『祝福の葬列』 第七話
シゲの家から事務所に帰って来るなり、四ツ谷は事務所の上の階に自室へ直行した。
大股で歩いて行く後姿に着いて行くと四ツ谷は大きなキャリーバッグを持ち出し、自分の服や除霊道具を乱雑に詰めていた。
「何してるんですか?」
「見て分かるやろー。荷造りや」
四ツ谷は凪の方を見ずに答えた。
シゲの家に行ってから急な荷造りを始めたとなれば、行く所は決まっている。
「……丘に行くんですか?」
「そうやな。凪君はどうしようかな。ここで大人しく留守番でもええけど……あー、でもこざかしい手を使って来たら困るから一緒に連れて行った方がええやろか……凪君、ついて来る? どうする?」
手を止めて凪の答えを待った。その表情はいつもの通り怪しさ満点だが、どことなく焦りの色が見えた。
「行きます」
悩むことなく答えた。
「じゃ、凪君も準備しておいでや」
四ツ谷に言われ部屋を出て、自室へ向かう。
丘に行くのは、あの日以来だ。八年の月日が経とうとあの時の記憶は鮮明に思い出せる。
怖くないわけがない。しかし、ここで一人で取り残される方が不安だった。
「四ツ谷さん、何泊する気なんだろう」
質問しようともう一度四ツ谷の部屋を覗くと、扉に背を向けて誰かと電話をしていた。
「どうした、落ち着け」といつもよりも低く落ち着いた声に切迫したものを感じ、質問は後にして別の用事を済ませようといったん事務所に戻った。
悠馬が来てすぐに事務所を出たのでカレーの皿を放置したままだ。水につけて出れば良かったと後悔しても遅い。
事務所の奥にある小さな台所で洗ってしまおうと皿を回収する。
「あー、カレーどうしよう」
台所には昼に作ったカレーが鍋に入ったまま放置されていた。数時間なので傷んではいないようで安堵する。しかし、いつも多めに作るのでまだかなり残っており、家を数日空けるのなら腐ってしまう。
「冷凍しとけばいっか」
一人で納得し、皿を洗おうとしたところで、こつこつと小さなノックの音が聞こえて来た。
誰か来たみたいだ。依頼人だろうか、と思ったが、足が中々扉の方へ向かない。
それは、あの集落の結界が壊されたせいで丘から出てくるかもしれないと聞いたからだろう。真っ白い顔の女が凪の元を訪ねて来る妄想に呼吸が荒くなりそうになる。
こつこつ。再び、急かす様にノックされ、凪は不安を振り払うべく足を扉に向けた。
「は――」
はい、今出ます。いつものように声をかけ、扉を開けようとした。
その瞬間、背後から伸びて来た手によって口が塞がれた。
驚きで飛び上がり、咄嗟に口を塞ぐ腕を掴んだ。
「しー」
しかし、聞こえて来た声にすぐに背後にいるのが四ツ谷だと気が付き、強張った体から力を抜いた。
驚かされたのにむっとして文句を言ってやろうと背後を振り返り、目を見開く。
四ツ谷は真剣な表情で睨む様に扉を見ていた。その顔は凪を揶揄っているものではない。仕事をしている時の緊迫している状況に似ている。
閑さん、と塞がれたままの口の中で彼の名前を呼んだ。それに気が付いた四ツ谷が少しだけ口元を緩めたが、目には緊張感が滲んでいる。
こつこつ。
また扉がノックされた。
「――凪君、いますか」
聞こえて来た声に怖気が走った。
聞き覚えがある声だ。少ししか聞いていないし、大して特徴があるわけでもないのに、それが誰の声なのかすぐにわかった。
「おらん」
四ツ谷が警戒を悟られないような平坦な声で返事した。
「そうですか」
扉の外から聞こえて来る子供特有の高い声の持ち主は、落胆した声で言った。
それは、その声は、あの集落で会ったミチオの声に間違いない。
「凪君、凪君」
背後からとんとんと背を叩かれ、はっとした。
気が付いた時にはもう扉の外には何の気配もなく、四ツ谷の手も口から離れていた。
「大丈夫? ちょっと座れる?」
「あ、だ、だい」
大丈夫だと伝えたいのに顎が震えて言葉が上手く紡げない。がち、がちと歯のぶつかり合う音が言葉の合間に挟まった。
不格好で情けない様子を四ツ谷は笑うことなく、凪を抱える様にして事務所の椅子に座らせる。いつもなら子供扱い止めてくださいと文句を言うのだが、そんな一言も出て来ない。
「凪君、一旦落ちつこ。何か飲む?」
首を縦にも横にも振った末に祈る様に握った手を机に乗せてその上に額をのっけた。ふうふうと呼吸を整えながら、恐怖でぐちゃぐちゃになった思考を纏めていく。
「あれは、なに」
覚束ない口をなんとか動かす。
「わからん」
四ツ谷はあっさりと首を振った。
「あれは、俺を惑わすために知り合いに化けているだけですか? それともミチオ本人ですか?」
疑問を口にする。
「ミチオっていうんは、凪君の友達?」
「集落で、一緒に丘に行った子です。偉い家の子供みたいな、品のある子で」
喋っていると段々落ち着いて来る。
顔を上げると四ツ谷が考え込む様に顎を撫でた。
「……凪君、集落で参加してた葬式のこと覚えとる? そこにおった子供のこと? 黒髪で、背が高くて、やたらと手足の長い」
「葬式にいたかは覚えていませんけど、特徴はミチオだと思います。多分間違ってないです」
「そうか。それなら、凪君と会っていたミチオは人間やないよ」
四ツ谷はちらりと時計を見た。
つられて凪も顔を上げる。恐らく悠馬の相談は一刻を争う。だから四ツ谷の表情に焦りが滲んでいるのだ。
凪ははっとした。ミチオが凪の所へ来たのならシゲの所にも来たのではないだろうか。
「閑さん、シゲは」
「その話は、車でしよか。まず旅行の準備しような」
四ツ谷はいつものにこやかに笑い、凪の頭を撫でて部屋へと促した。
「……子ども扱いしないでください」
「はいはい」
ふっと四ツ谷の表情に一瞬安堵の色が浮かんだ。凪はそれから目を逸らし、端的に言葉を重ねる。
「何泊しますか?」
「さあ。詰め込めるだけ詰め込んどき」
適当な言葉に呆れると同時にいつ解決できるのか分からないと言われたようで恐怖が込み上げて来た。
泊まりの準備を整え、事務所の扉に外から休業の張り紙をして四ツ谷の車に乗り込む。
「忘れもんは?」
「ないです」
着替えとスマホ、それから財布があれば問題ないだろう。鞄の中身を確認し頷くと車が発進した。
事務所から集落まで車で四時間以上かかる。今から出れば夜の内に到着できるだろうが、夜と言えば怪異が活発になる時間だ。それに視覚からの情報が極端に少なくなるので人間側が不利になる。なので四ツ谷はいつも夜に怪異と対峙するのを避けている。
「夜に行っても迷惑やし、途中で休憩しような」
「え、それだと今から出る意味がないんじゃ」
「家にずっとおっても気が休まらんやろ」
あの事務所は四ツ谷が念入りに結界を張っているのでどこよりも安全だ。それなのに凪は今事務所にいたくないと思ってしまっている。それを四ツ谷は見透かした風に笑った。
「あれがいつ来るか分からんけど、走行中の車をノックはしてこらんやろ」
訪ね放題の事務所よりは車の方がずっと安心だと、凪の不安を取り除こうとしている。
車が走り始めて三十分たって漸く四ツ谷が話を始めた。
「さっき悠馬君から電話があったんやけど……シゲ君以外みんな駄目だったらしいわ」
四谷が電話していた相手は悠馬だったようだ。そう言えば電話口で「落ち着け」と切迫した様子だった。
いつになく言葉を選んでいるなと話し始めるまでの躊躇いを思い出す。
駄目だったということは、彼らは四ツ谷の開けるなという忠告を無視したのだろう。それは予想通りだったので驚きはない。
「悠馬君の話によると小学校的学年くらいの男の子に触られた人は消えて、丘に飛ばされるらしい。その人達と通話が繋がっていたらしいから、まず間違いない」
どうやら惨劇の一部が通話から悠馬の耳に入ったようで、四ツ谷に電話をかけてきた彼の取り乱しっぷりは尋常じゃなかったらしい。
「悠馬君、大丈夫なんですか?」
「シゲくんと喋ったけど、割りと落ちついとったから大丈夫やない?」
「シゲは何で無事だったんですか?」
動画の様子からして今回は丘に入っていないようだが、昔入った凪の元にミチオが来たのだから当然シゲのところにも来ているはずだ。
「悠馬君がシゲくんが入ってた布団の上からお札貼ったらしいから簡易的な結界になったんやろな」
四ツ谷の札の力はやはり本物らしい。この車や事務所にも札は貼っていないが、外から悪いものが入って来ないように結界が貼られている。なので、招き入れない限りミチオは入って来ないだろう。
シゲが無事で良かったと安堵の息を吐く一方で、解決していない事象に眉が寄る。ずっとこのままというわけにはいかない。どうにかしてミチオを抑えなければ凪もシゲもまともな生活を送れない。
「祓えますか?」
ぽつりと質問が零れた。
「祓えるかわからんけど、どうにかする。」
四ツ谷はシゲの家での返答とは違う答えを吐いた。
「絶対に凪君を連れていかせへんよ」
その言葉は頼もしいのに、安心はできなかった。
はっと目が覚めた。
いつの間にか眠っていたようだ。重たい目蓋を持ち上げてきょろりと見渡す。
「あ、起きた?」
運転席でスマホをいじっていた四ツ谷が視線を横に向けた。
「ここ、どこ」
眠気が残ったままの声色で問う凪を笑いながら四ツ谷が答える。
「サービスエリア。凪くんお腹減ってへん? なんか買うてくるわ」
腹なんて減っていないが、喉は渇いていた。それにずっと座りっぱなしなので歩いた方が良いだろうと車を降りた四ツ谷を見送る。
「万が一なんか来ても開けたらあかんで。何も考えずに寝とき」
四ツ谷がいなくなると途端に心細くなった。何か来ても四ツ谷がどうにかしてくれるという安心感が無くなったからだろう。それにあの人は良く喋るからいなくなると途端に孤独感が増し、無防備感が強くなってしまう。加えて視界に入るのがだだっ広い駐車場なのもよくない。皆車内で寝ているのか人の気配が薄く、叫んだ所で誰も来てくれなさそうだ。
顔を上げていても良くないことばかり考えてしまうので、四ツ谷の言う通り寝てしまおうと座席を倒して、四ツ谷が持ちこんだタオルケットを口元までかけた。
目を閉じても眠気は来ない。緊張で体が固まっているのが分かって、ふうと意識して深く呼吸をする。
こつ。
静かな車内に固いものがぶつかるような音がした。
四ツ谷が戻って来たのだろうか。
タオルケットを少しだけ引き下げて、窓の外を暗闇を見た。
窓の下部に二つの目が浮かんでいた。
ミチオだ。
咄嗟に口を押え、悲鳴を殺す。息を殺しながら、窓を見つめる。
二つの目はきょろきょろと動き、まるで車内を検分しているみたいだ。何かを探している。何かじゃない。きっと凪の事を探しているのだ。
気づかれたら、終わりだ。
凪は、ゆっくりとタオルケットを持ち上げて顔まで覆った。
シゲが布団の中に入ってミチオを回避したのなら何かにくるまり姿を隠すのは有効なはずだ。お札を貼っていないのは心もとないが、隠れていないよりはずっといい。
ふうふうと吐き出す息がタオルケットの中で籠っているせいかやけに大きく聞こえる。それに耳に直接響く心音も外にまで聞こえてしまいそうなほど大きい気がしてならない。どうにかバレないでくれと願った。
こつ。ともう一度音がする。爪で窓を叩くような音だ。
「すみませーん」
外からくぐもった少年の声が聞えて来る。
「凪君はいますか?」
車のドアノブががちゃがちゃと鳴り、開けようとしている。
四ツ谷が鍵をかけて出てくれたことに感謝しながら乱暴な音と、それに反して落ち着いた声色を聞くことしかできない。
「すみません。凪君はいますか?」
もしかして中に凪がいるのが分かっているのだろうか、と思うほどミチオはそれだけ尋ね続ける。
不意に沈黙が訪れた。
呼吸すらできないような重い沈黙にどっと冷や汗が噴き出す。
窓の外から凪を見下ろしている様子を想像し、あまりの緊張で目を閉じられず、眼球が渇くせいで涙が溢れ出した。
早くどこかへ行ってくれとそれだけを願っていた凪の耳に異音が届く。
――がちゃん、と開錠される音だ。
悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。びくんと体が跳ね、続いて硬直する。まともに動くことも出来ずに目を見開いたままの状態で車内の気配を追う。
扉を開ける音と共に車内が揺れ「よっこいしょ」とおじさんくさい掛け声が運転席から聞えて来た。聞き覚えのある声にふっと体から力が抜けた。
そろりと目だけをタオルケットから出す。窓の外にはもう目はなかった。
「お、どうしたん。凪君。顔色ひどいで」
扉を開けて入って来たのは四ツ谷だった。
驚かせるなと文句を言いたいのに上手く喋れない。そんな凪を一瞥して四ツ谷が言う。
「来た?」
短い質問に凪はぐっと眉間にしわを寄せて頷く。
「何ともない?」
「だ、大丈夫です。車の中覗かれてただけなんで」
「プライバシーの侵害やな」
四ツ谷は、ははっと軽やかに笑いながら買い物袋の中からお茶とおにぎりを手渡してくれた。
それを受け取り、体を起す。話をしていると少しだけ落ち着いた。
「エコバッグは?」
「目ざと……お家に忘れてもうたわ。こんな時くらい勘弁してや」
いつも袋を貰うなエコバックを使えと口を酸っぱくして言うのに中々習慣にならない。こんな時でも小言は出るのだな、と凪は日常の片鱗に安堵した。
「おにぎり、シーチキンが良いです」
「もー。文句しか言わんなぁ、この子は」
そう言いながら四ツ谷の顔も緩んでいる。
危機的な状況だからこそ冷静に行動すべきだ。パニックになれば間違った判断をしかねない。だからいつも通りを心掛けた方が良い。
「いつ頃、向こうに着く予定ですか?」
「うーん、とりあえず朝までここにいる予定」
「朝一で丘に?」
「いや。僕らは敵側のことなんも知らんやん。ミチオ君やっけ? 名前しかわかっとらんに戦えんわ。悪魔祓いやあらへんのに。やから、まずは敵のことを知ることからな。自然発生した怪異とは思えんから、どっかに言い伝えかなんかが残っとるはずや。資料館とかあったら楽やけど、ないやろなぁ。凪君のいた集落ならなんか聞けるやろ」
祖母の家にはあれから行っていない。
結界が壊れているのなら、祖母のいる集落は敵地の隣ということだ。そんな場所に踏み入れる恐怖にぞくりとした。
「こわい?」
それなら、車にいてもええで。と四ツ谷は言おうとしているのだと分かった。
「怖いです。でも、四ツ谷さんの隣が一番安全なので着いて行きます」
「なんそれー。かわええ」
はは、と笑い、四ツ谷が目を逸らす。
「うん。そうやね。期待されとるし、頑張らな」
四ツ谷の表情は分からなかったが、握りしめている手が力を入れすぎているせいで白くなり、ぶるぶる震えていた。
あの四ツ谷閑が恐怖で手を震わせている。いつもどこか掴みどころがないにやけ面を浮かべ、どんな怪異を前にしても飄々とした態度を変えなかった男が初めて見せた恐怖に凪はぎょっとした。
「閑さんにも怖いものとかあるんですね」
「えー?」
四ツ谷は自身の手をちらりと見て、苦笑を浮かべた。
「そりゃあるやろ。得体のしれんもんに凪君もっていかれるかもしれんもん。僕、お祓いが得意なわけやないし」
はあ、と大きくため息を吐く。
顔に出ない男だが、どうやら緊張しているらしい。
緊張している人を見ると自分は落ち着いてくるものらしく。凪は完全に平時を取り戻していた。
「まぁ、大丈夫ですよ。四ツ谷さんなら」
「え、急に丸投げしてくるやん」
「期待してます」
「ちょっと待って。プレッシャーやばいわ。酒飲んでええ?」
急に慌て出した四ツ谷に首を振る。
「良いわけないでしょ。というか、あんた飲まないでしょ。オレンジジュースの方が上手いわーとか言ってるじゃないですか」
「今は、ビールを飲みたい気分やねん」
「はいはい。アホなこと言って無いで。もう寝ましょうね」
明日はきっとこれまでと比べ物にならないくらい怖い思いをするだろう。それでも不思議と不安はもうなかった。
弱者である凪が足掻こうがどうにもならないのだから、あとは四ツ谷を信じるしかないのだ。
凪は、タオルケットをかけ直し、目を閉じた。
