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弔問に 集えばいつかの 放課後へ 

午後、妻の高校時代の同級生が五人、弔問に来てくださった。
花やお菓子を抱えて、玄関先で一人ずつ丁寧に頭を下げられて、
家に入っていただき、焼香を済ませる。
その所作だけを見れば、間違いなく「弔問」だった。和室ではあるが、
足元の心配もあって、全員に椅子に座ってもらった。

なにせ、相手はご婦人5人である。何を話していいやら、困っていた。
実はその前に、息子からありがたくも小さな助け舟を出されていた。

「話題づくりに」と渡された台本には、
「よく一緒に過ごしてたんですか?」
「部活は?」
「卒業後も交流は?」
「どんなことが印象に残ってますか?」
と、いかにも無難で安全そうな質問が並んでいた。

ところがである。
その台本は、開始五分で不要になった。

「じゃあ、私から一人ずつ思い出を話しますね」
そう言ってくださった方を皮切りに、五人それぞれが、私の知らない妻の話を始めた。私は聞き役に徹するだけでよかった。

話を聞いていて、中でも困ったのは、「結婚したての頃、この家に三人で泊まりに来たよね」という話だ。
申し訳ないが、まったく記憶にない。
四十四年前の出来事とはいえ、これは少々困る。
私は相槌を打ちながら、心の中で必死に記憶の棚を探したが、何も出てこなかった。適当に合わせるのが精一杯だった。

それでも不思議なもので、話している皆さんの表情や声色から、高校生の頃の空気が今も残っているのが伝わってくる。
仲の良さの理由は「ビートルズファンだったから」。時代ですね。
リンゴ・スター来日の際、ヒルトンホテルまで追っかけに行ったという。
なるほど、それは仲良くなるわけだ。

気づけば場の空気は、弔問というより、ほとんど同窓会だった。
私はそれを少し離れたところから眺めながら、なんとも言えない、あたたかい時間を過ごしていた。

最後に霊前で集合写真を撮り、「ちゃんとお別れできてよかった」と言って帰っていかれた。
夜九時過ぎ、世話役の方から「ありがとうございました、今、帰宅しました」とメールが来た。
……午後四時前には出られたはずなのに。

ああ、そうか。
ほとんどクラス会だったのだ。
弔問よりも、放課後の方が長かったようだ。

来ていただけたことは、もちろんありがたい。
でも、皆さんが楽しかったのなら、それでいい。
それで、いいのだ。

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