分別をつけて、生きる(映画「ドライブ・マイ・カー」を観て)
村上春樹さん原作の『女のいない男たち』から、「ドライブ・マイ・カー」を切り出して映像作品に。
村上作品を映像化することに賛否はあるが、基本的に僕は大歓迎だ。作者の手を離れて、自分以外の他者が、どんな風に作品を解釈するんだろう?という興味は尽きることがない。
例えば3年前に公開された映画「ハナレイ・ベイ」は、同じく村上さんの短編から生まれた作品だ。松永大司監督が生み出したファジーな余韻と、吉田羊さんの心に迫る演技。原作に忠実に向き合い、観賞後は実に心地良かった。
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そして、今回の「ドライブ・マイ・カー」。
原作から跳躍し、監督を務める濱口竜介さんの解釈が大半を占める。松永監督のアプローチとは真逆と言える。
濱口監督も「「ドライブ・マイ・カー」だけでは短すぎて映画にできないので、同時期に書かれた「シェエラザード」「木野」もモチーフとして使っている」と述べている。
なので原作では出てこない登場人物もいる。舞台も、東京ではなく広島だ。西島秀俊さん演じる家福、岡田将生さん演じる高槻の年齢設定も、原作とは異なる。
表面的にみれば、何もかもが異なっていると言って良い。
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村上春樹原理主義者なる人がいたら、本作は眉唾かもしれない。
けれど村上春樹さんの作品を愛し、その解釈を自由闊達に議論するのを歓迎する人たちであれば、本作はとても楽しく感じられたのではないだろうか。濱口監督の村上作品への愛情を感じ(実際に濱口監督が、どれくらい村上作品に触れているかは知らない)、僕はところどころ、『ダンス・ダンス・ダンス』や『アフターダーク』の要素も垣間見ることができた。
濱口監督の解釈も、僕の解釈も大いなる誤解が孕んでいることは間違いなくて。「ああ、こんな風に解釈したんだなあ」と思えることがとても楽しい。解釈はもちろん自由だけど、「なるほど!」と手を打つような納得度があるというか。
村上作品の懐が深いところであり、あーだこーだ言えることはそもそも幸せなものなのだけど、それを遥かに上回るほど作品の完成度の高さに驚いてしまった。
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まだ劇場公開中なのでネタバレは避けるが、広島市の清掃工場、広島市環境局中工場が出てきたのには心が震えた。
かつて僕が広島を訪ねたときに、心を奪われた場所。エコリアムと呼ばれる中央ガラス通路があり、入り口と出口を吹き抜けて繋げている。建築家・谷口吉生さんによる設計だ。
この場所は、映画の中でとても重要な意味を持っている。「広島」という場所が、過去〜現在〜未来を一連の流れとして紡がれているものとして描かれているからだ。
主人公の家福、ドライバーの渡利。
それぞれが過去に置いてきてしまった物事のせいで、現在と折り合いをつけられずにいる。そのことを自覚して初めて、未来を生きることができる。
分別をつけて、生きる。
時間軸を無視して、刹那的に都合良くやり過ごすことは、許されない。
厳しくも、赦されるような温かさ。
映像美も、美しいです。
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内容を伏せて語ることはなかなか難しいですね。
でも、間違いなく傑作と断言できます。ぜひ劇場公開中に映画館に足を運んでみてください。
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