どもの頃母親に感じた思いとか、呪縛を作ったことが形になって現れることがあるらしい。

こうしたことで現れて、自分を見つめるひとつの題材になるのかもしれない。

ダンナと息子

怠け癖がある息子。

小学生の頃、ほんの少しばかり足が速い方になったがために、ダンナが「これは‼️」と思って、熱血指導を始めた。

初めは、走るのが楽しかった息子もダメ出しばかり言われて、どんどんやる気を失っていく。
練習をしている意味は、速くなりたいという思いよりも怒られたくないという思いの方が強くなった。

ある日、自主トレをサボっているところを見たダンナ。

息子は数日間、走っているふりをして、草むらで時間稼ぎをして帰ってきていた。

それがバレた。
ぶん殴られた息子。

そんなこともあったので、息子への信用はなくなった。

少しでもタイムが縮まないとサボっていると言われた。
毎日走るのは良くないと言われているのに、毎日走るよう命じた。

それでも息子のタイムは縮まらない。

そりゃそうだ。

楽しくないし、第一、自分の意思がないから。

その頃『ビリギャル』の映画を観た。
7年くらい前の話だ。
本も読んだ。

まるでビリギャルのさやかちゃんの弟とお父さんみたいだと思った。
娘も同じように感じていた。

ビリギャルについては、別記事で書こうと思っているので、ここでは深く触れません。
(昨日、こんなことがあったからなのか、久々に『ビリギャル』を観たら、色々書きたくなった)

ただ、あのお父さんのように、息子に期待しすぎて、子どもがダメになっちゃうパターン。
子どもの主体性ややる気まで奪って、指導するのは、悲劇を生んでしまうように思う。
期待しすぎることと、信じることの違いは大きいかなと。

まぁ、それも学びといえば学びなので、必要なことだとも言えるしね。

鏡の法則

相手は鏡といわれたりもする。
自分を映し出す鏡。

それは、2通りの考え方があって、自分そっくりに映し出す鏡という場合もあるし、相手がいることによって、自分というものがよりわかる鏡という場合があると、私は思っている。

相手を見て、自分を知っていく。
必要なテキストが届く。
必要なテストが出る。

そうすることで『自分が自分になる』

自分になるためというのは、時々苦しいし辛いこともある。

なのでイヤになったり、投げ出したくなったり、逃げ出したくなることもある。

見たくない自分に出会うこともある。
目をつむりたくなってり、目を背けてしまいたくなる自分が映し出されることもある。

だから、自分に原因があると思わないで、外側に理由を見つけて責任転嫁してしまったりしちゃう。
その方が楽に思えるし。
だけど、それじゃあいつまで経ってもテストに合格出来ない。

せっかく映し出された鏡。

相手を責めるのではなく、自分を責めることもせず、認めていきたいなって思う。


なんだか、またまた取り止めのないくどい話を書いてしまった…。

今後

『ビリギャル』の話や(今さらだけど)今シーズン始まった菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』の感想も書きたい。
おススメのブログのこと、他にも色々書きたいことがある。

ちゃんとそれらを活字に出来るかわからないけど、書いていきたいと思う。
眠気との戦いもある。
やらなきゃいけないこととの折り合いもある。
ほら、今ももうこんな時間…。

バランスよく。
楽しみながら頑張って書いていこうと思う。

最後までお読みいただきありがとうございます🥰

幸せをありがとうございます😊

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