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土門蘭『ほんとうは、どうしたい?』書評エッセイ

2025年5月に刊行した『ほんとうは、どうしたい?』の重版を記念して、文筆家の土門蘭さんに書評エッセイを寄稿していただきました。

日々、自分と世界をつなぎ直す

四十代に差し掛かる頃、お酒をやめた。飲み会への参加も急激に減り、たまに行っても一杯だけ飲んで終わり。それ以外は一切飲まない。
以前は、毎日飲んでいた。記憶をなくすまで飲むことも度々あった。紛失した眼鏡、割れたスマホ、逃した終電は一つや二つではない。何度も痛い目を見たが、それでも飲み続けたのは「ずっと素面でいるなんて耐えられない」と思っていたからだ。酔わないとリラックスできないし、人と話すことができない、楽しく生きていけないと思っていた。

そんな私がお酒をやめたきっかけは、筋トレだった。
物書きとして独立してから、毎日机に向かって書く生活をしていたら、体重が一年で六キロ落ちた。頭ばかり使っているからか、食欲が湧かないし眠れない。緊張したりネガティブな気持ちになる時は、お酒を飲んで無理やり寝た。翌朝は、いつも最悪な気分だった。
さすがに運動をしなくてはマズいと思い、パーソナルトレーニングに通い始めた。初めてのトレーニングはキツくて、階段を登る足がプルプル震えるほどだったけれど、その日は久しぶりにお腹が空いた。筋トレ後はお酒を飲まない方がいいと言われて物足りなく感じたが、満腹になるとすぐ眠くなってぐっすり眠れた。目覚めると頭も体もすっきり回復していて、とても気持ちよかった。
その時、自分が自分の身体をずっと組み伏せてきたことに気がついた。忙しいからと運動もせず、リラックスしたいからとお酒を飲み、二日酔いをコーヒーでごまかす。「働け」「リラックスしろ」「人と気軽に話せ」「楽しく生きろ」「死にたいなんて思うな」。好き勝手なことばかり言って、コントロールしようとしてきた。身体に対して「ごめんね」と思った。その日から、お酒をやめた。

お酒を飲まなくなってから、私は常に「素面でいる」ようになった。するとどうなるかというと、人といられなくなる。私はずっと、これを恐れていた。
まず、大人数の飲み会やパーティーに参加できなくなった。周囲の会話が頭に飛び込んできて、何を話したらいいかわからず、終わるとドッと疲れて動けなくなってしまう。それどころか、人とご飯を食べると、緊張してお腹を壊すようになった。夜遅くまで人と話すと、興奮して眠れなくなった。誘いを断ることが続き、ひとりでいることがずいぶん増えた。我ながら、面倒臭いやつになっているなと思う。
でも、もともとこうだったのだ。今まではお酒でごまかしていただけで、身体はずっとひとりになりたがっていた。私がそれを認めなかっただけで。
だって、ひとりは寂しいから。面倒な自分とふたりきりになりたくないから。私はお酒の力を借りて「面倒臭い人」から「普通の人」になろうとした。自分が自分と一緒にいられないから、誰かに一緒にいてほしかったのだ。
今、ようやくひとりでいられるようになった。素面のまま面倒な自分を引き受けられるくらいには、大人になれたのかもしれない。自分自身の形を確かめるような時間は、寂しいけれど満たされる。

§

『ほんとうは、どうしたい?』のお二人も、「普通」とは言えない要素を持っている。
かつては「普通」になろうと頑張ったこともあったようだが、今のお二人は自分の中の「面倒臭」さをじっと見つめている。その特性は、世間からは繊細とか弱さとか言われるものかもしれない。でもその特性に対する姿勢は逆に、強靭に、勇敢に見える。
彼女たちの身心は、きっとユニークな形をしている。それは時々、世界と摩擦を起こすのだが、彼女たちはその度「どうすればこの身心と世界は調和するだろう?」と問い続ける。葛藤しながらも、世界と交じり合おうとする。私はそのエピソードの一つ一つに、心を打たれる。

「ほんとうは、どうしたい?」
そう尋ねられると、ドキッとする。矢印が、自分の内側に向くからだ。お金がいるからとか人の迷惑になるからとか、そんな外側のことは置いておいて、自分はほんとうはどうしたいのか考えること。
しいねさんはそれを「世間云々ではなく『自分のなかの自然を感じている状態』」と言い、佐々木さんはそのためには「心身の状態を外の世界にひらいておくこと」が必要だと言う。つまり「ほんとうは、どうしたい?」と考えることは、世界と自分を切り離すことではなく、双方をもう一度つなげ直すことなのだと、読みながら気づいた。
しいねさんと佐々木さんは、それぞれ都市を離れて山へ向かった。そこで野菜作りをしたり、動物と暮らしたりしている。「面倒なことを選ぶよね」と言われたこともあったらしい。だけど私は、そこでの生活の描写から二人の深い呼吸を感じるし、「面倒なこと」は大人にしかできない真に贅沢なことだと感じる。自分で自分を受け入れ、「他の誰でもない、この人間を生ききること」。つまり、きちんとひとりでいること。そしてそのまま、世界とつながること。

時折落ち込んだり、荒れたりしながらも、そこで起きる摩擦音を、言葉や音楽や仕事へと変換していく。自分と世界をつなぎ直す作業を、日々繰り返す。そんな風にしながら、彼女たちはこの世界に、自分の居場所をつくり出している。自分の野生を、孤独を保っている。
勝手に私は、彼女たちを仲間のように思っている。会ったことのないお二人だけど、肩を叩いたり抱き合いたい気持ちだ。私たち、「他の誰でもない、この人間を生きき」ろうとしているね、ひとりなのは一人じゃないね、と。きっとぎこちないハグになるだろうけれど、その日を楽しみにしている。

土門 蘭(どもん・らん)
文筆家。1985年広島県生まれ。京都府在住。同志社大学文学部卒。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品の創作と、インタビュー記事、ブックライティングなどのクライアントワークの双方を生業とする。これまでインタビューした相手は1500人超。
著書に、第1回「生きる本大賞」を受賞したエッセイ集『死ぬまで生きる日記』他、歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、往復書簡『そもそも交換日記』、小説『戦争と五人の女』。最新刊は『ほんとうのことを書く練習 「わたしの言葉」で他者とつながる文章術』。


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