『祝福の葬列』 第六話
がしゃんと鍵が閉まる無機質で冷たい音にざわりと鳥肌が立つ。肌寒さと共に覚えたのは心細さだった。
近所に住んでいる霊媒師を名乗る怪しい男、四ツ谷と生意気だが可愛い高校時代の後輩である凪が部屋を出て行った途端、まるで一人で放り出されたような心持になった。自分で残ると決めたと言うのにだ。
ちらりと布団の方を見る。こんもりと盛り上がったそこは未だに沈黙している。
悠馬と布団で籠城しているシゲこと、重森幸一が出会ったのは中学生一年生の時だ。シゲは中学に上がると同時に引っ越してきたので友人が誰もおらず、教室の端っこで居心地悪そうにしていた。趣味がカメラだと知ったのは、誰もいない花壇で萎れた花の写真を撮っているのを見かけ時だ。
「それ楽しいん?」と悠馬が聞くと振り向いたシゲは驚きと怯えを滲ませた表情を浮かべていた。
「何撮ってんの?」続けて問うとシゲは目を逸らし、口の中で転がすようにして言葉を吐き出した。
「楽しいよ」
少しだけ緊張しているみたいだったが、口元は微かに緩んでいた。そこから悠馬とシゲは教室でも話をするようになった。
賑やかな悠馬と物静かなシゲは対照的だったが、凹凸がかみ合ったみたいに気が合った。他の皆と一緒に居る時も楽しいがシゲといる時は特別だった。だから高校が離れても仲が良かった。
ユーチューバ―の手伝いをしようと言い始めたのは、悠馬だ。大学の先輩だった赤川が編集者とカメラマンを募集していたので軽い気持ちで引き受けた。今の時代、編集は素人でも出来る。小遣い稼ぎが出来てラッキーぐらいに思っていた。同じ大学で過ごしていたシゲも協力的でユーチューブ撮影は上手くいっていた。
昨日は、飲み過ぎたのだ。
最近人気が出てきて登録者が増えたから皆で祝おうと居酒屋で飲んだ。悠馬だけは運転手を任されていたので素面のままだった。
「夏と言えばホラーじゃん。ホラーコンテンツは再生数があがるよな。何か、怖い話ない? 次の撮影場所になるようなところ」
目に陽気さの中に真剣みを帯びさせた赤川が部屋にいる全員を見渡しながら問う。
皆がぼやぼやとした思考の中、ありきたりな心霊スポットの名前を上げた。どれもこれもユーチューブで擦り切れるほど使い古された場所だった。酔っぱらいなんてそんなものだろうと適当に話を聞いていたが、赤川はもっとちゃんと考えろと言い放ち、悠馬の横でちびちびと酒を煽っていたシゲに矛先を向けた。
どこか良い所はないか、と睨みつけるような赤川の鋭い視線にシゲはいつもなら怯えるのに、昨日はどこか夢心地な様子で天井を見上げた。そして、語られたのは小学校の時の不思議な体験だった。集落の丘にいる女の幽霊。そしていなくなってしまった同級生。夏の思い出と呼ぶにはあまりにも残酷で苛烈で――赤川の琴線に触れるような強烈な話だった。
「行こう」と赤川は言い、酒で思考がぼやけていた皆はその言葉に付き従った。
唯一素面だった悠馬は止めた。
四ツ谷という嘘みたいな男が近くにいるせいで心霊に関して懐疑的ではない。むしろその逆だ。直接的に関わった経験はなくとも心霊の恐怖は分かる。それに四ツ谷には散々「心霊スポットなんて馬鹿が行く所やから絶対行くなや。お前は阿保ではあるが、馬鹿でもないやろ」と言われていたので、普段人が使っているトンネルとかでない限り心霊スポットと名のつくところには行かないと誓っていた。
止めようと言った悠馬に「お前が来ないんなら俺が運転する」と赤川が言い始めた。それなら日にちを改めようと提案したのにそれも却下された。
悠馬が止めても赤川はシゲを連れて行くだろう。シゲを一人で行かせるわけにはいかないと悠馬は運転席に乗り込み、集落へ向かった。
この時点で四ツ谷に連絡しておけば良かったのだ。それをしなかったのは、内心シゲの話を真面目にとらえていなかったからかもしれない。十年近く前の話はまるで夢のように朧げだ。行った所で結局何も起きないという気持ちがあった。
だから酒でぽやぽやしたまま手を振って来るシゲに笑顔で手を振り返し、暗闇に溶けていく背を車の中で見送った。
その選択を後悔したのは、それから数分後。
「わああああああああああああ」
耳に飛び込んできた声に体が跳ねた。一瞬、動物の声かと思ったが、直ぐにそれが親友の叫び声だと気が付く。そして、その瞬間ぶわりと毛穴が開き、冷や汗が噴き出した。
シゲに何かがあった。
悠馬は扉を開けるとシゲの名前を呼んだ。そして、丘の方へ向かおうとしたが、それよりも早く暗闇が揺れた。
「悠馬!」
喉の奥からひねり出したような汚い声が悠馬の名前を呼ぶ。必死な形相のシゲの体を抱きとめ、素早く車の中に押し込んだ。
悠馬も車の中に入り、扉をぴしゃりと閉める。
「中に入れさえしなければ何とかなるやろ」は四ツ谷が良く言う言葉だ。悠馬はそれを実践し、シゲを追ってきているかもしれないものが入って来ないように車を閉ざした。本当は鍵もかけたかったが、もしも他の面々が襲われて助けを求めた時に鍵のせいで間に合わなかったら嫌だったので鍵はかけなかった。
「何があった?」
周りに注視しながら後部座席で震えているシゲに問う。しかし、シゲは何も言わなかった。ただ体全体で呼吸をして恐怖をやり過ごそうとしている。
話は聞けそうにない。そう判断し、一旦視線を外に戻した。
ばん、と窓ガラスを何かが叩いた。
音に驚いて体が跳ね上がる。
「悠馬、開けろ!」
窓の外に和久の顔が浮かび、悠馬は慌てながら助手席を開けた。
和久が車の乗り込んでくると次に後部座席の扉が開き、他の皆も転がり込んできた。
「ど、どうしたんすか」
「わかんない!」
英梨が叫ぶように言い、顔を覆った。全員、呼吸が荒く、震えている。
車の中の尋常じゃない様子を間も辺りにし、ぐるりと見渡した。
「……赤川さんは?」
異変に気が付いた。
一人いない。
リーダーである赤川だけがまだ来ていなかった。
皆もそのことに気が付き、恐る恐るといった風に窓の外へ視線を投げかける。街頭が無いせいで何も見えない。恐ろしい暗闇がずっと奥まで続いている。
「どうしよう。赤川君襲われちゃったのかも」
「襲われたって何にだよ」
志野の震える声に幾分か冷静さを取り戻した和久が鼻を鳴らした。
「叫び声が聞こえたからなんかあったんかと思って走って来ただけで、なんか見たか?」
和久の問いにシゲ以外の四人が首を振った。
「とりあえず何があったのか教えてよ」と悠馬が焦れたように聞くと和久は端的に語った。
曰く、丘と呼ばれる草むらに入ったはいいが皆とはぐれた。そうして彷徨っていた所でシゲの叫び声が聞こえたからUターンしたらしい。皆も大体同じような流れだったようで何か恐ろしいものを見た人はいなかった。
「シゲはなにか見た? 映ってる?」
和久の声にシゲは顔をあげることなく無言で持っていたカメラを差し出した。見て見ろということらしい。
和久が映像を確認し、唇を引き攣らせながらも「すげえ、すげえ」と歓喜の声を上げた。他の面々は見たくないと意気消沈した様子で言うので、悠馬が映像を確認した。そこには真っ白い女の霊が映って居た。
ここは、多分、踏み入れてはいけない場所だ。
悠馬はそう感じた時には、もう遅かった。全部手遅れだった。赤川は死んでしまったのかもしれない。
震える手で動画を止めたと同時に、後部座席の扉が開いた。
「お前ら、置いて行くなよ!」
赤川が焦った様子で車に入って来た。
全員が戻ってきたことに安堵した一方、踏み入れてしまったという事実が悠馬の脳裏にこびり付いて不安として残った。しかし、見慣れた街並みを車で走らせる頃には不安は少しだけ薄れていた。夜が明け、陽光が顔を照らすと気分も上向きになり、何とかなるだろう。そんなに重く考える必要はないと思い始めた。夢を見ていたことにしようとも考えた。
それは、すぐに駄目になった。
自宅が見え始めた時にシゲが震える声で言った。
「アレが来る」
「ツバサ君と同じように殺される」
「なんで行ったんだろう。行かなけれなば良かった」
「ごめんなさい」
シゲは顔を上げず、ただただ自分を守る様に腕を回した。それからは何を聞いてもまともに会話が出来ず、シゲの自宅に着いても変わらないので仕方なくベッドまで引っ張って行った。
「憑りつかれたんじゃね」と和久が口角を上げた。
除霊しようと言い始めたのも和久で、それに赤川や他の面々も乗っていた。それはシゲを心配してのことではなく、ユーチューブの話題作りのために他ならなかった。シゲを見世物のように扱うのは気が引けたが、このままにしておくわけにもいかないので、知り合いに霊媒師がいるからと一旦汗でどろどろの服を着替えるために帰宅してから四ツ谷の所へ向かったのだった。他の面々もその間に一時的に帰宅したようだが、赤川とだけその後連絡が取れなくなった。
そうして、四ツ谷を頼ったは良いが、何の解決にもならなかった。
四ツ谷が悪いわけではない。心霊というものはそう簡単にいかないのだろうと理解しているつもりだ。それなのにどうして助けてくれないんだと理不尽な怒りが沸く。
「悠馬ー、これ編集いつなら終わりそう?」
急に声をかけられ、はっとした。和久がカメラをいじりながらちらりと悠馬を見た。
「えっと、三日くらい欲しい」
「三日な。了解」
和久は楽し気に頬を緩ませて映像を確認している。その表情に恐怖の色はない。
「……赤川先輩とは」
「まだ連絡とれない。寝てんでしょ」
英梨が呆れた様子で言い放ち、和久の手元のカメラを覗き込む。
緊張感のまるでない様子にこっそりと溜め息を吐いて、ベッドで籠城している親友の様子を窺った。
「大丈夫か?」
何と声をかけていいかわからず、そんなありきたりな言葉が飛び出していく。
大丈夫なわけがないだろうにシゲはこくりと頷いたのが布団の動きで分かった。
「四ツ谷さん達がきっと何とかしてくれるから。待ってような」
「いいよ」
シゲがぼそりと溢す。シゲの声は細くて小さい。悠馬の声にかき消されてしまいそうだ。
「いいよってなに」
固い声が出た。
「帰ってよ。悠馬を巻き込みたくない」
苦い物を吐き出すように言われた言葉は優しいシゲらしいものだ。しかし、悠馬はむっと顔を顰めた。
「嫌だね。絶対帰ってやらない。ずっとここに居座ってやる。シゲが安心するまで隣にいてやるからな」
ふんっと鼻を鳴らすとシゲは声を震わせた。
「ずっとは邪魔だよ」
「うるせえわ。そんだけ元気があるんなら大丈夫だろ」
悠馬は励ます様に四ツ谷からもらったお札をシゲの布団に張りつけ、ばしばしと布団越しにシゲの体を叩いた。
「痛いよ」といつもの調子が戻って来た声に安堵し、口元を緩めた。
その時。インターホンの甲高い音が部屋に響いた。その途端、布団がびくりと大げさに跳ね上がる。
「大丈夫だから落ち着け。きっとまた通販か何かだから」
そう言い聞かせながら何度も布団をるが、震えが止まらないので布団の中に手を突っ込んで手探りでシゲの手を見つけると、それをぎゅっと握ってやる。
「誰かなんか頼んだ?」
「ううん。ていうか、赤川じゃない?」
連絡がとれなかった赤川がやって来たのかもしれない。赤川にはシゲの家にいると連絡しているので、来たとしてもなんらおかしくはない。
「あ」
インターホンが再び鳴る。それに呼応す様にして和久のスマホが震えた。
「赤川だ」
中々出て来ないので焦れた赤川が和久に連絡して来たのだと思われた。
和久は耳にスマホを当てながら目線だけで志保に扉を開ける様に指示し、志保が仕方ないなと肩を竦めながら扉に近づいていくのが見えた。
扉を開ける気なのだと緩慢な思考が気づいた時、声を上げようとした。しかし、その声は和久のスマホから聞こえて来た声に遮られた。
「和久ああ。俺を置いてったのか、お前ええ」
「赤川?」
スマホから聞こえて来たのは切羽詰ったような声だ。扉が開くのを待っている声にはとても聞こえない。
「俺、はあ、俺は、何で、ここに。あああ、なんかいる。やだああ」
「赤川、お前、いまどこに」
和久の声が止まる。
スマホから聞こえて来る赤川の叫び声だけが部屋の中に響き渡る中、全員の視線が扉に向けられた。扉を開けた志保はじっと何かを見下ろす様に首を折り曲げている。
視線の先に何があるのだろうか。疑問のまま首を傾けたが、志保の背に隠れていて何も見えない。
「志保ちゃん」
不意に子供みたいな声が耳に届いた。
「迎えに来たよ」
その途端、志保が消えた。
ふっと蝋燭の火が消える様にあっさりと目の前から消え、扉の前に立っている子供が目に入った。
小学校高学年ぐらいの手足の長い男の子だ。整った顔立ちだが、顔の印象は薄い。にこにこと笑みを浮かべているのが酷く不気味に映り、咄嗟に目を逸らした。
「志保?」
視線をやった先では何が起こったか分からないと言った様子で和久達が声を漏らし、きょろりと部屋を見渡した。
「志保は?」
「志保ちゃんは丘に行ったよ」
和久達の疑問に子供が答えた直後、繋がったままのスマホから聞き馴染みのある声が聞えて来た。
「え、あれ、赤川君? なんで、ここどこ?」
志保の声だ。
「志保? お前、なんで」
二人の声が途切れ、すぐに絶叫が響いた。
「いやあああああああああ、あれなに、たすけて」
志保の悲鳴に和久がスマホに齧りつく。
「志保、志保どうした。なあ」
しかし、声は届いていない様で延々と絶叫と混乱を伝えて来るばかりで何が起こっているのか分からない。
理解できない状況に英梨が恐怖に顔を引き攣らせながら足を一歩引いた。
「英梨ちゃん」
落ち着いた声が彼女の名前を呼ぶ。気が付いた時には英梨の前に少年が立っていた。
「いやっ」
英梨の悲鳴が短く途切れ、姿が消えた。
それを間近で見た和久は極限まで目を見開き、後退る。
「な、何だよ。お前」
ずっ、と床を摩る音とスマホから聞こえて来た英梨の悲鳴が重なる。
「こっちに来るな」
和久を助けるべきなのに悠馬の体は床に縫い付けられたみたいに動かなかった。
「皆の所へ行こう。これは、いいことだから」
少年が和久に手を伸ばし、彼の手に触れた瞬間、和久も消えた。ごとんと手に持っていたスマホが床に落ちる。そこから四人分の悲鳴が漏れ続けている。
不意にスマホに向けていた悠馬の視界に子供の小さな足が入り込んできた。びくりと跳ねあがりそうになる体を抑え、呼吸が乱れてしまわないようにゆっくりと呼吸を繰り返す。
目を合わせなければ、お前は大丈夫。四ツ谷はそう言っていた。
迎え入れてしまったのだろうことは既に理解している。このまま目を合わさなければ悠馬は死なない。でも――シゲは?
「シゲ君はいる?」
頭上から降って来た子供特有の高い声にぞっとした。
布団の中にいるのがシゲだと知られているのでは、と思ったがどうやら違うらしい。子供の視線は布団ではなく悠馬に向いていて、質問も単に所在を訪ねているだけの様だ。シゲが布団にいるのに気が付いていない。
子供はシゲを探している。きっと皆と同じように『丘』に連れて行くためだ。
それならば悠馬の答えは決まっている。
化け物に嘘をついてはいけないのかもしれない。しかし、そんなこと関係ない。親友の命の方がずっと大事だ。
悠馬はシゲの手を力強く握った。
「いない」
声は震え、掠れていた。
子供の返答を待つ時間は尋常じゃなく長く感じた。
「そうなんだ」
情けない悠馬の声に子供あっさりと返す。そして、ぺたぺたと裸足の足音を響かせながら扉の方へ向かっていく。
早く出て行ってくれ、という悠馬の祈りが通じたのか、ふっと空気が軽くなった。反射的に顔を上げると部屋の中には子供の姿が無くなっていた。まるで何も変事等なかったように部屋は沈黙している。
まだ安堵は出来ない。扉の鍵を締めよう腰を上げた。
「あああああああああああああ」
急に飛び込んできた劈く様な悲鳴に体が硬直した。
「いやだあ、だれかああ」
誰の声、と悩んだのは一瞬のことで直ぐに通話が繋ぎっぱなしになっているスマホからだと気が付く。
「こないでえええ、たすけてええ」
悲鳴の後、うっと呻く様な声が続いたり、ぎゃっと蛙が潰れた様な音が聞こえて来る。その度にぞわぞわと腹の中から恐怖と不快感が沸き上がて来る。
あの子供の話が本当ならば、彼らは今丘に連れて行かれたのだろう。そこで何が行われているのかは分からない。分からないからこそ、嫌な想像が頭の中に駆け巡った。
「はあ、はあ、はあ」
自分の荒い息を聞きながら、扉を締めに行こうと立ち上がる。
「悠馬あ、シゲ、どこにいるんだよ」
スマホから和久の泣き声が聞こえて来る。
「ここどこ? なに、なに、なんだよ、お前えええ。いやだあ、やめろ」
荒い呼吸が自分のものなのか、それとも和久のものなのか分からない。
「たすけて、やめ」
声が途切れた。悠馬が扉の鍵を締めたと同時に通話が切れる音がした。
ぷつり。
悠馬はその場で崩れ落ちた。
