『祝福の葬列』 第三話
目を開けた。
ぱちりと瞬きをすると目から涙が零れた。酷い悪夢を見ていたらしく、息が荒く、手がぶるぶると震えている。
夢の残滓が脳味噌に残っている。丘で見た白い顔の女に追いかけられる夢を見ていたのだ。女の血の通っていない異常に細い腕か走る凪の背に伸び、引き倒される。地面に転がった凪は泣きながら助けを求める。しかし、誰も助けてくれず、女が凪に顔を近付ける――そこで目が覚めた。
酷い夢だ。
昨日の経験から見た夢だから恐怖はただの悪夢の比ではない。
はぁと大きく息を吐き出した所で、扉の外から声がした。
「凪くん、起きてる?」
「あ、はい」
そう言いなから、ちらりと時計を確認した。
時計は四時をさしている。午後なのか午前なのか分からない。
扉が開き、祖母が顔を見せた。顔が安堵で緩む。
「良かった、ずっと寝ていたから心配したのよ」
祖母の物言いから今は朝の四時だと察した。昼過ぎに帰ってすぐ寝たので十二時間以上寝ていたようだ。
流石に寝すぎだ。
「凪くん」
名前を呼ばれ、顔を上げる。祖母は困った顔で凪を見ていた。
「あのねぇ、ツバサくんって子知ってる?」
「ツバサ? うん、知っているけど」
祖母はむにゃむにゃと唇を動かし、何かを苦いものを飲み込もうとするように苦しげな表情を浮かべた。ごくり、実際に祖母は何かを呑み込んだ。
「ツバサくん、死んじゃったって」
がつんと頭を殴られたような衝撃がはしった。
「え、え、なに?」
意味が分からなかった。
あんなに元気だったツバサが死んだ?
あり得ない。と笑おうとしたのに口元がひきつった。
だって、祖母の顔は嘘をついているように見えない。
「なんで」
呆然と呟いた凪の背を祖母は温かい手で撫でる。
「事故だって」
「何時死んだの」
「昨日の夜に」
夜、と聞き、夢現で聞いた祖母が誰かと電話していた声が浮かんだ。あれはツバサの訃報だったのだ。
「事故だってどんな」
「わからないの」
「わ、わからないって、じゃあ、ツバサはどこで死んでたの?」
祖母は一度躊躇った後、やけにゆっくりと口を開いた。
「丘で」
吐き気がした。
「足が、丘から出てたんだって。それで……」
祖母の言葉が理解できない。酷い頭痛を覚えて顔を押さえて踞った。
「ごめんね、酷い話だったね。ごめんね、話すべきじゃなかったね」
凪は横に首を振った。
知らないままでいる方がずっと恐ろしい。
「一人になりたい……」
本当は誰かと一緒にいたかったけど、一人にならないと冷静になれない気がした。
祖母はうんうんと頷いて立ち上がった。
「凪くん」
悲しげな声で祖母が名前を呼ぶ。
「向こうで遊んだの?」
「うん、誘われて」
ごめんなさい、と謝ると「いいのよ」と祖母は優しげな声で言う。
「そこに誰がいた?」
ツバサとシゲとミチオ、それから。
凪の脳裏に女の顔が浮かぶ。凪は堪らず口から「うわぁ」と情けない悲鳴を漏らして体を震わせた。
祖母は謝りながら部屋を出ていった。
一人になった部屋で、凪は動けない。
ツバサが死んだ。事故だと祖母は言った。
丘から足が出ていたと。あんな何もない丘でどうやって事故に遭うというんだ。
なにが、あったのだろう。
ぐるぐると思考が回って嫌な想像が湧く。
まさか、まさか、まさか、あの女に殺されたんじゃ――とそこまで考え、頭を振った。
「あり得ないって」
そんな非現実的だし、と呟く声は震えていた。
ふうと意識的にゆっくりと呼吸をして無理矢理落ち着かせると、漸く顔を上げた。
「お婆ちゃんが間違っているのかも」
祖母は嘘をついていない。しかし、聞き間違えなんてことはあり得る。
確かめよう。確かめなければ。
凪は立ち上がり、祖母の後を追った。
ツバサの葬式は、午後二時から行われるらしい。
それまでの間、凪は落ち着かない時間を過ごした。何度も時間を確認し、十分もたっていないことに落ち着く。いっそ寝てしまいたいが、眠気は少しもない。
祖母は何処にも出掛ける様子がない。
やることがないらしく、ずっとテレビを見ている。
時計を見る。時刻は漸く正午になった。
「昼ごはんにしようか」
全く食欲はないが、心配をかけたくないので頷く。
祖母が立ち上がり台所へ向かって行くのを見送ったあと、暫くしてから居間の電話が音を立てた。
居候に過ぎない凪が電話に出るべきではないとは思った。台所の方から祖母が走ってくる音がしていたので、放置していても問題ない。
でも、もしかしたらツバサ関係の話かもしれない。そう思うといてもたってもいられず、受話器をとった。
「あれが出たって聞いた? 子供が一人死んだって。集落の子らしいけど、他の子供もあそこに行ったって……マサさんの孫も行ったって。四ツ谷のとこに連絡したけど何時来るか……あれがこっちに来たら」
もしもし、もなく急に始まった会話は、突然ぷつりと切れた。驚いて隣を見ると祖母が受話器を置くスイッチ部分を押さえていた。
「凪くん、勝手に出ちゃ駄目よ」
そう言う祖母はにこにこしている。眉が下がって困っているみたいなのに声色には逃げるのを許さない圧がある。
「ご、ごめんなさい」
怖いものを見たような気分で謝った。
「いいのよ。それ電話は誰からだった?」
一瞬、答えに悩み、首を横に振った。
「分からない。名乗らなくて」
「何か言ってた?」
「ツバサの事故のこと、だと思う。よく分からなかった」
「そう」
嘘は吐いていない。
電話口の相手は名乗らなかった。声は初日にここまで案内してくれたミヨコに似ていたが、確証はない。
それに電話内容もよく分からなかった。
あれが出たとはなんのことだ。あそことは、丘のことだろうか。四ツ谷とは誰のことだ。何も分からない。
昼食を済ませ、ぼんやりしていたら気が付けば二時になっていた。
凪は黒い服に着替えて家を出ようとした。
「葬式に出るの?」
背後から祖母の声がした。
「ううん、ちょっと見てくるだけ」
数時間しか関わっていない自分が葬式に参列しても周りが混乱するだけだろう。
「いってきます」と言い残し、祖母の家を出た。
昨日と同じ道をたどり、向こうの集落に入る。ツバサの家は何処なのか知らないことに気が付いたが、大きな集落でもないので歩いていれば見つかるだろうと辺りを見渡しながら歩いた。
ツバサの家は、すぐに見つかった。
喪服に身を包んだ人達がたくさん吸い込まれていっているからだ。
凪は見つからないようにそっと身を隠し、人の波が落ち着くのを待つ。
五分も待たずに人気はなくなる。家の前へ行くと何となく重苦しい雰囲気を感じた。葬式をしているからそう感じるのだろう。
ここから、どうしよう。
凪がここに来たのはツバサが本当に死んだのか知るためだ。葬式をしているが、ツバサが死んだのかわからない。
中に入らないと。もしかしたらシゲやミチオもいるかもしれない。
会って話したい。けど。
もし、お前のせいだと糾弾されたらどうしよう。凪が置いていったから死んだかもしれない。そんな懸念が先に進むのを躊躇わせる。
やっぱり行くのは止めようか。と思った時。
わあああ、ぱちぱちぱち。
中から叫び声のようなものが聞こえてきた。それと同時に拍手のような破裂音もする。
「なんだ?」
あんなに躊躇っていたのに凪の足は突き動かされるように家の中へと進んでいた。
玄関にはたくさんの靴が置いてある。そっと靴を脱ぎ、音を立てないように廊下を歩く。
葬式が行われていたのは、一番置くの部屋だ。そこから声が聞こえてくる。
わあ、と笑うような声。いや、そんなわけがない。これは葬式なのだ。きっと泣き声だろう。
早く脈打つ心臓を押さえ、襖に手を掛けた。
ゆっくり、慎重に襖を開く。
はあはあと荒い呼吸音が耳について不快だった。この音で気付かれてしまったらどうしようと思うと手が震える。
数センチ、目が広さぐらい開き、中を見た。
「おめでとうございます。おめでとうございます」
葬式にそぐわない言葉が聞えた。
葬式の場はテレビで見たことがある。もしかしたら通夜だったかもしれないが、凪が今見ているものとは明らかに違う。
部屋の内装や参列者の服装だけ見れば、よくある葬式だ。
部屋の一番奥に誰かの遺影と棺が置いてあり、どきりとした。凪がいる場所からは遺影が誰のものなのか分からない。前のめりになり目を凝らす凪の耳に再び扇形に再び「おめでとうございます」と楽し気な声が聞え、思わず視線を向けた。
遺影と棺の前に座っている喪服姿の参列者達が手を叩いて笑っていた。おめでとうの言葉の後、わははと大口をあけて笑う声までしてくる。
まるで誰かの発表会みたいだ。棺の中にいる死者を弔おうとする気はないように見えた。
気味が悪い。
はっきりと嫌悪感を覚え、立ち去ろうと思った。遺影が誰のものか分からなかったが、確認する気力はなくなっていた。
ふと、部屋の隅で泣いている人が目に入り、思わず固まった。
黒髪の女性が壁に背を預け、ハンカチで目元を覆っている。肩ががたがたと震えて悲しみの衝動を押さえているみたいだ。
もしかして彼女は亡くなった人の親族なのかもしれない。遺影がツバサのものなら彼女は母親かもしれない。子供を亡くした悲しみはこの異常な空間では酷く浮いていて、皆の視線を集めたようだ。彼女の傍に数人が近づくのが見えた。
「どうして泣いているの? あの子は神様に貰われたんですよ? 泣く必要はないよ。大丈夫大丈夫。笑ってなさい。きっと神様の楽園であの子も幸せにしているから。お母さんの幸せを願っているから。幸せになっているお母さんを見ているから。笑ってなさい」
「大丈夫ですよ。向こうはとてもいい所です。一人じゃないから大丈夫ですよ。貴方が笑っていないとあの子も笑顔になれませんよ」
「笑いなさい」
近づいた人間はにこにこと笑いながら母親らしき女性の口を引っ張り上げた。母親は喉の奥で悲鳴をこぼしながら、助けを求めるように凪の方を見た。
「あ」
泣きながら笑っている。その表情は、丘で見た白い顔の女とよく似ていた。
反射的に後退る。
ぎし、と廊下が軋む音がやけに響き、部屋の中にいた数人が凪の存在に気が付いた。
「あら」
一番近くにいたふくよかな女性が襖を開け、手を伸ばして来た。逃げる間もなく腕を掴まれ中に引きずり込まれる。
「い、や、待って」
凪の引きつった声が漏れる。
「どうしたの? 折角来たんだからお焼香をあげないと」
凪の腕を掴んだままそう言うと凪を棺の前まで引きずって行く。手が離れ、頭が下がった。そして、開けっ放しの棺の中と対面することになった。
「え」
中には人の形に砂が敷き詰められていた。
人はいない。普通は死体を入れて置くものじゃないのか。冗談みたいな葬式に混乱しながら顔を上げ、遺影を見た。
ツバサが笑っていた。
遺影は、ツバサのものだった。
死んだのはツバサで、これは彼の葬式なのだ。
そう理解した瞬間、彼らが笑っている理由がわかった。きっと皆ツバサが死んだショックに耐えられずに心を壊してしまったのだ。ほんの数時間しか関わりのない凪ですらこんなに辛いのだから身内が感じた衝撃は言葉では言い表せなかったことだろう。感情が馬鹿になってしまうことは誰にだってある。集団ヒステリーのようなものかもしれない。
きっとそうだ。と納得させようとした。
しかし、どうしても理解できないことがある。
「し、死体は?」
回らない口を何とか動かして隣でにこにこしている女性に声をかける。すると、女性は目を線にして仏のような顔で笑った。
「死体は丘にあるよ。神様がいる丘に」
「え、あ、持って来ないんですか? お、丘から」
「うん。だって神様のものだから。死体は丘に戻さないと」
女性は意味の分からない言葉を続ける。
「足が出ていたらしいから、どうしようって話になったの。足だけこっち側にあるけど、切り取るかって話も出たんだけどね。足が無いのは向こうで大変だろうし、ツバサ君は足が速かったから無くなったら可哀想だし、押し込んでおいたんだ。きっと無事にたどり着けたんじゃないかな」
女性は斜め上を見つめ、ツバサの遺体を丘に捨てて置いたという話を穏やかに語った。話を聞いていた参列者もうんうんとどこか誇らしげに頷く。
これは、本当に集団ヒステリーなのだろうか。
まるで異常な宗教団体に踏み入れてしまったような気分だ。話がまるで通じない。このままでは自分まで頭がおかしくなってしまいそうで、凪は立ち上がると無言で出口に向かった。
「どこへ行くの?」
引き留める声は全部無視した。伸びて来た手に絡み取られそうになりながらなんとか襖を開ける。
早く、早くこの場から逃げ出したい。その一心で部屋の外へ飛び出し――正面から何かにぶつかった。
どん、と壁の様な固い感触が顔面にぶちあたり、うっと呻きながら一歩後退る。その凪の腕を前方から伸びて来た手が掴んだ。
「おっと、ごめんな。怪我してへん? って、あれ、もしかして君が凪くん?」
名前を呼ばれたので、反射的に顔を上げる。前方には凪よりもずっと背の高い黒いスーツの男が立っていた。垂れ目がちな目元が印象的な男前だが、雰囲気が怖い。こんな知り合いはいない。
「だ、誰」
「ミヨコさんってわかる? あの人が凪くんのこと心配して僕に連絡して来たんやけど……って、ああ、こりゃ駄目やな」
男は身を屈めて凪を見てそう言うと次に襖から部屋の中を見て、げっと顔を顰めた。
「あー。変なのおるわ。はよ出た方がええな」
そう言うなり凪の肩に手を回して、玄関へと向かい始めた。
「え、あの! ちょっと、待って」
男の歩幅は凪よりもずっと広く、転びそうだ。走るようについていく。
「待てへんて。抱えようか?」
「それはちょっと」
「でも、後ろ見たらあかんからな。前だけ見といてね。死んでも振り向いたらあかんで」
男の関西なまりの言葉は見た目の怖さに反して柔らかいが、有無を言わせない強さがある。
部屋にいるよりは男についていていく方が何倍もましだと思い、黙って男に従い、前だけを見据えて歩いた。
玄関から外へ出る。
歩く。
歩く。
歩く。
集落の境界線が見えた。
早く向こうへ行きたい、と背を押されるように足を前に出した。
「凪くん」
背後から名前を呼ばれたような気がして、反射的に振り返りそうになった。
「おっと」
すぐに頭を押さえられ振り向くことは叶わなかった。
「あかんで、ほら、早出え」
とん、と背を押され、集落の境界線を越えた。
その瞬間、ふっと気分が軽くなり、いつの間にか詰めていた息を吐く。
頭が下がり、膝に手をついて荒い息を吐き続ける凪の頭がとんとんと軽く叩かれた。あやすような仕草に呼吸が落ち着いて来る。
「凪くん、歩ける?」
「あの、貴方は誰なんですか?」
男の質問に答えず問う。
「歩きながら話しよか」
柔らかい言葉尻に反して凪の手を掴んむ力は強い。抵抗することも出来ずに並んで歩く。
「僕は四ツ谷いうんやけど、ミチコさんか婆さんから何も聞いてない?」
「四ツ谷……って、確か電話で聞いた気が」
ミチコが電話で口にした名前だ。確か、あれが出たから四ツ谷に連絡すると言っていただろうか。
「ミチコさんが言っていたあれって何なんですか? それに、おじさんは何なんですか? あと、それと」
「ちょい待ち。え、僕まだおじさんやないで、二十六や」
小学生の凪からしたら二十六は十分おじさんだが、四ツ谷の必死な形相に「すみません」と素直に謝った。
「謝れて偉いなぁ。僕みたいな年になると素直に謝罪も出来んくなるわ まぁ、ええ。それでなんやっけ、ああ、僕が何なのかって? 僕は霊媒師みたいなもんやな」
『霊媒師?」
凪は改めて男を見た。
夏なのに黒いスーツを着て、整った顔立ちにうっすらと浮かべている様は怪しさしかない。詐欺師や極道の方が似合いそうだ。きっと極道に違いない。そう思った凪はそっと男との距離を開けた。
「あ、ヤクザちゃうよ。そんな距離おかんで」
悲しいと全く感情の籠った声で言われる。雰囲気は怪しいのに四ツ谷は今まで関わって来た誰よりも話やすかった。
「それと何やっけ、あれってなんですか、ね。それは婆さんとこで説明しよか」
男の長い足では祖母の家はすぐだった。祖母の家の玄関前に立った四ツ谷はインターホンを鳴らす事無く扉を開けた。
「婆さーん、凪君連れてきたで」
家の中に向かって大声を出したので、ぎょっとした。声が大きい。田舎の朗らかな景色に男はかなり浮いている。
「あら、四ツ谷さん」
顔を出した祖母は大して驚いた様子もなく、落ち着いたまま男の名前を呼んだ。
「婆さん元気そうやな。それで、どうする? 凪君はあっちで目つけられてもうてるからこのままだと手遅れになるで」
四ツ谷は真剣な声で言う。
目をつけられている。このままだと手遅れになる。その言葉に心臓が嫌な音を立てる。一体なんの事かは分からないが、危険なのはわかった。
祖母は何も言わない。
「凪君、ここに住んどるん?」
四ツ谷の質問に曖昧に首を振る。
「夏休みの間だけ、の予定ですが」
実際の所は分からない。
両親の離婚騒動が解決し、夏休みと共に家に帰れるなんてのは両親が凪を追い出すための嘘だと気が付いている。離婚は成立した後、どちらが凪を引きとるのだろうかと何度も考えた。どちらも凪を引き取りたくないのだと知っている。両親が怒鳴り合う声の中には、凪なんていらないというニュアンスが多分に含まれていた。
「凪君はここで暮らすよ」
ついに祖母が口を開いた。
「ここで暮らすのは駄目や。いつあれが出て来るかわからん。このままだと凪君直ぐに死ぬで」
「え」
どういうことだ、と四ツ谷の袖を握る。
『丘に行ったんやろ? 俺も全部知っとるわけやないけど、見ただけである程度は分かる。あれは駄目や。もうどうにもならん。出来るだけ遠くに逃げた方がええ。ここだとなんかの拍子に引っ張られる可能性が捨てられん」
「丘に行ったのが駄目だった? あそこに神様がいるって言ってたから、罰が当たったの?」
凪は必死だった。
死ぬなんて言われて必死にならない方が可笑しい。
両親に捨てられた所で凪の人生はまだまだ続くのだ。絶望はするが死にたいなんて願望はない。
「ツバサも丘に行ったから死んだの? 丘の神様のせい?」
凪の切羽詰った質問に四ツ谷はしゃがみ込み、凪を視線を合わせた。
「凪君はどう思う? 丘で何か見なかった?」
ぎくりとした。
脳裏に口を吊り上げて笑い、泣いている女の姿が浮かんだ。
凪の引きつった表情を目にした四ツ谷が更に質問を重ねる。
「それは、神様に見えた?」
直ぐに頭を横に振る。
あんなものが神様だとは到底思えなかった。
「あれが襲ってきたら凪君逃げられんよ。次は絶対捕まる。ここにいたら駄目や。どっか逃げんと」
「逃げ場何てない」
凪はぽつりと言った。
両親から遠ざけられるために祖母の家まで来たのだ。ここから行く当てなどない。
「孤児院とかいけばあるかもしれないけど」
はあ、と溜め息を吐きながら言う。
夜に怒鳴り声を聞くこともなく、化け物に追いかけられる心配もないのならもうどこでも良い気さえしてきた。どこへでも連れてってくれという風に半ば投げやりな思いで四ツ谷を見た。
「じゃあ、ウチ来る?」
「え?」
「孤児院に置いていくのは可哀想やし、家ならなんかあった時に対処できるよ。別に断ってもええけど。どうする?」
気軽な雰囲気の四ツ谷に凪は目を瞬かせた。
「はよ決めて」
優しいが強い口調で急かされ、考える間はなかった。
「一緒に行きます」
凪は反射的に頷いた。
他の子供よりも達観している凪は今更孤児院で馴染める気がしなかったのもあるが、一番の理由は葬式で助けてくれたからだ。異常な空間で四ツ谷だけが普通だった。
もし孤児院に行ったら大人は信用できないと疑心暗鬼でおかしくなってしまいそうだ。
「よし、じゃあ三分で用意しよか」
四ツ谷と凪が話している間、祖母は何も言わなかった。
祖母からしたら息子が押し付けて来た厄介な孫をどこかへやれるのだから一安心だと思っているのかもしれない。祖母とは数日の関わりしかなく、会話も殆ど交わしていないので何を考えていたのかは分からない。
凪が少ない荷物を鞄に入れ、家を出た所で祖母は「ごめんね」としゃがれた声で呟いた。
何に対しての謝罪だったのか分からないが、きっと凪が変なものに目を着けられたのを気にしているのかもしれないと解釈した。
「大丈夫。お世話になりました」
お辞儀をして祖母と別れた。きっと今生の別れになるのだう。
そう思っていた。
