どうしてこんなにも我が子の受験がストレスフルだったのか考えてみた。
この半年を振り返ると私はいつもの私ではなかったように思う。
毎日ポメラで何かしら書くようにしているのに、心がザワザワして落ち着かず、ついついソリティアやダウンロードしてハマったカラーブロックジャムというゲームに時間を費やしたり、ぼんやりしているのに、いつもよりTwitterも開かなかったとも思う。
書きたかった長編を書くのにだけは、どうにか集中力を絞り出して取り組んだけど、いつもよりとても時間がかかっていた。
心のどこかで、いつも息子の受験が心に引っかかっていた。
私はあまり子どもに勉強しろと言うのは好きではない。
でも、受験生の時だけはどうしても気がかりでつい言ってしまう。そんな自分に自己嫌悪だ。
子どもの受験で私に頑張れることはほとんどない。
おまけに娘の時もそうだったのだけど、学校の先生の言うことと、塾の先生の言うことが違っていて、かなり混乱させられた。(結果、2人とも塾の先生の言うことが正しかった)
私にできることと言ったら自分が受験生だった時に言って欲しかったことを言うことくらい。
落ちたとしても、大丈夫。道は沢山ある。
それだけは伝え続けているのに、勉強しろと言う矛盾に自分自身が一番振り回された。
どうして、こんなに第一志望に受かって欲しいんだろう? と考えてみたら、それはやはり、我が子に傷ついて欲しくないから。それに尽きる。
受験だけではない、できたらこれから迎えるであろう数々のステージでできる限り傷ついて欲しくないし、傷ついたら帰って来れる場所でありたいとも思っている。
合格発表の日、桜は咲いた。
当然の結果と言わんばかりにケロッとしている息子の隣で私は静かに泣いていた。涙が止まらなかった。
今年の初夢は息子の合格発表でそこでも合格して泣いていたから初夢が正夢になった。
息子の高校生活は順調のようで、心なしか中学生の時より生き生きしているように見える。いい環境みたいだ。
高校生活がすっかり息子の日常になった今ようやく私も一息つけているような気がする。
これから先はきっと彼ひとりで決めることや、私の知らないところで悩んだり傷ついたりすることが増えていくんだろうな、と寂しくなるけど、合格発表の時のあのケロッとした顔を思い出すと心強い。
いつか遠くへ行ってしまうかもしれないことを思うと寂しい反面とても楽しみでもある。
矛盾だらけだ。
子どもたちの成功も失敗も、私のものではなく彼ら自身のものだと分かっていても、これからも心を揺さぶられてしまうのだと思う。
だいたいなんというエゴだろう。
生きている限り無傷でい続けるなんて無理だということは自分でよく分かっているくせに。
私は今自分自身のことで悩むことはほとんどない。まあ、小説のことでは多少悩むけれど、小説のことは自分である程度コントロールできることだ。子どもはそうはいかない。
自分自身のことで悩みがほとんどない今、子どものことで悩むこの時間は未来の自分からしたらご褒美みたいな時間にしか見えないのかもしれないとも思う。
私のご褒美の時間はもうしばらく続きそうだ。
