日本代表、歴史をつくる
いよいよ、ワールドカップオランダ戦。今日は、私、にわかサッカーファンの独り言にお付き合いください!
私は、高校生の時、Jリーグが開幕しました。1993年のことです。たまたま、その時、高校の教室から、三浦知良(カズ)選手がホテルの前で練習しているのが見えて、教室から「カズー!」って大きな声を出して、みんな窓に駆け寄って、授業が中断したことを今でもよく覚えています。先生がA4サイズの名簿で端から生徒の頭を叩きながら、「席につきなさい!」と言っても、誰も席に戻ろうとしなかった。そんな思い出があります。(その時代、先生が生徒に叱るために叩く、手を出すことは普通でした、そんな学校でした 笑)
そのくらい、Jリーグ発足時は、盛り上がっていました。また、私も三浦知良選手は大好きで、サッカーの強い静岡県も好きで、漫画キャプテン翼も大好き。でも、その話はまた今度。
そのJリーグが開幕した1993年の10月、ドーハの悲劇がありました。簡単に言うと、ワールドカップに出場するための予選の最後の最後で、試合が終わる残り数分のところで、対戦相手のイラクに同点にされてしまい、ワールドカップに出れなかったのです。この悲劇はサッカーファンなら誰でも覚えています。誰もがワールドカップに出場出来る。試合が終わる前にそう思ってしまったスキを突かれた教訓的な試合でした。ちなみに、その4年後ジョホールバルの歓喜で、見事ワールドカップ出場。そして、2002年日本韓国のワールドカップ招致を達成、と着々と日本サッカーが力を付けてきました。
FIFAランキングでは1993年当時43位や44位でした、今は18位まで上がり、日本代表が確実に強くなっていることは紛れもない事実です。
そのドーハの悲劇の時に、現在の森保監督は現役で出場していました。システムは4-3-3というオランダ流のフォーメーション。監督はオフト監督でした。
後にオフト監督の本を読んだことがあります。当時、三浦知良選手や、有名なサッカー選手は多くいましたが、比較的地味で無名だったのがサンフレッチェ広島に所属していた森保一選手でした。有名な横浜マリノスやヴェルディ川崎、清水エスパルスからではなく、森保選手の大抜擢の理由はオランダ流のパスサッカーの可能性を引き出すキーマンだったからです。
今でこそ、ボランチというポジション名が一般的ですが、当時はディフェンシブハーフと言って、中盤とディフェンスの間ら辺の大事なポジションに森保選手はいました。オフト監督は日本人は体力やボディの強さでは海外チームに勝てないから、パスサッカーを組織することで、世界に挑戦出来るという狙いだったはずです。その中心にいたのが森保選手でした。
実は私ごとですが、サッカーは好きだけど、サッカーの技術は無く、大学時代にサッカーをした時に付けた背番号は17でした。森保選手のようになりたかったんです。シンプルにパスをつないで、流れをつくるような選手です。
きっと、今日のオランダ戦。一番楽しみにしているのはオランダ人のオフト監督なんだと思います。当時無名だった森保選手を代表に引き上げ、育て、その選手が今や日本代表の監督になり、チームを率いて、FIFAランキング8位を誇るオランダに、FIFAランキング18位の日本が挑みます。さぁ、森保、存分にオランダに見せつけてきなさい。きっと、オフト監督はそんな思いで試合を見守っているんだと思います。(勝手な妄想)
実は、そのオフト監督を産んだオランダ。パスサッカーの歴史は1974年ワールドカップ決勝まで遡ります(もはや、私も生まれていない)。オランダ対西ドイツの試合(西ドイツという言葉で、歴史すら感じます)。オランダのキックオフで開始し、相手に一度もボールを触らせず53秒でPK獲得、88秒で先取点を取るというドラマをつくりました。一度もボールを触らせないパスサッカーはオランダの伝統芸と言っても良いと思います。
今日の日本対オランダの試合、そんな歴史もある目線で見ると、また面白いかもしれません。
ガンバレ日本!ガンバレ森保⚽️
おわり。
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