『祝福の葬列』 第八話
太陽光で目を覚まし、ぼんやりしたままの凪を乗せて車が発進した。
四ツ谷が車の周りに小細工を施した様で、車を覗き込まれて以降は何も異変が無かったと認識していた。
「何度か来たで」と運転している四ツ谷が告げた。
四ツ谷は寝ていないのか、目の下に隈を作っていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫や。でも終わったら観光がてら温泉行こうな」
四ツ谷の顔に疲れの色はないので、まだ体調面の問題はないのだろうが、心は休まっていないはずだ。凪は車で四ツ谷が隣にいる状態の方が安心して眠れたが、四ツ谷は家にいた方が落ち付けただろう。これから怪異と対峙するのなら家の方が良かったのでは、と思ったが、今更考えても遅いと首を振った。
四ツ谷は一直線に集落に向かわず、一旦最寄りの駅に車を停めた。
「ちょっと待っとって」と言い残し、車を降りると歩いて行ってしまう。どこへ行くのか目で追いかけた先で、四ツ谷はバス停のベンチに腰を下ろす老人に声をかけた。白い頭のお爺さんだ。遠目なので表情までは見えないが、四ツ谷が隣に座って話しかけても退く様子はない。何度か頷いたり首を振ったあと、その動きがぴたりと止まった。そして、老人の顔が凪の方を見た気がした。
それから一言二言で、二人の会話はすぐに終わり、数分で四ツ谷が戻って来た。
「何の話してたんですか?」
「集落の話聞いてみたんやけど、はぐらかされたわ。けど、丘に子供が攫われそうやって言うたら同情された。詳しくは分からんかったけど、あの丘に子供が攫われるのはたまにあることらしいわ。恐らく昔から。何かの因習か分からんかったけど、爺さんは丘なんか作ったからとか悪いことが起きたいうてた」
「作った?
「うん。丘がどうして、誰が作ったんか調べんと」
その後、集落へ行くまでに何人か捕まえて話を聞いたが、集落の名前を出すと顔を顰める人が多かった。
話を聞いた中には、やはり子供の失踪事件がという話もあった。それに、あそこは閉鎖的で気味が悪いと漏らす人もいて兎に角悪い感情が渦巻いていた。
上の世代になればなるほど集落への嫌悪感が強くなるようで、老人からは殆ど話を聞けなかった。
まるで可笑しなものから目を逸らしているような態度は、経験がある。両親から離れ、集落へ向かおうとしていたバスの中での出来事だ。あの時、集落へ行くと凪が言った瞬間ぴんと空気が張り付いた。あの感覚とどこか似ている。目を逸らしたい。関わりたくない。警告した方が良いだろうか。いや、でも巻き込まれたくない。とあの時の乗客は考えていただろう。
「丘について、今わかっている情報をまとめてみよう」
車を走らせながら四ツ谷が言う。その言葉に従い、凪はこれまでの情報をかき集めた。
「丘は誰かが作ったもの。作られた理由は不明。恐らく、怪異に目をつけられる条件は丘に踏み入れること。踏み入れた人間はミチオによって丘に送られ、殺される。丘には白い顔の女がいて泣きながら笑っている。それで、えっと、ああ、確か、あの丘には神様がいて、頂上に祠がある」
「神様? 祠? それは初耳やな」
思い当たる節があるのか、四ツ谷は何度か同じ言葉を繰り返した。
「丘が作られたものなら、その神様はどこから来たんや? 祠に祀っとるんか?」
「ツバサが祠って言っていたので、祠っていっているだけですけどね」
「見た目は祠やないの?」
「どっちかっていうと……」
子供の時にはアレを地蔵みたいだと思ったのに、現在の凪の頭に浮かんだのは違う言葉だ。
「なに?」
四ツ谷が問う。それに凪は唇を引き攣らせながら答えた。
「お墓に似てました」
「お墓?」
四ツ谷は何やら考え込む様に顎を撫でた。
「まだよおわからんな」
四ツ谷が呟いたタイミングで集落が見えて来た。
八年ぶりの集落は、記憶の中にあるものと大して変わっていない。古ぼけた家々に広大な自然。都会の生活に慣れ親しんだせいで、まるで別世界のように感じる。
車が止め、降りる前に四ツ谷がお守りを渡して来た。
「首から下げといて」
お守りには長い紐が着いており、言われるままに凪は首にかけた。
「ついでに、これも」と言って、タオルケットを持って行くように言われる。いつの間にか四ツ谷が持ち歩いているお札が貼られている。
「何かあったら被って姿を隠しなさいよ」
不安を和らげるためにタオルケットを握りしめる様は子供みたいだが、今は縋れるものには何でも縋りたい。恥は捨てて、タオルケットを羽織った。
準備が整い、きょろりと窓から覗き、ミチオが居ないのを確認して車から降りた。
「前だけ見といてや」
離れないように四ツ谷にぴったりとくっついて集落の中を歩く。視線を他にやったタイミングでミチオと目があった時の事を考えると顔を上げられない。前すらも見えない状態で四ツ谷に引きずられるように歩いて行く。
朝が早いからかまだ人の気配は薄い。祖母の家を訪ねたが、無人だった。
「畑か?」
声をかけてもインターホンを押しても締め切られた扉はうんともすんとも言わない。
玄関が締め切られているので、てっきりいると思っていたのだが、いくら待っても反応が無い。
「どうします? 誰に話を」
「あら、もしかして四ツ谷さん?」
背後から聞こえてきた声に四ツ谷が振り返った。
「ミヨコさんやん。お久しぶりです」
その名前に聞き覚えがある。恐る恐る振り返り、視線を少しづつ持ち上げるとそこには八年前に初めて会った女性が立っていた。八年の月日が経っているのに大して変わっていなかった。
「あら、もしかして凪君? おっきくなったなぁ」
ミヨコは凪と目を合わせ、手を握って来た。しわが多い手は温かいが、微かに震えている。
「ミヨコさん、話聞きたいんやけど、ここで一番事情に詳しい人って誰? ミチオ君について分かる人がいいんやけど」
その四ツ谷の一言にミヨコに手が強張る。
「ミチオ……会ったの?」
「凪君がな」
ミヨコの目が見開かれ、半開きの唇がぶるぶると震えはじめた。
「そうかぁ。だから、今日ここに来たんね。分かった。志賀の爺さんならなんか知っとるはずだから、おいで」
四ツ谷と共にミヨコに後をついていく。
向かったのは、集落の奥にある大きな平屋だ。庭に車が一台止まっているが、まだ駆け回れるぐらいの広さがある。
表札に志賀と書かれている。
「爺さーん。いますかー?」
何の躊躇いもなく玄関を開け放ち、大きな声で中に問いかける。その様子は田舎特有のものだ。都会でしようものなら通報されるだろう。
とっとっと軽い足音で廊下の向こうからやって来たのは細い体躯の老人だ。この人が志賀の爺さんだろう。
「ミヨコさん、どうかしたか?」
よろよろとした足取りに反して、その口調は力強く、ちらりと凪に向けられた視線は鋭かった。
「誰だ?」
「マサさんの孫と四ツ谷さん」
四ツ谷が前に出て頭を下げた。
「どうも。お聞きしたいことがあるんやけど、ええですか?」
志賀は一瞬黙った後、頷いて凪たちを家の中に促した。
「広い家ですね」
玄関に入り、きょろりと見渡した感想を呟く。
「田舎の家なんてどこもこんなもんだろう」
四ツ谷だけに聞こえるように小さな声で言ったつもりだったが、志賀に聞こえたらしい。
失礼になるかと思ったが、志賀は気分を害したようすもなく部屋中を見渡した。
「向こうの家はもっと大きいぞ」
「向こうって、あっちの集落のことですか?」
「そうだ。神様がいるからな。あの家は繁盛してんだよ」
凪は咄嗟に四ツ谷の方を見た。
「続きは上がって、お茶でも飲みながら話そうか」
志賀は四ツ谷たちが何を聞きたいのか全てわかっているようだった。
案内されたのは、広い客間だ。中央に背の低いテーブルがあるだけのこざっぱりした部屋だ。
そこに四ツ谷と凪が隣同士で座り、四ツ谷の正面に志賀が、その隣にミヨコが座った。
「さっそく聞かせて貰えます? あの丘やミチオについて」
四ツ谷がそう切り出すと志賀はじっと首を垂れ、じっとテーブルを見つめた。何から話すべきか考えているようだ。
一分にも満たない時間、沈黙が流れ、志賀が顔を上げた。
「あの丘は、俺が生まれる前からあるものだ。俺の爺さんに聞いた話によると、あれは神様のために作られた禁足地らしい」
「禁足地? そんなん作るもんちゃうやろ」
「そうだ。普通は神様のいる所が禁足地になる。でも、あそこは、神を降ろすために作ったんだ。昔、この地域は干ばつが問題になっていた。何日も何日も雨が降らず、人々は干からびていく。天災をどうこうできるとしたら神様だけだろう。神に縋りたい。しかしここには神はいない。それに皆、無宗教だ。それなら、作ってしまえばいい。神様の住まいを作り、そこへ神を降ろす。それが人に残された最後の手段だった」
馬鹿げている。
簡単に神様が降りて来るわけがない。そんなものを信仰とは言わないだろう。凪が顔を顰めたことで、志賀に考えが伝わった。
「そうだ。馬鹿げている。別に本気じゃなかったんだろう。希望だよ。希望が欲しかっただけだ。縋る相手がな。上手く行かなかったら責める相手が欲しいんだ。それが神様だっただけだ。あんなものただのデコイだった。そのはずだった」
「上手くいってしまったんやな」
志賀は項垂れるように頷いた。
「丘を作って直ぐに雨が降った。皆、神様の力を信じ始めた。そうなると人は次々と神様に頼るようになる。しかし、そう簡単に神様は願いを叶えてくれなかった。当たり前だ。信仰もくそもないのに神様は降りて来るはずなんてない。雨が降ったのだって偶然に過ぎない……偶然でも願いが叶ってしまったのがいけなかった。信仰が足りないと誰かが言った。そして、どこから知識を得たのか、誰かが人身御供をしなければなんて言い始めた。分かるか? 生贄のことだ」
人を生贄に捧げ、願いを叶えて貰うことだと昔四ツ谷に教えてもらったので、頷いた。
「集落も人の精神もギリギリだ。もう縋れる先は神様しかいない。だから、子供を生贄に捧げることにした」
「子供……」
ミチオの顔が浮かぶ。
優し気で、聡明な顔立ちに育ちの良さそうな喋り方をしていた。
「地主の子供だ。名前は知らない」
「地主の? 生贄に選ぶなら地位の低い家からにするもんやろ」
「子供は、双子だったんだ」
志賀の言葉に四ツ谷は納得した様子にで頷いたが、凪は訳が分からなかった。
「双子だから、何なんですか?」
「昔は双子を産む人は畜生腹なんて呼ばれたんや。一杯生まれるのが動物みたいやからって理由で差別されてた。それに双子なら跡目をどちらが継ぐかの問題も出てくる。一人、生贄として殺せば全部解決するやろ。生き残った子供は後を継ぎ、死んだ子供は集落に貢献したと名誉を与えられる。そんな所やろ」
四ツ谷が苦い物を吐き出す様に言う。
凪は四ツ谷の言葉を噛み砕き、必死で飲み込んだ。双子が差別的な意味合いでとられることは多少は知っていたが、それが行われていた事実を現実だと受け止めるには時間がかかる。
「子供を殺して、あの丘に供物として捧げた?」
四ツ谷が確認するように言うが、志賀は首を横に振った。
「殺したのは、子供だよ。双子の片割れを殺させて、丘に連れて行ったんだ」
絶句した。凪は口を開いたままの状態で固まった。
「そうしたらまた願いが叶った。これもきっと偶然だった。でも、人の信仰心という名の欲望は膨れ上がり、際限を知らない。何かある度に子供を捨てた。捨てた家には恩恵があった。無い家もあったが、恩恵が無いのは信仰心が足りないからだとされた。勿論、異を唱える者もいた。しかし、狭いコミュニティーで弾かれれば命にかかわる。だから見ないふりをした。その内、誰かが子供は神様の所で幸せに暮らしているなんて戯言を言い始めた。それは、あまりにも都合が良い言葉だった」
凪の脳裏に浮かんだのは、ツバサの葬式だった。
皆笑顔でツバサが死んだのを良い事だと言っていた。そして、泣いている人を無理矢理笑わせていた。それにはそんな事情があったのだ。
「咎める者がいなくなったんやね」
「そうだ。でもな、いかれた因習はいつまでも続かない。いつか終わりが来る……そのはずだった」
「終わらなかった?」
志賀は顔を顰めたまま、ため息のような呼吸をした。
「時代が変わって、当主の家に子供が生まれた。双子だった。片割れが死んだ。丘で殺された。片割れに殺されたんだ。殺した方はミチオという名前だった。あの家にはそれから何度もミチオが生まれた。双子が生まれたら片方はミチオなんだよ。人間じゃない。最初に生贄になった子供の怨念か、それとも殺した方の恨みか、全く別のモノか、なんなのかは分からない。あれは、丘に子供を連れて行く。そして殺すんだ」
「殺されたのは、子供だけやないで」
四ツ谷が言うと志賀は苦し気に言った。
「子供は数が限られるから、大人も連れて行くようになったのかもしれない」
「あそこは、骨の山やな」
そんな血生臭い場所に神様などいないだろう。
「あの、丘にある祠は何なんですか?」
「あれは祠じゃない。墓だ」
端的な返答に言葉が詰まる。予想は当たっていた。
「死んだ子供の墓か……それで、あの女は?」
「……白い顔の女か? あれが神様だよ」
四ツ谷と凪は同時に首を傾げた。
「本物じゃない。信仰の末に生まれた器みたいなものだな。中身は、何なのか分からない。恐らく、殺された子供達の怨念だろうな」
それを聞いて凪は納得した。ずっと胸に会った違和感が晴れた。
微笑みを浮かべているのは、人が思い描く神様の姿で。泣いているのは、中身の子供達だ。外と中がちぐはぐだからあんな奇妙な状態になったのだろう。
「まだ、聞きたいことはあるか?」
志賀は四ツ谷と凪を見た。
「うーん、そうやな。どうやったら倒せると思う? 凪君がストーカーされとってうざいねん」
「倒せない。あんたの婆さんだって倒せなかったんだ」
「え」
凪は思わず四ツ谷を凝視した。するとへらりと笑みを返された。
「お婆さんって、霊媒師なんですか?」
「そうや。言うてへんかったっけ? 超有名な霊媒師。こっちも元々は婆さんが世話しとったらしいわ。もうあっちの集落は婆さんが偵察に行った頃には手遅れだったみたいやから、結界作って封印したらしいわ。今回壊れたみたいやけど」
「また封印するしかないってことですか?」
「そうやな。あの丘燃やしてやろうかと思ったけど、悪化したら手の付けようがないしなぁ」
「放火は駄目ですよ」
あそこに火なんか着けたら山に燃え移って除霊どころの話ではなくなる。
冗談かと思ったが、四ツ谷の目は少しも笑っていない。燃え盛る丘をバックに「やってもうたわ」と後頭部を掻く四ツ谷の姿が浮かび、ぞっとした。洒落にならない。
「封印するならお家やな。じゃあ、さっそく」
四ツ谷がもう聞くことはないと腰を上げた時。玄関の方から声がした。
「ごめんください」
その声に反射的に体が強張った。ミチオかと警戒したが、すぐに声が違うことに気が付く。
「ミチオやないね」
四ツ谷が言うと皆安心した風に息を吐いた。
凪たちは帰り支度を整え、客人を迎えに行く志賀について玄関に向かう。
「志賀さん、こんにちは」
客人の正体は、凪の祖母、マサだった。
「あら、どうしたの、みんな揃って。まあ、凪君までいるじゃない」
うふふ、と笑う祖母は凪たちの緊張感など全く感知しているようで「あらあら、皆怖い顔をしてどうしたの」なんて呑気に続けた。
「マサさんは一体どうしたんだ?」
「畑にね。行って来たの。これ良かったら、どうぞ」
祖母が差し出したのは、かご一杯に入ったピーマンだった。予想通り畑に行っていたらしい。
久しぶりにあった祖母は、昔よりも朗らかでほっとした。凪は集落だけでなく、祖母に対しても忌避感があった。祖母が変わったのは、それとも凪が大人になったのかは分からないが、落ち着いて話せるのに越したことはない。そう思った直後、不意に違和感が掠めた。
なんだろう、何か引っ掛かるのに、それが何か分からずもやもやする。
「凪くん、どないした?」
四ツ谷に顔を覗き込まれ、首を振る。
気にはなるが、今はそれどころではない。
「何でもないです」
今は、一刻も早くミチオを封印するために動かなければいけない。凪と四ツ谷は志賀たちと別れ、隣の集落へ向かった。
「丘に行くんですか?」
「いや、目的地はミチオの家や。けど、その前に壊された結界を見ときたい」
壊れたという結界は、凪が子供の時にミチオと出会った場所だった。道の両側に石碑があったのを記憶していたが、久方ぶりに訪れたみたそこは酷い有様だった。石碑はどちらも倒れ、書かれている字は削って有ったり、土で汚れていたりして読めない。
石碑が壊れたと聞いたのが、シゲたちが集落へ動画を撮りに行って帰って来たタイミングだったため、てっきり大慌てで逃げた皆が石碑を倒して壊したんだとばかり思っていたのだが、倒してしまったと表現するにはあまりにも壮絶だ。
「人為的に壊されとんな」
「やっぱり、そうですよね」
「この結界は、うちの婆さんがミチオが出て行かないように設置したもんや。これを壊す理由なんてミチオを外に出す以外にない。何でこのタイミングでミチオを放し飼いにしたんや?」
四ツ谷は壊された石碑を睨むように見つめる。どれだけ見ても答えは分からない。
「まぁ、ええわ。とりあえず、向こうの集落に……」
四ツ谷が言い終わる前に言葉が止まった。
どうしたのかと顔を覗き込もうとした時、頭を抑えられ上からタオルケットを被せられた。
「うぶっ」
「喋るな。おでましや」
微かに強張った四ツ谷の声の後、土を踏む様な音が続いた。
おでまし。何が、なんて聞かなくても分かる。――ミチオだ。
「凪君、走れる? おぶろうか?」
いつか聞いたような質問に、あの時と同じように首を振って答える。
「走ります」
「さよか」
緊張で心臓が痛いくらい脈打っている。走れる自信などなかったが、走らない選択肢はない。
「凪君?」
ミチオの幼く、柔らかい声に名前を呼ばれた途端、腹の中を撫でられるような不快感が襲い、突き飛ばされるように走り出していた。
必死で両足を動かす。何度も転びそうになり、その度に四ツ谷に腕を引っ張り起こされた。そうして、半ば引きずらる様にたどり着いた集落を横断する。右手に丘がちらりと見えたが、無視して駆け抜けた。
「待って、凪君」
息が切れている様子の無い声が背後から迫って来る。
「丘に行こうよ。皆待っているよ」
とっとっと軽やかな足音がものすごく近くから聞こえると、恐怖から叫び声が出て行きそうだった。
ミチオの家がどこなのか分からなかったので無我夢中で四ツ谷に着いて行く。志賀が家よりも大きいと言っていたくらい立派な平屋が見えた時、凪の足は更に加速した。
「凪君!」
一歩先を行く四ツ谷が開けてくれた扉の隙間に飛び込み、玄関に倒れ込む。四ツ谷も体を無理矢理入れ、扉を締めた。
重厚なすり硝子の扉が勢いよくしまった途端、外から扉を叩く音がした。入ろうとしているようだが、四ツ谷がすかさず鍵をかけたので扉はうんともすんとも言わない。
「田舎の施錠率の低さに感謝やな。鍵がかからんとこもあるけど、ここは壊れてなくてよかったわ」
ふうと大きく息を吐く。走ったせいだけではなく乱れた呼吸を整え、震えている手をぎゅっと握りしめた。
「ここがミチオの家ですか?」
「多分……」
四ツ谷が答えたと同時に、廊下の向こうからやって来る人陰に気が付いた。
「あの、どちら様ですか?」
ゆっくりと歩いてやってきたのは細身の女性だ。腹部だけ大きく膨れているので妊娠しているのが分かる。
女性は急に大きな音を立てて家に入ってきた凪たちを不審げに見つめて来る。
「騒がしくしてしまって申し訳ない。僕は四ツ谷いうもんです」
四ツ谷は扉にお札を貼りながら挨拶をした。途端に扉を叩く音は止んだが、女性の不信感は拭えなかったようで今にも通報されそうだ。
「お邪魔しますね」
そう言いながら四ツ谷は靴を脱ぎ、家に上がった。
「ちょっと何なんですか?」
「この家ってあんた一人? 他に人はおらんの? まともに話せるような人間おる?」
失礼な態度を崩す事無く廊下を進む四ツ谷の後を女性と共に追いかける。
ミチオの家は、志賀の言う通りかなり広かった。しかし、向こうに家と違って人の気配が無く、がらんとしている。廊下に面した扉を開けて中を検分しながら歩く様子は押し入り強盗か、借金取りにしか見えない。
「ちょ、ちょっと待ってって」
女性は怯えた様子で言う。すると漸く四ツ谷が振り返った。
「結界壊したん、あんたやろ」
女性の動きがぴたりと止まる。
反射的に見た女性の顔は真っ青で、見開かれた目から目玉が零れ落ちそうになっている。吐く息は細く、受けた衝撃のすさまじさが分かった。
「勘で言うただけやけど、わかりやすいなぁ」
からかうような調子の四ツ谷の言葉に女性は唇を震わせた。
「なんで」
「だから勘やって。あの結界はミチオを外に出さんためやった。それを壊す理由があるなら、ミチオを放し飼いにしたい以外にない。ミチオは手に余るか? それとも、腹の子供が殺されるかもしれないのを恐れてか?」
子供が生まれればミチオに連れて行かれる可能性がある。ツバサの様に。
「ミチオを外に出せば、子供が死ぬ可能性が格段に落ちると考えたんやろ」
「そうじゃないの?」
女性の声は震えていた。
「そんな簡単なもんやないのは、あんたがよくわかってるんちゃう? ここの人やろ」
女性は首を横に振った。
「小さい頃から違う場所で暮らしてて……妊娠してからこっちに来たの。行く所がなくて……」
女性は腹に手を当て、子供をなだめる様に数回撫でた。
