『祝福の葬列』 第四話
夏の東京の空気はどんよりしていて、汗で肌に服が張り付く。不快感に顔を歪めながら漸くたどり着いた事務所の扉を開けると、涼しい空気にほっと息を吐いた。
事務所に人の気配は無いが、冷房は着いているのでトイレにでも行っているのだろう。
「冷房の温度低すぎますよ」
ぞっとするほどの冷気を放つエアコンの設定温度を確認すると、十八度だった。出掛ける時に二十六度に設定していたはずだ。こんな極寒では風邪を引いてしまうだろうと設定温度を再び二十六度に戻した。
「あ、凪君、温度弄らんといて」
トイレから戻って来たらしい男は悲壮な顔でエアコンのリモコンを見た。
「寒すぎますって。電気代も勿体ないってずっと言っているでしょ」
呆れながら返した凪は手に持っていたエコバックの中からオレンジジュースを取り出し、男の手に渡してやった。すると不満げだった男の顔がぱっと華やぎ、子供みたいに笑う。
「依頼、来ました?」
凪が机の上を確認しながら問う。手紙の類は来ていない。来客もないらしく男は首を横に振った。
「そんなん聞かんでもわかるやろ。いつも通りや」
そう快活に笑う男――四ツ谷閑には危機感というものが欠けている。
凪は小学校の時に祖母が住む隣の集落で変なものに目をつけられ、それを四ツ谷に助け出されてから八年もの間共に暮らしてきた。現在、凪は十九歳になり、四ツ谷は三十四歳になった。高校を卒業した凪はそのまま四ツ谷の営む霊媒師の事務作業をしている。と言っても客は疎らで、専ら家事などの雑務を担当している。
客が来ないと経営は傾き火の車かと思いきや、何とかなっている。どこから金が入ってきているのか聞いた所、にっこりと笑って「内緒」と言われたのでそれ以降質問していない。違法な事業に手を出していた場合は自分は知らなかったと証言しようと心に決めている。
「凪君、昼ご飯何?」
四ツ谷は腕をぐるりと回る特徴的なタトゥーが描かれている手を上げて質問をしてくる。手のかかる子供みたいだと呆れながらスーパーで買って来た商品へ視線を落とした。
「夏野菜のカレーです」
「福神漬けある?」
「あります」
やったあ、とはしゃぐ四ツ谷を置いて台所へ向かうと調理に取り掛かった。
四ツ谷との八年で家事は完璧に覚えた。ここへ来た当初は何もできなかったのに料理もレシピを見ずに作れるくらいには成長した。
八年の間で、両親からの連絡はなかった。祖母は凪が四ツ谷の所へ行っているのを知っているので、連絡を取ろうと思えばとれるはずだ。それが無いと言うことは、凪の予想していた通り引き取る気が無かったのだろう。それをショックだとは思わなかった。
今はわりと充実しているので、両親の所へ戻らなくて良かったとすら思う。
「出来ました」
出来立てのカレーを事務所の机に置く。本来は依頼者と話をするときに使うのだが、広くて使い勝手が良いのでご飯を食べる時に使う方が圧倒的に頻度が多い。
向かい合わせに座り、手を合わせる。
一口カレーを口にして四ツ谷はすぐに「美味しい」と頬を緩める。
「それはよかったです」と返しながら凪は咀嚼する四ツ谷を観察するように見つめた。出会った時から怪しさ満点の見た目をしていたが、歳を重ねる事に磨きがかかっている気がする。顔はとても整っている。彫りが深く垂れ目が特徴的で外を歩くと時々ナンパをされているのだが、大体声をかけてくるのは夜の雰囲気を纏った派手な女性ばかりだ。腕のタトゥーもそうだが、怪しい雰囲気が滲み出ているのだ。スーツ姿でにやりと笑うと極道にかしか見えない。
何故、この男が凪を引き取ってここまで育ててくれたのか分からない。優しいので、可哀想な子供に同情しただけの可能性もなくはないが、それだけだろうか、という疑問を八年間抱き続けている。
基本的に四ツ谷は何を考えているのかわからない。価値観も世上からずれている。
高校時代の凪が就職で悩んでいたら「働かなくてもいいで」とにこやかに言ってきた。散々悩んで事務所に就職を決めたのは「凪くんおらんと困る」という四ツ谷の一言があったためだ。
それが正しい選択だったのかは、分からない。
「どうしたん、夏バテ? 冷房下げる?」
ぼうっとしていた凪に気付いて声をかけてきた四ツ谷に首を横に振る。
「いえ、いいです。大丈夫です。下げないでいいですって」
リモコンを取ろうとする四ツ谷を止めるため立ち上がった。
こんこん、と事務所の扉をノックする音が部屋に響き、凪と四ツ谷は一斉に扉の方を見た。
「誰ですかね」
四ツ谷が首を傾げる。何かを通販した記憶もない。依頼人は電話で相談を受けることが多く、事務所を訪ねてくるものなんていない。と思った時、一人の青年が頭に浮かんだ。
答え合わせをするかのように了承もしていないのに扉が開いた。
「こんにちはー、四ツ谷さんいます? あ、凪もいるじゃん」
そう言いながら事務所に入って来たのは事務所の隣にあるボロアパートに住むフリーターの仲田悠馬だ。悠馬は凪の高校時代の先輩で、隣に住んでいることもあって良く食事を共にしている。痛みが酷い金に近い茶髪にダボついた服装のせいで軽薄な印象を与えがちだが、面倒見がよく凪の第二の相談相手でもある。
「悠馬君、どうしたん。またご飯食べに来たん?」
「カレーで良いならありますよ」
いつものように食事に来たのかと思い、台所へ向かおうとしたのだが、それを悠馬は止めた。
「いや、今日はたかりに来たんじゃなくて、見て欲しい物があって来たんだよね」
悠馬は背負っていた鞄からノートパソコンを取り出した。
にやついた悠馬の顔はいつも通りなのだが、どこか口が引きつっている気がして凪たちは顔を合わせた。四ツ谷に着いて回っているので何度か怪異に関しての仕事をしたから分かる。悠馬は何か隠している。
「まぁ、とりあえず食事が先や。昼間食べた?」
「まだだけど、夏バテかな、あんまり食欲ないんだよね」
笑っているが、悠馬の笑顔はやはりどこかぎこちない。
凪達は食事を一旦中止して、悠馬のパソコンの画面を覗き込んだ。
「俺さ、最近ユーチューバ―の編集の手伝いしてるって話したっけ? この『あかほしこチャンネル』っていうユーチューバ―グループなんだけど知っている?」
画面に表示されたのはとあるユーチューブチャンネルだ。男性三人、女性二人の五人グループらしく、動画のサムネイルと呼ばれる、所謂表紙画像では大げさな表情をとった五人が映って居る。
「知らない」
凪も四ツ谷もネットを殆ど触らないので、ユーチューバ―など全く詳しくない。登録者が五十万人と書いてあるが、凄いのかどうかも分からない。
「二人って動画とか見ないもんな。まぁ、詳しいことはいいや。俺がこの人達の動画の編集しているってことだけ知っといて」
「編集って……この動画を悠馬君が作ったってことですか?」
「うん、まあね」
ふふん、と悠馬が得意げに笑う。
「今は素人でも簡単に動画編集できる時代なんだよ。それで、見て欲しい動画なんだけどさ」
悠馬はパソコンを操作し、一つの動画を表示させた。
それはまだ投稿されていない動画だった。
「あかほしこチャンネルって、五人で色々するエンタメグループなんだけど、夏になると心霊関係の動画をあげるんだ。心霊スポットに行ったり、お祓いしてもらう動画あげたり」
「心霊スポット行く馬鹿って大学生以外にもいるんやね」
四ツ谷が馬鹿にしたように言う。
お祓いを生業にしている四ツ谷は態々心霊スポットに行く人間を愚かだと思っており、例え依頼者を前にしても馬鹿にした態度を崩さない。それに凪は苦笑を零しながらも共感している。自分から危険に飛び込んだ挙句に憑りつかれるなんて馬鹿以外のなにものでもない。
「そうだね。でも心霊動画って再生数が伸びるからやめられないんだよ。それに行くのは廃墟とかじゃなくて普通に車が通ってるトンネルとか公園とかだから」
編集をしている身だからか悠馬はフォローするように言った。しかし、四ツ谷の生業を知っているのでその表情は叱られた子供みたいだ。
「それで、今回はトンネルに行ったんですか?」
「いや、違う。今回は裏方の一人の地元」
とりあえず見てくれと悠馬は動画を再生させた。
画面に映ったのは、ユーチューバ―の五人だ。街頭がないのか全体的に暗く、表情が見えづらい。リーダーらしく中央に立つ男が心霊スポットの説明をした。裏方の地元で、曰く付きの場所らしい。詳しい地名は伏せられた。街頭の少なさと微かに入っている虫の声からかなり田舎だと分かる。
「では、向かって行こうと思います」
リーダーの男は楽しげだが、他のメンバー特に女性は怯えた様子で辺りをきょろりと見渡している。
「ええ、怖いよ。皆で行くの?」
「皆で行きます! 裏方の話では祠みたいなものがあるらしいので、それを見て帰ろうかな」
文句を言いながらもリーダーの言葉に従い、歩いて行く。
「この動画誰が撮ってんの? 悠馬君?」
「いや、俺は行って無い。動画はこの場所を教えた裏方が撮っているやつ」
動画には五人全員が映り、怯えた表情を向けたり、微かな物音で大げさに驚いたりしている。
「うわ、草やば。ここに入るの?」
「ええ、やだあ。待ってていい?」
「いいわけないじゃん。ほら、行くぞお」
相変わらず画面が暗いのでどこを歩いているのか分からないが、音声から察するに森などの草が生い茂っている所へ入っているらしい。がさがさと草を分け入る音がする。文句を言いながらも女性達が入って行くのが辛うじて分かった。
「こんなに暗くて動画的に大丈夫なんですか?」
浮かんだ疑問を素直に口にすると悠馬は苦々しく顔を歪めて首を振った。
「普通なら、駄目だね」
悠馬の呼吸が震えているのに気づき、凪は戸惑いながら画面に視線を戻した。
「どうした?」
動画の中ではメンバーが足を止め、振り返っていた。その視線はカメラの画面に向けられている。
「あ、あ、あの」
カメラの近くから発せられた声が動画に入った。動画の撮影者が怯えているのが声だけで伝わって来る。
「や、やっぱり、止めよう」
「は? ここまで来て帰れないって」
リーダーは苛立った様な声で言う。
「でも」
それでも撮影者が渋るとリーダーは舌を打ち、自身のスマホを取り出すと一人で撮影を始めたようで画面に喋り出し、一人で先に進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って、駄目だよ」
リーダーに続き、メンバーが同じようにスマホを取りだして中に入って行く。
悲壮感溢れる撮影者の声だけが聞え続けている。
何だか可哀想な動画だな、と凪が思っている横で、四ツ谷が黙ってることに気が付いた。四ツ谷はテレビを見ている時に画面に話しかけるタイプなので茶々を入れながら見ると思っていた。相談事だから真剣に見ているのかとちらりと視線を向け、眉間にしわを寄せた険しい表情を浮かべていたので驚く。
どうしたのか、と問いかけようとした時。
「――くん」
微かに何か聞こえた。
反射的に画面に視線を戻す。画面は未だに真っ暗だが、撮影者の「え?」という戸惑いと怯えの混じった声が聞えて来る。
「――くん」
また、何か聞こえた。それに被さるようにがさがさがさがさと草を掻き分ける音が前方から聞こえてくる。
「み、みんな?」
撮影者が怯えた声がした。
その途端、がさがさと何かを探るように動いていた音が、一瞬止まり標的を定めたようにカメラの方へと近づいてくる。
撮影者は恐怖で動けないだけなのか、それともカメラマンとしての意地か、微動だにせず草むらの暗闇を写している。
暗闇の中から、すうっと何かが見えた。白っぽい、何か。
――女の顔のように見える。
それは、ひどく既視感がある光景だった。
「ひっ」
撮影者と凪の悲鳴が重なる。
凪は一歩後退り、撮影者は悲鳴を上げて逃げ出した。つんざくような悲鳴が事務所に響く。動画は延々と暗闇と撮影者の荒い息づかい、そして足音を映している。
ふと、その足音が二重になっているのに気が付く。
ばたばた、と砂を踏みしめる音に続き、とんとんと駆け寄るような音がしている。
何かが、追ってきている。
撮影者がそれに気付いたのかはわからない。少しして動画はぶつりと切れた。
「こんな感じ、なんだけど」
動画が終わり、悠馬がそろりと顔色を窺うように凪達を見た。
「怖かった? やっぱり変なもの映ってたよな?」
怖いなんてもんじゃない。
凪は視線を動かすことすらできないぐらいの衝撃に襲われていた。
草むら、がさがさという音。白い女のような顔。既視感がある光景は、四ツ谷と出会った集落の丘と呼ばれる場所で遭遇したものに酷似していた。
「ここの地名は?」
四ツ谷の問いに悠馬は戸惑いながらも答えを口にした。
それは、丘があるあのの名前だった。
「はぁー」
名前を聞いた四ツ谷が大きく息を吐き出し、自身の額を撫でた。
「ど、どうした?」
「どうしたちゃうわアホ」
悠馬の言葉に不機嫌そうに返した四ツ谷は、もう一度動画を再生させた。
「この子らどうなったん? 死んだ?」
「生きてるよ! この動画の後にみんな車に戻ってきて一緒に帰ってきたよ」
「今、全員と連絡取れる?」
四ツ谷の質問に悠馬の表情が一瞬固まる。
「取れへんよやろ」
「……リーダーが電話に出ない」
ぼそっと呟いたが、すぐに犬みたいに頭を振った。
「でも、皆で帰ってきたし、大丈夫。リーダーいっつも起きるの遅くて連絡帰ってこないこともあるし! だから、なんでもない」
「なんでもなくないから僕んとこ来たんやろ。何があったん?」
悠馬は短く呼吸を繰り返し、何度か瞬きをした後にぎゅうっと拳を握りしめた。
「その、撮影者、友達なんだけどさ、帰ってきてからなんか変で……」
「具体的には?」
「何かに怯えててベッドから出ようとしない。なあ、これなんかやばい感じ?」
悠馬の質問に四ツ谷は曖昧に首を傾けた。
「んー。悠馬君に話聞いただけじゃ何とも言えんな。本人に話って聞ける?」
「多分、いけると思う」
すぐに悠馬が丘に行ったというメンバーに声をかけ、撮影者の家に行くことで話がついた。
