わたしのスローライフ宣言(エコじゃなくてコンプレックスの話)
突然ですが、わたしは本日ここで一つの宣言をします。
・わたしは、ゆっくり生きていきます。
・わたしは、焦らず、慌てず、落ち着いて物事に取り組み、ひとと関わります。
・わたしは、自分のペースを守るよう努めます。
・わたしは、自然体こそが最善につながると信じて暮らします。
そう、意識高い系でもエコでも何でもなく、ゆっくりなわたしがゆっくり生きるという「Slow Life」宣言です。
1.スローなわたしのこれまで
幼少期からスローだったわたし。なにかの支度は常に「早くしなさい」という声かけに怯えることになりました。早くしようとすればするほど、身体は硬くなり動きはぎこちなく、呼吸は浅くなりました。
学校に行くようになると、給食を食べるのが遅い、着替えが遅い、走るのも遅い…成績表に「動作がのろいのは残念です」と書かれる始末。中学以降は遅刻ギリギリに席に滑り込む、ときどき遅れる。
そういえば中学の時「あなたはなんで走るのが遅いかわかるか? 右足を出すだろ?次に左足を出すだろ?君はその間に考え事をしているから!考えなきゃ早いんだよ(笑)」と、体育ではなく社会の先生に指摘されました。上手いこと言うなぁ…感心してる場合じゃない。必死で走ってても遅いんだよ…(トホホ)。
じゃあ学校のテストも? 作業面のマイナスを埋める何かがあったのか、生活面や体育ほど痛みは感じなかった。ですが書くのも計算も実験も遅いです。大学の時、ある実験で隣り合った数字をひたすら足していくという作業をやったら、自分だけ他の学生の半分ちょっとしかできなくて驚きました。こんなんで理系によくいたわ。
こうして「ゆっくりで遅いこと」は悪いことで、恥ずかしいことなんだという信念を強化していきました。
社会人になると作業の遅さが壊滅的な結果を生みます。
早くしなきゃと思えば思うほど、頭は真っ白、体中にアラームが鳴り響きます。髪の毛が逆立つような感じ、脳がきゅっと縮むような感覚、深呼吸できず心はすっかり追い詰められ…そんな状態で結果が出るはずもなく、自分を責める日々。何とかやりきったとしても疲労困憊でした。
遅いといわれるたびに心は傷つき、落ち込みました。その上どうしたらよいかもわからなかった。
2.移住後も苦しんだ「遅さ」
昨年移住してから、パートとして仕事を始めました。ここでも「作業の遅さ」が課題になりました。令和のいま、若い頃とは違うスピード時代です。速さは正義。それについていけない自分。一年半近く、苦しかったです。身体も背中から首にかけてガチガチでした。
ただ今までと違うのは、自分を大切にしようとし、自分の能力を信じたいと思ったこと。
焦ると同時に身体のアラームが鳴り、昔の自分が顔を出します。仕事に少し慣れてからは、周りの雰囲気に呑まれずできるだけ落ち着いて取り組むことを続けました。早くして下さいといわれることもありましたけど、焦って問題が起きたところで指摘の主が責任を取るわけではありません。
ある日、動画かなにかで「相手の感情は相手のもの、相手の言葉も相手のもの、相手の評価も相手のもの。そんなものには振り回されず、自分の価値を信じなさい」という言葉が飛び込んできました。
え?相手の評価も相手のものなの?傲慢じゃない?それでいいの??
そういえば「評価」という言葉を聞いただけで嫌な感覚が身体を走ります。「遅い」という評価はまさに針のむしろ。これはわたしのいま認識できる最大のコンプレックスだったんだ…(涙)。
自分らしく生きたいと思いながらも「ゆっくりな自分」に居場所を与えず、そんなことではダメだと痛めつけていたんだね…
3.遅さを受け入れるのはただのワガママなのか?
そうは言っても現実にはスピードを要求されます。
ゆっくりな自分で仕事することは、努力を放棄したただのワガママなのでしょうか?
「早くこなす」ことより「自然体で落ち着いて居る」ことを目指してみる。
自然体で、落ち着いてやればその人のパフォーマンスは最高になるはず。だとすると焦りや不安、怖れでそれができないのは嫌だなと思い始めたのです。できない方はいままで散々やり尽くした。もうお腹いっぱい!
焦ると同時に反応するわたしの身体。「落ち着きモード」を維持する努力は必要です。感情や思考を紙に書き出し整理する、自然やいのちを感じる時間を大切にする。湯船につかってリラックスする、睡眠を確保する。
もし身体に反応が起こったら、いままで「ヒイッ、どうしよう!」だったのを「面白くなってきた!」と口に出してみる(どうせ交感神経の暴走なので恐怖を興奮に転換してみるという手法です ↓ )
実際の作業面では、「動作そのものを早くする」と「合理的に動く」の二つのやり方があります。そこでわたしは自分にできそうな、主に後者を取り入れることにしました。仕事の早い人を見るときは、比較して落ち込むのではなく、どこか自分にできそうなことはないか探します。
他者と比較するよりあくまで過去の自分との比較で、やれることを少しずつ増やしていこうという作戦です。
これで会社の許容スピードに届かなかったら、その時はしかたがない。
「自然体で落ち着いて仕事しても通用しなかったら、別の仕事の可能性が開くはず」と開き直りました。
4.スローの先に見えてくるもの
遅いことを受け入れず、何とかしなきゃと焦るのはもうやめ。
遅いからこそ、なにか出来ることがあるはず。それを探したいと思うのです。それはゆとりのようなものかもしれないし、速さ以外の強みかもしれない、わたしの道。
「遅さ」と向き合えて、いまようやく人生のスタートラインに立てたような気がします。
もはやアラ還という年齢…人生のスタートラインまで長すぎやしないか?こじらせた分、ちょくちょく逆戻りしそうだし…でもこれがわたしの人生だし、愛すべき自分!
ゆっくり生きるを実践して、見えてくる景色を存分に味わいたいと思います。
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