『祝福の葬列』 第二話

 翌日、起きたら祖母はいなかった。
 居間にある背の低いテーブルの上に昨日と同じ内容の朝食が置いてあり、その隣に『畑に行ってきます』と書かれたメモがあった。
 ありがたく朝食を頂き、食べ終わった皿を流しに置いた時。
「ごめんくださーい」
 と玄関の方から声がした。
 子供の声にミチオのことを思い出したが、記憶の中にある彼の声と玄関から聞こえてくる声に差異を感じた。
 そっと玄関の方を覗く。すると、見覚えのない少年が二人立っていた。
 一人は快活そうなガキ大将みたいな男の子で、もう一人は逆に小心者そうだ。頻りに露出した腕を擦っている。
「あ、いた!」
 ガキ大将が凪を指差した。声がでかい。百メートル先にいる人間に声かけるくらいの声量だ。
「こんにちは」
 対して、もう一人は声が小さい。まさに凹凸コンビって感じだ。
「えっと、誰?」
 凪が普通の声量で言うとガキ大将が少しだけ声を落とした。
「昨日、ミチオか誘っただろ。俺達はミチオの友達」
「あ、そうなんだ」
「ミチオが待ってるから行こうぜ」
 そう言うとガキ大将は家から出て行った。その後を小さな少年が追いかける。
 凪も少し悩んでから部屋に戻ると祖母のメモの隣にメッセージを追加しておいた。
『近所の子供と遊んできます』
 留守にするのは気が引けるが、メモを残しておけばそこまで怒られないだろう。
 適当な服に着替えてから家を出た。
「遅い!」とガキ大将が怒っている。喜怒哀楽がはっきりと分かるタイプで、着替えを済ませている凪を苛立たしげに睨んだ。
「人が待ってるのに着替えんなよ」
「だってパジャマだったし」
 それに急に誘ってきたのはそっちだ。準備をする時間くらい与えられて然るべきだろうとじっとりとした目を向ける。
「ミチオが待ってんだよ」
 と意味不明な返しをされた。
 そのミチオは、昨日と同じ場所にいた。待たされたらしいのに気分を害した様子はない。
「ミチオ、お待たせ!」
 ばたばたと走り寄っていくガキ大将を追って、凪もミチオに近付こうとした。
 そこで、ふと思い止まる。
 ここを越えてはいけない。そんな気がした。
「おい! なにしてんだよ、早くしろって」
 ガキ大将の声に首を振る。
「やっぱり行かない」
「は? なんで」
 なんで、と聞かれると困る。あちら側へ行こうとするとどうしようもない不快感が腹の中から沸き上がってくる。
「遊ぶのこっちでも良いじゃん」
「わがまま言うな!」
 きんきんとした怒りの声に凪はだんだん面倒になってきた。
 別にこっちは遊ばなくたっていいんだぞ、とさっさと帰りたくなる。
 はぁ、とため息をついた。
「僕の親が厳しくてさ、そっちで遊んじゃ駄目なんだよね……そっちとこっちの集落、仲悪いみたいだから」
 そう悲しげに言ったのは、ミチオだ。
 彼はぎゅっと服の裾を握りしめて諦めたように笑った。
「でも、遊びたくないんなら仕方ないよ」
 そんな風に言われると断りづらいじゃないか。
 凪は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 凪が向こうへ行きたくないのは、謎の不快感もあるが、それよりも集落へやってきた初日にお婆さんに連れ去られそうになった出来事が頭に残っているからだ。あんなお婆さんがいるのなら行きたくない。
 でも、ここで断るのは何だか座りが悪い。
「ごめんね」
 なんて謝られたら、まるで断る凪が悪いみたいだ。
 ガキ大将からの視線は明らかに凪を避難しているので、彼らの認識では凪は悪者に違いない。
 凪は悩んだ末に決断した。
「……わかった、行くよ」
 するとミチオの顔がぱっと華やいだ。
「いいの?」
「うん、でもあんまり遅くまではいられないよ。お昼には帰る」
「いいよ! やったぁ」
 ミチオは両手を上げて喜んでいる。善良なミチオには申し訳ないが、祖母の家にいる期間が実質的に決まっていない凪はこっちに転校する可能性も多分にある。なので好感度を落としておきたくないという打算があった。
 決してミチオと遊びたいわけではない。
「じゃあ、おいで」
 言われるままに足を踏み出す。
 いやだ、いやだと頭の中で思う一方で体はすんなりと境界線を越えた。
 どっどっと心臓が異常を訴えかけている。でも、無視をした。
「行こうか」
 ミチオに手を引かれ、ついて行く。
「丘の探索をしようぜ!」
 何をして遊ぶのか、と凪が問いかけるとガキ大将が声を上げた。
「丘?」
「おお、こっちに探索しがいのある丘があるんだ」
 探索って、ガキじゃあるまいし。正直者の凪は顔に感情がもろにでる。
「馬鹿にしてると後悔するぞ! 丘はまじで凄いんだって」
「その丘ってなに」
「行ってみれば分かる!」
 説明しろと言ってもガキ大将は興奮した様子で「丘は凄い」と言うだけで会話にならない。
 他の二人も「行けば分かる」とだけ繰り返した。
 仕方がないのでその丘には案内してもらう。丘へと向かっている最中に漸く自己紹介をした。
 ガキ大将がツバサという名前で、小さいほうがシゲというらしい。シゲについてはあだ名なのか、本名なのかわからない。
 凪の名前は昨日ミチオに言っていたので、自己紹介しなくても既に周知されていた。
 気軽に呼ばれる自身の名前に何だか居心地が悪くなり、そろりと視線を他へ向ける。あちらとこちらの集落は対して変わらないように見える。
「昔は仲が良かったの?」
「知らない」
 主語のない凪の質問にミチオは端的に答えた。
 子供のミチオが大人の事情を深く知っているとは思えないので、それ以上追求せずに違う話題を振ろうと考え込んでいると唐突にツバサが足を止め、声が上げた。
「ほら、あれだよ」
 ツバサが指をさす先を視線で追う。そこには、小さな山があった。
「これが丘?」
 それは、広場にぽつんと鎮座していた。
 小高く緑が生い茂った山だ。外形は一分もかからずぐるりと一周できるぐらい小さく、狭い。
「これのどこが探索しがいがあるの?」
 直進したらすぐに向こう側についてしまう。
「お前は知らないだろうけど、ここには神様がいるんだ!」
「は? なに、オカルト?」
「違う! 神様が願いを叶えてくれるんだって、ミチオが言ってたんだ!」
 熱の入った物言いに気圧される。ツバサが冗談で言っているようには見えない。ミチオに視線を向けると、彼はこくこくと頷いた。
「本当だよ。父さんが言っていたんだ」
「へぇ」
 凪は既に丘から興味を無くしていた。
 神様を信じているわけでも、いないと主張したいタイプでもない。なのに神頼みはするいい加減な信仰の元で生きてきた。オカルトというか、宗教染みた話はどうしても嘘臭く感じる。
「信じてないだろ! 本当なんだからな!」
「はいはい、わかったよ。でもなんで神様がいる丘に入ろうとするの? 罰当たりじゃない?」
「罰当たりじゃない。ここはそういうところだから」
 なんとも曖昧な表現に眉間に皺が寄る。
 信仰など土地によって形を変えるだろうが、神様がいるところへ踏み入れるのを良しとする考え方なんてあるのだろうか。そんなこと聞いたことない。
「大丈夫だから、行こうぜ!」
 その声に引っ張られるように皆でついていく。
 罰当たりかも、と躊躇う気持ちはあるが、少しだけ心に引っ掛かりを覚えるだけで恐怖はない。凪は大して神様なんて信じていないからだ。
 丘の目の前に立っても、神様がいる荘厳さは感じない。ただ凪達の背丈よりも少し低いくらいの草が生い茂って中が確認できないので不気味に見える。
「というか、ここって本当に入っていいの?」
 丘にはぐるりとロープが張られている。立ち入り禁止とは書いていないが、暗に入るなと言われているみたいだ。
「だから大丈夫だって! しつこい!」
「……でも、ロープ潜っていいのかな?」
 声を上げるツバサに質問をしたのは、凪ではなく、ずっと沈黙していたシゲだった。
 彼も丘の不気味さに身を竦めているように見える。入りたくない、と顔に書いてあった。
「シゲも他所の子供だから不安なんか? このロープは潜っちゃいけませんのロープじゃないって婆ちゃんが言っていたから入っていいんだよ」
 ツバサは怒っていないけど、語尾が強く、シゲは体をびくつかせて頷くみたいに俯いた。
「じゃあなんのためのロープなの?」
「知らない」
 ツバサが不貞腐れた様子で答える。ミチオにも視線を向けるが曖昧な笑みで誤魔化された。
「もう行こうぜ!」
 痺れを切らしたツバサがロープを潜り、草をかき分けて中に入っていく。
 草のせいでツバサの姿があっという間に視界から消える。それに恐怖を覚えたらしいシゲが動転したように目をうろうろさせ、凪とミチオを交互に見た。
「ど、どうしよう」
「どうしようって、入るしかないんじゃない? ツバサ折れなさそうだし……」
 面倒だが、置いていくわけにはいかない。凪もロープを潜った。
「そうだね、皆で行けば怖くないよ」
 ミチオに促され、シゲも恐怖で顔を強張らせながら丘に入っていく。
 先を行ったと思っていたツバサはすぐ側で待っていた。
「遅いんだよ、お前ら」
 丘は薄暗く、表情もぼんやりとして見えない。しかし、声の固さから入ってすぐに怖くなってしまったのだろうと察した。
 それにしても何故こんなに暗いのだろう。上を向いて、その理由に気が付く。
 凪の背丈よりも低いと思っていた草は、予想よりも高く、それに加えて背の高い木が生えているせいで太陽の光を遮断しているらしい。
「出ようよ、もういいじゃん」
「は? 今からだろ。神様のところ行かないと」
 ツバサは意地になっているのか帰ろうとしない。
 ふと、服の裾を引かれ、背後に視線を向けるとシゲが怯えた顔で背後に立っていた。
「ご、ごめん。おれ」
「大丈夫だけど、服だと伸びるから手にして。繋ぐ? それとも腕に引っ付いとく?」
 服をたくさん買えるような身分ではないので、一つでも駄目になると困るため、そう声をかけた。
 シゲは裾かは手を離した。そして、腕を掴もうとしたのだが。
「シゲ、お前怖がりすぎだろ。手繋ぐとか女かよ」
 そのツバサの言葉にシゲは慌てて手を引っ込めた。
「別に、大丈夫」
 なんて震えた声で言われる。全く大丈夫では無さそうな上にツバサの無遠慮な言葉が癇に障ったので、意趣返しのつもりでシゲの引っ込んだ手を無理矢理掴んだ。
「俺が怖いから握っててほしいんだけど」
「え、え」
「駄目なら腕掴ませて」
 シゲはおずおずと手を握り返した。その手が震えと力強さからシゲの恐怖が伺えた。
「ツバサくん、行かないの?」
 ツバサがなにか言おうとする気配を察したのか、ミチオが平坦な声で言う。すると、ツバサは下手くそな舌打ちをしてから進んでいく。
「ツバサも手握る?」
「握らねぇよ! 気持ち悪い!」
 ツバサの肩が大きく跳ねたので、強がりだな、とは分かった。
「握ってほしいなー」
「嫌だね!」
 はっきりと大きな声で断られ、どうして初対面の相手にこんなに気を遣わなくてはいけないのかわからなくなり、それ以上はなにも言わなかった。
 シゲは相当怖いのか、隣にぴったりと寄り添いぶるぶると震えている。
 ミチオはどうしているだろうか、不意に気になって背後を振り返ろうとした。
「あ!」
 その時、前を行くツバサが声を上げたので、視線を前方へ向ける。
「あった! 神様の祠!」
 ツバサが指をさすが、暗くてよく見えない。
 もっと近寄らないと。
 ツバサに近づき、彼の肩越しから「それ」を見た。
 ぽっかりと開けた空間に神様の祠、と呼ばれたものがあった。それは、ただの石だった。表面に何や彫ってあるので、ミチオが結界だと言っていた石碑に似ている。
「これが神様?」
「たぶん」
「多分ってなに。確証ないの?」
「だ、だってはじめて見たし」
 ツバサも自信が無さげだ。その理由は恐らくこの祠が神様っぽくないからだろう。侮辱になるかもしれないが、目の前の祠には中身がないように感じた。
 これはただの石だ。そんな無機質さが拭えない。
「……帰ろうよ」
 シゲがぽつりと呟く。
「そうだね」
 神様も見れたし、と少しの嫌味を込めて言う。するとツバサが焦ったように声を上げた。
「いや、まだ! 全部見てみようぜ! 向こう側まで行ってみよう!」
 延々に草が続くだけだろうから、嫌だった。
「引き返しても、進んでも同じ距離だからいいんじゃない?」
 そのミチオの言葉は一理ある。帰ろうとしていた足を止めた。
 祠がある所は恐らく丘の頂上だ。行っても帰っても変わらないならツバサの機嫌が悪くならないように行ったほうがましかもしれない。
「しょうがないな……」
「よし、行くぞ! レッツゴー!」
 そう言って機嫌が上向きになったツバサが足を踏み出そうとした。
 がさがさがさがさ。祠の向こうから草を分けいるような音がして。全員が咄嗟に動きを止めた。聞き間違いかもと思い耳を澄ます。
 がさがさがさ。
 段々と音が近付いてくる。
 がさがさがさ。
 止まっていた思考が冷や水を浴びせられたみたいに一気に冷静になり、恐怖がざわりと腹の奥から沸き上がる。
「な、なんかいる」
 シゲが呟いた。
 凪の頭に一番最初に浮かんだのは熊だった。熊に出会ってしまった時の対処法を必死で思い浮かべる。
 しかし、草むらの中に見えた肌色にその考えは消える。向こうから来るのは、肌色の生き物だ。
「人?」
 ツバサも見えたのか、不思議そうに呟く。
 がさがさがさがさがさがさ。
 音が目と鼻の先から聞こえたと思った瞬間、それが草の間からぬうっと顔を出した。
 真っ白い女だ。
 その表情が異常だった。口角を最大に上げて笑みを浮かべている。それなのに目からはぼたぼたと涙らしきものが溢れている。
 丘は暗いのに女の表情は何故かよく見えた。
「うわあああ!」
 シゲの叫び声にはっとして、反射的にツバサの手をとり、女とは逆に駆け出した。
「にげろ!」
 うまく発声できたのかわからない。
 わけがわからないまま二人を引っ張って丘を降りていく。
 誰かが何か言った気がしたけど、頭が理解できなかった。
「わあああ」
 目が光を感じ取ったと思った時、凪達は丘から飛び出した。
 ロープに引っ掛かりそうになりながら地面に崩れ落ち、這うようにしてロープの中から出た。
 振り返ると、ロープの向こう側にあの女がいた。こっちには来られないのか、あの泣き笑いの奇妙な顔で凪を見ている。
「に、逃げよう」
 こっちには、来ないよ。と誰かが言った気がするが、首を横に振る。
 信用できない。今すぐ帰りたい。
 それだけ呟き、引き留める声を無視して駆け出すと集落を出た。
 背後から誰かが追ってくる足音と声がしたが、全部無視した。
 祖母の家に戻る。祖母はまだ帰ってきていない。
 居間に入り、出ていく時に書いておいたメモを握りつぶして捨てた。
 何故か口の中が気持ち悪かったので、台所へ行き口をすすぐ。ついでに顔を洗うと少しだけ落ち着き、自分の姿を顧みる余裕ができた。
 丘を出た時に膝をついたせいか、スボンが汚れている。手の平には小石の痕がびっしりとついていて気持ちが悪い。
「最悪……」
 ふっと息を吐く。
 落ち着いたせいか脳裏に丘で見た女の顔が浮かんだ。
 あれは、何だったのだろうか。
「もしかして、あれが神様?」
 そんなわけない。とすぐに否定した。
 あんなものが神様じゃないことは、信心深くない凪でも分かる。
 恐怖に震えながら、置いて来てしまった三人のことが心配になった。しかし、戻る勇気はない。
 それに高々一時間程度の付き合いなので、戻る義理もないと罪悪感を押し潰して部屋にこもった。
 ふと、意識が浮上した。
 いつの間にか寝てしまったらしい。
 夢に半身入っている状況で、ぼんりと天井を見上げる。
 電子音の後、誰かの声がした。
 祖母が帰ってきているのだろう。かかってきた電話に出たのだな、と予想する。
 なんの話をしているのかは分からない。
 意識が沈んでいった。

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