『祝福の葬列』 第九話
女性は逸子と名乗った。
逸子は、幼い頃に両親が離婚し、集落を出て母親と二人で暮らしていたが、高校卒業と共に家を出てから母親とも疎遠になった。それから五年後に子供を身ごもったらしいが、相手の男については触れなかった。結婚をする予定はないのだとだけ言い、行く当てがなかったのだと続けた。
父親から連絡が来たのは、妊娠が分かってすぐの事だったらしい。何故、このタイミングだったのかは分からない。
「困って居るのなら帰って来てもいいから」という手紙が届き、一人での出産に不安を抱え、半ば途方に暮れていた逸子は不信感や気味の悪さを感じながらも手紙に縋るしかなかった。
帰って来たのは、三ヵ月前のこと。
家の異常さに気が付いたのはすぐだった。
父親がミチオという男の子の話をするのだ。
ミチオは逸子の兄にあたる人らしいが、その姿形はまるっきり子供だった。人当たりの良い笑顔を浮かべているが、逸子の膨らんだ腹を見つめる目は黒く淀んでいて、恐怖を抱いた。ミチオと話したのは、その一度きりだった。兄だというのに家にはいない。偶に丘を見ている姿を見つける。目が合うと手を振ってきたり、手招きをしてくる。
「丘に行きますか?」と聞かれた時は何故か鳥肌が立った。
「お腹の子は元気に出てきますか?」と問われた時には、吐き気が込み上げて来た。
ミチオは異常だ。そして、父親も、集落も異常だった。
「子供、いいですね。神様の元へ行かれるんですよね」と名前も知らないお婆さんに腹を撫でられ、叫び出しそうになった。触らないでほしいとやんわりと断ると「神様のものですものね」と意味の分からないことを言われた。
気色悪い。
田舎特有の距離の近さは都会に馴染んだ逸子にはきつく、それ以上に集落の人間が口にする「神様」というのが、無宗教で生きて来た逸子には拒否感が強かった。
なるべく関わらず生きていきたいが、そうはいかない。知らないお爺さんが家の庭に入って来たり、玄関を開けたり、料理を持って来たり、体を触って来たり、子供の性別を聞かれたりする。嫌だと拒否して、白い目で見られたらと思うとそれはそれで怖い。
子供が生まれるまで。とりあえずはここにいて、子供が生まれたらすぐに幼稚園を探して仕事を探して、と算段を立てる。幼稚園選びがそう簡単にいかないとネットで見たことがあるが、今は何も考えたくなかった。
悪阻が酷い。
吐き気がずっとあるのに、当たり前みたいな顔されるのが腹立たしい。
私もそうだったと同意されるのもむかつく。お前に何がわかるんだと怒鳴りたくなった。
何度も何度も布団の中で腹を撫でながら泣いた。
父親はあまりしゃべらない。数日に一回のペースで「子供は双子か」と聞かれた。
鬱陶しい。
味方は、お腹の子供だけだ。この子を守るために私は生きているのだとそう思った。
おかしな話を耳にしたのは、一月前だった。
「ツバサ君が向こうへ行ってからもう八年か」
ツバサという男の子がは八年前に行方不明になった話は知っている。全国ニュースになった。山を捜索したらしいが、結局見つけられなかったらしい。そのことを言っているのだろうか、と思ったが、その話をする彼らが笑っていたので違和感を抱いた。
「あれから誰も行って無い?」
「多分。全部把握していないよ。まぁ、次は逸子ちゃんの子供だろう」
「そうね。ずっと男が続いているから、次は女の子が良いんじゃないかしら。腹の子は女の子かね」
「双子だったらどうする」
「どうもしないよぉ。目出度いことよ」
あははあははあはは。笑い声は続く。
何が可笑しいのか分からない。何の話をしているのだろう。何を言っているんだ。
「あ、逸子ちゃん」
気が付いたら一歩足を踏み出して来た。話をしていた集落の人が気が付き、笑顔で手を振って来る。その顔を見て、さっきのは別に悪い話ではないのだとほっとする。ツバサという名前も別に珍しくないから、別の子の話だ。
そう思い、話に入った。
「何の話をしていたのですか?」
「丘に行く子供の話だよ」
「丘?」
「あそこ。神様のいるところ」
しわくちゃの老婆が集落の奥にある丘を指さした。
「何であそこに行くんですか?」
「神様のものになるためだ。子供は全部神様のものになるんだ。ツバサ君がみたいに。ツバサ君も他の子も皆あそこにいるのよ」
老婆はしわだらけの顔をぐちゃぐちゃにしてへらへらしている。
逸子の理解できない言葉を喋っている。もっとわかりやすく喋ってはくれないだろうかと歯噛みする。
「ツバサ君って」
「八年前にね。神様の所に行った子。知らんよね」
「行方不明になったって」
「丘にいるよ。やんちゃな子だったから、たまに降りてこようとする」
「え、降りてくるんですか?」
逸子は老婆の言葉を少しも理解していないけど、丘に行ったツバサが降りてくるとき聞き、仰天した。何で驚いたのかすら自分で分かっていない。
老婆は頷いた。それを隣で聞いていた骸骨みたいなお爺さんが笑った。痰が絡んだような声で老婆を馬鹿にした。
「何言っとんじゃ、ツバサが降りてくるのは出てた足を無理矢理突っ込んだからじゃろうが。雨で骨が流れてきとんだよ」
「そうだったか?」
骨?と首を傾げた。
丘にツバサが行った。彼は降りてくるが、あれは骨だ。白い骨が、雨で流されて降りてくるのだ。
流れてきたらどうするの。逸子は無意識に聞いていた。そんなことが聞きたい訳じゃないのに聞かずにいられなかった。
「奥に投げるんよ」
「もう降りてこんようにね」
吐き気がひどい。悪阻かもしれない。
「逸子の子供は、ちゃんと奥まで行かないとね」
胃の奥から込み上げてきたものを全部吐き出した。
悪阻は酷くなり、起きていられなくなった。外になんか出られないと散歩を進めてくる父親に怒鳴る日々が続く。
集落の人間は頭がおかしいから、子供が殺されてしまう。今すぐにでも集落を出たいのに行く宛などない。
地獄のような日々の合間にミチオを家の中で見た。
逸子が寝ている部屋の前に立っていた。
彼は子供にしては大人びた顔立ちに異様に長い手足をしている。化け物みたいだと思った時、彼は逸子の大きく膨れ上がった腹を見た。
「子供は元気ですか?」
みんな子供のことを聞く。
ミチオはそれから、毎日部屋の前で立っている。
逸子は家にも居場所を失くし、外に出た。
集落の人間は逸子を見ると心配そうに近寄ってくる。その時にツバサの母親が自殺したことを知った。
当たり前だ。子供が死んだのにのうのうと生きれる方がおかしいんだと思うのに、集落の人間は死んだ母親を理解できない生き物みたいに話した。終いには「よその子だったから」と言い出した。
よその子は頭がおかしいらしい。普通は子供が神様のものになったのを喜ぶらしい。
ミチオの話を聞いたのもその時だ。
「ミチオが連れていくから安心してね」と老婆が妙にぬくい手で腹を撫でて来た。
ミチオが子供を丘に連れていくらしい。ミチオは化け物だからきっとどうにもできないと何となくわかった。
じゃあ、どうすればいいのだろう。どうすれば子供を救えるか考えた。
「結界を壊せば良いよ」と言ったのはミチオだ。
結界を壊せば、ミチオは外に出る。そうしたら子供は助かる。
ミチオが言った。丘に誰かが入ったらしい。彼らを追いかけたい。外に出たい。丘に連れて行くために。
ミチオは逸子の部屋の前で話した。
結界を壊さなければ。そうしたら、子供は助かる。
子供の胎動を聞いた。生きている音を聞き、逸子に迷いなど生まれなかった。
家の倉庫にあったスコップを持ち出し、言われるままに石碑を壊した。かつんかつんと深夜の山に石が削れる甲高い音が響いたのに誰も見に来なかった。
朝まで作業して、汗だくの泥まみれになりながら家に帰った。
それからミチオは見ていない。
誰かが神様のものになったかもしれないが、どうでもいい。子供が無事なら何でも良い。
客間で始まった逸子の話しは、淡々としているのにじっとりと重い。
感情の揺れを無理矢理押さえ込んだ声は、時折爆発したように一音だけ大きくなったりした。逸子は話終えるとぐっと唇に力を入れて黙り込む。
「なるほどなぁ」
四ツ谷は世間話と同じテンションで相槌を打つ。
「父親いまどこにおるん」
返って来たのが話に対してのコメントではなかったことに逸子は少しばかり驚いた様子だった。暗い目を上げ、恐る恐ると言った風に問う。
「責めないの?」
「責めてどうにかなるん? それよりも今は無い時間で何とか対策立てようとしとんねん。答えてや、父親は?」
四ツ谷の口調はいつもどおり柔らかいのだが、目はまるで笑っていない。余計なことしやがってという怒りがありありと浮かんでいる。それを見て取った逸子は冷や汗をかきながら背後を顧みた。襖に閉ざされた先には沈黙している玄関がある。
「朝からどこかへ行って帰ってきていないです」
「仕事?」
「多分」
「いない間にどうにかするか。あんたはどうする? ここに残る? 分かっていると思うけど、ここの集落は取り返しがつかんよ。出るんなら早めがいい。さっさと荷物だけもって逃げるんがおすすめやね」
四ツ谷がこれだけ行っても逸子は答えを出さなかった。
ここにいたら駄目なことがわかっていながら、行く当てがないのだろう。それは凪にも覚えがある.凪は四ツ谷に拾ってもらい居場所を得たが、この女性はどうするのだろう。四ツ谷が手を差し伸べるかもという予想は裏切られ、四ツ谷は誘おうとしなかった。
「逃げるんなら今のうちやで。逃げへんのなら、邪魔だけはせんといて」
「に、逃げなかったら子供は」
「どうなるかは知らん。ミチオに捕まれば殺されるやろ」
逸子が息を呑んだ。
それでも家を出ると言わない。
「でも、行く場所ないし」と言ってお腹を撫でた。
「生活できないなら生活保護を受けるとか、色々方法はありますよ。だから」
思わず凪が言葉をかけた。
「そんなことわかってるけど、やり方わからないから……」
自分よりも年下の凪に指摘されたのが不愉快だったのか、米神の辺りをがしがしと掻いた。
「まぁ、僕はどっちでもええけど」
四ツ谷はため息を吐き、立ち上がった。やはり逸子を助けようという気はないように思う。
「ミチオ君閉じ込めるんに邪魔だから家から出て行ってもらってええ?」
「閉じ込める? それって、どういうこと? お祓いとかそういうの?」
逸子ははっとして勢いよく立ち上がり、四ツ谷に縋りついた。黒いスーツに皺が寄り、逸子の切実さが痛いほど伝わって来る。しかし、それでも逸子は荷物を纏めて出ようとしない。
「祓ってよ。ミチオを」
「祓うんは無理。あれはそういうもんやないから、ここに閉じ込めるや」
「なんで、ここに? 丘じゃないの?」
「何でって。ミチオ君の家はここやろ。あんな草むらで生活させんの可哀想やん」
可哀想なんて少しも思っていなさそうな口調に内心呆れる。
それにしても逸子の疑問は尤もだ。何故丘ではなく、未だに人が生活している家に閉じ込めるのだろう。凪が疑問に首を傾げている間に、これ以上四ツ谷に何を言っても無駄だと思ったのか、逸子は肩を落として部屋を出て行った。
逸子が去ったのを確認し、口を開く。
「逸子さんにちょっと冷たいですね」
「そりゃあ、そうやろ。腹ん中に何が入っとるかわからんもん」
「え?」
四ツ谷の言葉に首を傾げる。
「双子かどうか父親に聞かれたってくだりで、あの女は否定してなかった。腹の子供は多分双子。この家で双子が生まれたら片方はミチオやって志賀の爺さんが言うとったやろ。子供が死ぬかもしれない集落から出ないのも腹の子供が関係しとるんちゃう? ここで生まれることが条件の化け物なのかも。父親に呼ばれたってのも嘘かもしれんし」
逸子の頑なな態度の理由がわかり、凪は口を引き攣らせた。
腹に爆弾を抱えているかもしれないが、もしかしたら違うかもしれない。本当にただ子供を守りたい人だったら置いて行くわけにはいかない。そう思うのに、強く言うことはできなかった。
「ここまで言っても逃げへんのなら、もう他人が口出すことちゃうよ」
そうかもしれないと納得するしかない。
「丘じゃなくて、この家に封印するのもここがミチオの起点だからですか?」
「そうや。リスポーンできんようにすんねん」
がた、と玄関の方から音がした。凪はびくりと肩を震わせ扉を方を向いたが、四ツ谷はいつもの調子を崩す事無く陽気な顔で凪と向き合う。
「よし、こっからが正念場や。今から凪君につられてやって来るミチオ君を中に招く。凪君はミチオ君から全力で逃げなさい。君らが追いかけっこしとる間に外から封印する。君を守りながらできたら良かったねんけど、器用じゃなくてごめんね。応援も呼びたかったけど、来れんらしい」
「まぁ、捕まらないように頑張ります」
「テンションひっくいなぁ」
あははと笑う四ツ谷の声がいつもよりも固い気がして、顔が歪んだ。
「俺よりも緊張しないでくださいよ」
「……無理やって」
四ツ谷は大きく息を吐き出しながら額を抑えた。手が震えている。四ツ谷が自分よりも緊張しているせいか、凪は落ち着いていた。
「何とかなりますって」
「肝座りすぎやろ。もっとびびってや」
「びびってますし、結構怖いですよ」
どんどん玄関を叩く音が酷くなっている。もうあのお札はもたないだろう。ミチオの姿を思い出しただけで体が震えそうになるが、恐怖で泣くわけにはいかない。
「頑張って、なるべく早くお願いします」
「凪君もね」
お札が限界を迎えた。
玄関の方から凪を呼ぶ声がする。四ツ谷は凪の手をぎゅっと握り、離した。
そして部屋から出て行く。ミチオとすれ違ったかもしれないが、ミチオはただ只管に凪だけを呼び続ける。
ふうと深呼吸をして、呼吸を整えると肩にかけていたタオルットを頭まで被った。
「凪君」
廊下を歩く音はしなかった。しかし、部屋の前からミチオの声がした。
「凪君、いるよね?」
凪は応えない。
四ツ谷は鬼ごっこと称したが、別に駆けずりまわって逃げるわけではない。凪がいる部屋で四ツ谷の準備が整うまで耐える。もし破られたら隣の部屋へ移動する。そしてどんどん玄関に近づき、封印が完了したら家を出る算段だ。ただ、家の中から出るまでミチオに捕まってはいけない。
逸子から話を聞く前に一通り部屋は見ている。計画通り進めば問題ないはずだ。
「凪君、入ってもいい?」
この家はミチオのテリトリーなので圧倒的に凪が不利だが、四ツ谷の仕掛けてくれたお札のおかげで足止めが出来ている。
このまま持ちこたえてくれればいい、という凪の願いが空しく崩れ、扉はがたがたと揺れ始めた。張り付けられたお札が剥がれる。
「思っていたよりもずっと早い」
凪は隣の部屋に移動し、襖を閉めてお札を張り付けた。すると今まで凪がいた部屋の襖が開く音がして、ミチオが部屋の中に入ったようだ。ぺた、と足裏が畳に触れる音がした。
「鬼ごっこみたいだね」
凪が部屋を移動したのはバレバレだ。
外まであと三部屋しかない。廊下へ出ればすぐに捕まってしまうので、玄関から出る一瞬の間にしか廊下へは出られない。四ツ谷が封印を完成させるまで十分ぐらいだろうか。その時間、ここで耐えなければ。
凪とミチオの鬼ごっこはミチオの優勢で進んでいく。お札はどんどん剥がされ、ミチオが凪を捕まえようと追いかけて来る。五分もたっていないのに、あっという間に残り一部屋になった。ここから廊下に出て玄関から外に逃げる予定だが、未だに玄関の向こうは沈黙している。
部屋の前でミチオが襖を横にスライドさせようとしている。お札がびっと音を立てて引っ張られる。お札はどんどん劣化が酷くなり、扉にただひっついているだけの状態になった。
一瞬でよれよれになったお札にぴりっと切れ目が入った。
破られる。
凪は咄嗟に背後の押し入れを開けて、積まれている布団の隙間へ体を滑り込ませた。
体を全部入れ、押し入れの襖を力づくで閉めたと同時にお札が破れ、ミチオが部屋に入って来た。
「凪君、どこ?」
ぺたぺたと軽い足音がやけに大きく響く。
布団に押しつぶされながら息を殺し、ミチオの動向に耳を澄ませる。ミチオは部屋中を歩き回り、凪を探し回っている。この家は広いが、極端に物が少ないので探すところなど限られている。ミチオの足音が凪のいる押し入れの前で止まった。
襖に手がかけられた。
隙間が空き、ふっと外の空気が入り込んでくる。
凪はタオルケットを握りしめ、きつく目を閉じた。
「凪君」
足元から聞こえて来る声にぞわりと鳥肌が立ち、喉の奥から悲鳴が零れかけた。唇を噛んで耐え、体を出来るだけ小さくする。
布団は体を隠してくれているのに全身を見られているような奇妙な感覚に陥る。
「丘に行こう。怖くないよ。ツバサ君もいるからね」
靴下とズボンの隙間にひんやりしたものが触れた気がして、反射的に蹴ると一瞬離れた。
「皆いるよ。神様の所で待っているからね。凪君も行こうね」
足を掴まれた。
熱いものに触れられたみたいに飛び上がったが、布団に阻まれ、じたばたと全身をめちゃくちゃに動かす。
両足を掴まれた。手首にも冷たいものが絡みつく。腹を掴まれ、首を鷲掴みにされた。無数の手が凪の体に纏わりついて、引っ張られる。
「閑さん、閑さんっ!」
悲鳴に近い声で四ツ谷の名前を呼んだが、応える声はない。
ずるずると体を引っ張られ、タオルケットが手元から離れた。何とか手繰り寄せようと伸ばした手を掴まれる。
布団を掴んで何とか引きずられないようにするが、そんなものは大した抵抗にもならなかった。
「うわああ、たすけ」
布団の隙間から二つの目が覗いていた。それが、暗闇でゆっくりと細くなり、黒々とした目に引き込まれるように――落ちた。
