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【漢文】氷河期に 生まれし我は 英霊か

 滞在先のビジネスホテル。その狭い部屋は、たった煙草1本で途端に隅々まで燻されてしまう。ベッドのシーツや床面に吹き付けられた消臭剤の芳香とこの煙が混じり合って、何とも気持ちの悪いニオイに化学変化する。耐えられなくなって窓を開放しようとし、初夏の眩しい光を完全に遮断していたカーテンを思い切り開けると、既に外は夜だった。サッシのレバーハンドルに手を掛け、1センチでも隙間を作れば、決まって虫が舞い込んでくるのだが、流石に今日は最上階の部屋だから大丈夫だろう。と思いきや、これがとんだ油断で、一匹、根性のある蛾みたいのが、部屋の灯り目掛けて勢いよく侵入してくる。追い払おうとしても動きも素早く、やがて面倒になって放って置く。蚊なら刺されて敵わないけれど、蛾なら毒針毛が無い限り心配は無い。まるで天井から私を見守るかの様にゆっくりと弧を描く虫の姿を眺めている内に、私は不思議と「もしかしたら、この虫は亡くなった父かも知れない」という気がしてきて、この虫を部屋に迎え入れた儘、換気の済んだ窓を再び静かに閉める。――この日から同じこの部屋に3連泊だったが、その後、幾度窓を開けても、ホテルのスタッフさんの掃除を経ても、虫は結局最後まで部屋に居続けたのだった。
 時は2003年、入社4年目、政府は10年前に比較して「フリーター」が2倍以上増加した事を発表。主たる要因に就職氷河期が在る事は瞭然だ。が、無事に正社員になれた当時の私でも、このニュースには戸惑いというか、失望というか、胸に痞えるものがあった。その主たる要因も瞭然だ。それは、自分の総年収を年間総労働時間で割ってみたら、つまり時給に換算してみたら、何とフリーターのバイト代のほうがマシだという受け入れ難い現実であった。バイトには賞与が無いと世間は軽々しく論じるけれど、私の時給はボーナス込みで800円前後と算出されるのである。ウソのようなホントの話。バイトでも国民年金は納める訳だし、健康で文化的な最低限度の生活も保障される。それどころか、バイト暮らしなら、上司から厳しいノルマを課される事も無く、地獄の如きサービス残業も無く、高過ぎる業務目標も無い。働いた時間が報酬に直結するという分かり易いシステム。ほぼ限りなく100%に近い程「仕事はカネの為」と割り切っている私にしてみれば、こんなにも受け入れ易いシステムは無い。将来への不安なんて、正社員だろうとフリーターだろうと、悲しいかな瞭然たる大差は無い。能力主義、成果主義が賃金に反映されるといっても、この大不況時代、余程の特需でも無い限り、恐らく私の月給は35歳くらいまで大幅に上昇する見込みは無さそうだ。かなり頑張って40歳で課長クラスに昇格すれば大出世と云えるだろう。だが、もうその頃には会社自体が相当に弱体化しているかも知れない。残念ながら私を含む皆が本気でそう信じる程の不況だったのである。「国民の圧倒的多数が中流」というか、「全員で上手に飯を食っていく」という時代が幕引きとなり、「サラリーマンとして努力を重ねていけば、人生それなりに幸せにやっていけますよ」という希望的確信が跡形も無く崩壊してしまったのだ。
 勿論、中長期的な経済的安定や生活設計を考慮すると、会社員を辞めてフリーターに鞍替えするという選択は有り得ない。まず「一部上場企業の会社員」という肩書を失った瞬間、社会的信用度を極端に落とし、銀行の住宅ローンも組めなくなる。それに「身分証明」とやらも煩わしい。これは私が「大学5年生」を経験した1年間、イヤという程に味わった疲弊だ。世間における“自分の立ち位置”を世間に説明するのが厄介なのである。精神的な軸さえしっかりしていれば「私の職業はフリーターです」と堂々と宣言する所までは可能だ。但し、世間はそれだけでは承服してくれない。何故フリーターなのか、自立していけるのか、今後は何を目指していくのか、といった本来答える必要の無い部分にまで何となく土足で踏み込んで来るのである。これが正社員たる今の私なら「○○大学卒業後、○○株式会社に勤務しています」の一言で自己紹介が済んでしまう。兎角フリーというのは気楽な様で気楽で無いのだ。気楽で居られるのは、自分一人、部屋に居る時だけ。
 けれど、そういったゴチャゴチャした事実を差し引いたとしても、サラリーマンが気楽な稼業とは到底称せない。かつての私は地方営業に明け暮れつつ、単純に「この労働って、あと何年くらい経ったら報われるのだろうか」「バイトの自由度を放棄してまで、正社員として非人間的に滅私奉公しているけれど、この生活って報われるのだろうか」といった虚しさに抗う日々が辛かった。
 しかし、私は、絶対に、母と二人、貧乏から脱け出したかった。これぞ、過労に真正面から立ち向かっている唯一の理由。これだけはハッキリとしていた。営業車の車窓から見える山容水態――この自然の中へ隠遁すればフリーターよりもフリーになれるかっていえば、世の中そんなに甘い筈は無いし、私にもその根性が無いし、そんな悠長な戯言に惑わされるご時勢でも無かった。――ハンドル握る私の脳内にいつの間にか高校の『漢文』の授業が甦って来る。例によって、好々爺先生が書き下し文とその現代語訳を交互に只管お経の如く唱えるスタイルだ。
 
 「ゆっくり目で白文を追うんだよ、ゆっくり。ゆっくり追えば、意味も分かるし、若い君達の教訓として、血となり肉となる。では、始めるよ。
 少(わか)くして俗に適する韻無く、性(せい)本(もと)丘山を愛す。誤りて塵網の中に落ち、一去(いっきょ)三十年。……ふむふむ、小さいときから世俗に適する気風が無く、私は生まれつき自然を愛する気持ちが強い。ところが生き方を誤って役人の生活へ落ち込んでしまい、これを三十年も続けてしまった。
 羈鳥(きちょう)旧林を恋い、池魚(ちぎょ)故淵を思ふ。荒(こう)を開く南野(なんや)の際、拙(せつ)を守りて園田(えんでん)に帰る。……ふむふむ、渡り鳥はどんなに遠くへ行っても、自分のかつて住んでいた林を恋しく思うものであり、同じく池に飼われる魚は、自分のかつて住んでいた淵を恋しく思うものだ。それと同じ様に私も漸く懐かしの故郷に帰って来た。荒れ果てた南の野原の端っこの土地を開拓して、世渡りの拙さを守って、本来の生き方に今帰って来た。
 『田園』では無くて『園田』としているのは、韻を踏むためにひっくり返しているのだが、まあそういう技術的な所はテスト前に覚えれば良い。取り敢えず今はこの漢詩を味わうことに集中したら良い。ハイっ、次ね。
 方宅(ほうたく)十余畝(じゅうよほ)。草屋(そうおく)八九間(はちくけん)。……ふむふむ、私の田舎の家は十畝余りの土地しか無く、部屋も僅か八つか九つである。十畝余りって、換算すると1,500坪余り。これに8部屋も9部屋もあれば十分過ぎる大邸宅だと思うだろうけど、ここは1500年以上も昔の中国の山里の感覚では、然程大きな家ではないんだと理解するしか無い。
 楡柳(ゆりゅう)後簷(こうえん)を蔭(おお)ひ、桃李堂前に羅(つら)なる。曖曖(あいあい)たり遠人(えんじん)の村、依依(いい)たり墟里(きょり)の煙(けむり)。狗(いぬ)は吠(ほ)ゆ、深巷(しんこう)の中(うち)。鶏は鳴く、桑樹の顚(いただき)。……ふむふむ、楡や柳の木が家の後ろに鬱蒼と茂っており、庭の前には桃や李の木が並んでいる。家の中からは遠い村の様子がぼーっと霞んで見える。かすかに村里の煙が立ち上っている。路地裏の奥から犬の鳴き声が聞こえ、桑の樹のてっぺんからはニワトリの鳴き声が聞こえてくる。分かるかい? ここは、家の近くの描写、次に家の遠くの描写、次に聴覚による描写へと続いていく。まあそういう技術的な所はテスト前に覚えれば良い。取り敢えず今はこの漢詩を味わうことに集中したら良い。ハイっ、次ね。
 戸庭(こてい)塵雑(じんざつ)無く、虚室(きょしつ)余間(よかん)有り。……ふむふむ、家の前の庭には塵やガラクタの類は無く、立派な家具等も無く、がらんとしている。
 久しく樊籠(はんろう)の裏(うち)に在りしも、復た自然に返ることを得たり。……ふむふむ、私は長い間、鳥籠の中の不自由な生活を強いられてきたが、再び本来の性質にピッタリの自然の生活に戻ることが出来た。」
 ――以上、作品は陶潜の『帰田園居』。この解説を聴いた都会育ちの私の感想はというと、「何だか都会の世俗に比べて田舎は素晴らしいって礼賛しているみたいに聞こえるけれど、この陶潜って人は元々田舎が故郷の人じゃないか。そりゃあ、性分に合わなかった勤め人の暮らしを我慢し続けて、再び故郷に帰ったら、故郷が田舎の人だろうと都会の人だろうと、誰だってホッとするのは当然じゃないか。態々、楡や柳だの、桃や李だの、犬や鶏だの、そんな演出を持ち出さなくたっていいじゃないか。何処となく『都会=ダメ』っていう嫌味な空気が漂っている詩だなぁ。」といった所だったが、恰もこの私の感想を待ち構えていたかの如く、好々爺先生は早々に次の漢詩の解説へと移るのだった。
 
 「廬を結びて人境に在り、而も車馬の喧しき無し。……ふむふむ、草庵の中で暮らしているが、俗世間の中に住んでいる。けれども、ここには車馬のうるさい響きは無い。直訳するとこんな感じだが、もう一歩踏み込むと『廬を結びて』は隠遁生活に在る事を意味するんだね。で、普通の隠者は深山幽谷に籠ったりするものだけど、私の場合は人里の中に住んでいるんだよ、って言っているんだよ。では、何故に『車馬の喧しき無し』なのかっていうと、もう官職を辞してしまったため、公的な訪問客が来ないんだよ、って言っているんだよ。ハイっ、次ね。
 君(きみ)に問(と)う 何(なん)ぞ能(よ)く爾(しか)ると。心遠く 地自(おのずか)ら偏(へん)なり。……ふむふむ、あなたに聞きたい。この人里の中にあって、どうして静かな状態で居られるのか。私は人里の中に住んでいるが、心は俗世間を離れているから、町を外れた片田舎に住んでいるのと同じ気持ちになれるのです。ああ、この部分は自問自答ね。何も山里に住まずとも、気の持ち方次第で隠者になれるのだよ、って言っているんだね。ハイっ、次ね。
 菊を采る 東籬(とうり)の下(もと)。悠然として南山を見る。山気(さんき)日夕(にっせき)佳なり。飛鳥(ひちょう)相(あい)与(とも)に還る。此の中(うち)に真意有り。弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。……ふむふむ、東の生垣の下に生える菊を手折って、盃を手にしながらゆったりとした気持ちで居ると、悠然とした南山の姿がふと目に映った。遠くに霞む山の佇まいは、夕暮れ時は一層美しい。鳥達が仲間を連れ立って巣に帰っていく姿が見える。こうした境地を説明しようと思うのだが、言葉に表すことはどうしても出来ないなあ。と、まあ、こんな感じの詩。若い君達は、どちらの詩が好きかね。どちらも嫌いかね。どちらもどちらでもないかね。」
 ――恰も好々爺先生の問い掛けを待ち構えていたかの如く、授業終了のチャイムが鳴るのだった。作者は同じく陶潜。作品は『飲酒』。飲酒二十並序の五番目の詩だと謂う。南山というのは廬山のことで、町の中で暮らしつつも、聳え立つ廬山の姿と作者とが渾然一体となって、共にゆったりとしている様を描いている。
 都会に居てもゆったり。田舎に居てもゆったり。でも、これって“引退”するまでの職業に或る程度の見通しが立ってこその「ゆったり」では無いの? という疑問を禁じ得ないのは私だけだろうか。否、陶潜の場合は、生きていく上で給料が必要だった故に役人となったにも拘らず、行く先々で長続きせず辞任を繰り返したらしいから、そもそも「組織の中での勤労」というものが肌に合わなかったのかも知れない。高校生だった私の感想は精々ここまでだったが、恰もこの感想を待ち構えていたかの如く、大学の卒業が近付くに連れて深刻化していったのが就職氷河期。「オマエの人生は『肌に合う、合わない』で決められる程『ゆったり』したものでは無い」と通告された次第である。
 
 無い物強請りとかいう詰まらないレベルであるのは百も承知。然は然りながら、正社員だろうと準社員だろうとバイトだろうと、どの路へ向かっても茨。別にパッとしなくてもいいが、せめてプラマイゼロの平凡な人生で在りたかった。
 後の世に、巷から「氷河期世代」と定義付けられた私達は、令和の数年目に入って、則ちもう人生をやり直すには手遅れになってから、お国の都合で弱者救済の候補者となった。生涯年収や年金支給額は素より、物心両面のありとあらゆる指標を用いて分析した結果、他世代に比べて私達の世代は、生まれてから死ぬまで相対的にマイナスの人生だと判明したらしい。そんなもん、物差しで計測せずとも、疾うに判っていた事。まあ、私はこの世代の中でも相対的に恵まれた人生を歩んで来られたから、不満を露わにするのは控えているけれど――。
 
 そうか、そうだったのか。あの三日間、虫として私の宿泊先に訪れた我が父は、こう私に教えてくれたのか。「いいか、息子よ。お前も俺も虫けらの様な者だ。どうせ虫なら、虫に徹して勝ち残るんだ。」と――。
 高卒で18歳、大卒で22歳、自分がその年齢に達した時、偶然にも就職氷河期だったという世代に生まれてしまった運命。これを克服するには、“虫けら”として生きていくのが、「正解」とは言わずとも「妥当解」。氷河期に大半の生物が絶滅した中にあっても、赤道付近や地中に棲息していた“虫けら”は結果的にしぶとく命を繋いだと謂われる。氷河期世代の私達は、例えば百年後に我が国の歴史を振り返ったとき、平和の世にあっても戦争とは別の形で「若者を見殺しにした時代」「暗くて寒かった時代」と呼ばれるだろう“谷間”を生きている。そして、この時代を“虫けら”の如く乗り越えることによって、例えば百年後になって「我が国の危機から命を繋ぐ役割を担ってくださった」とか何とか評価されて“慰霊”されるのかも知れない。
 いや、待て待て、折角助かったこの命を次世代へ繋ごうにも、私にはその為のパートナーが居ないのだったな。いやいや、これでいいのだ。氷河期世代なんて私達の世代で一旦リセットしたほうがいい。種が断ち切れない程度の少子化を齎した私達“虫けら”は、図らずも色々な点において日本の救世主たるのだと、ここは勝手に納得しよう。
 
 漢文は千年以上もの昔を振り返って、現在の日本の高校教育で教材に取り上げられている。私も千年以上も後になって、この地球の何処かの国の高校生から、同情でも断罪でも何でも構わないから「ヘンな奴」と思われる様に精進することと致そう。
 そうねえ、千年後ねえ……例えば、休みの長い欧州の国々だったら、可哀想なくらい勤勉で、正社員でも時給800円前後の賃金奴隷と化していた千年前の日本人を見直してくれるだろうか。相変わらず箸にも棒にも掛からぬ事に思いを馳せながら、私の心の様相は自分自身の受けてきた「世界史」の授業へと再び時間旅行を試みるのであった・・・つづく

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