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私を私の好きなように愛して

「私の好きなように愛して」という言葉は、裏を返せば「今まで誰も、本当の私を見てくれなかった」という孤独の裏返しなのだろうか。

世間一般の「愛」の形を押し付けられるのではなく、自分が心地よいと感じる距離感や温度感で愛してほしい。それは、自分の欠損や歪な部分も含めて、まるごと肯定してほしいという究極の理解への願いでもあるではないだろうか。

他人の物差しを捨てて、二人だけの歪な愛の形を完成させようとしている、そんな共犯的な感覚。

自分自身を愛しきれないから、せめてあなただけは、私の望む形で私を肯定してほしい。

自分を愛する(自己肯定する)というのは、口で言うほど簡単ではない。自分の嫌なところ、隠したいところを一番知っているのは自分自身だから。
だからこそ、せめて「自分以外の誰か」の瞳に映る自分くらいは、自分の理想とする形で肯定されていたい。

​その切実さは、決して弱さではなく、人間らしい愛への純粋さ、欲望なのだと思う。
「自分では愛せない自分」を一旦相手に預けて、相手の目を通して自分を愛し直そうとする、一種の再生のプロセスなのかもしれない。


雨上がりの湿った夜、静まり返ったホテルの部屋。
微かなノイズと、空気清浄機の規則的な音だけが響く空間。
彼女は鏡越しに彼を見る。
自分の内側のささくれだった、隠しきれない歪さを知っているのは自分だけ。
​自分を愛そうと試みては、そのささくれの端で自分を傷つけてしまう。
だから彼女は、自分に触れるのが怖い。

自分を愛するのは、正直ひどく疲れる作業だ。
期待しては裏切られ、鏡を見てはため息をつく。
鏡に映る自分は、どこか歪んでいて、なにが正解かすらもわからない。

​彼女は、静かに隣に座る彼の手を取り、自分の頬に添えた。
「私が私を嫌いな理由を、あなたが私を好きな理由にすり替えて。私が『醜い』と思うこの心のささくれを、あなたは『愛おしい』と触れて。」
彼は困ったように笑う。
そして、彼女が忌み嫌うその「歪さ」を、まるで壊れ物を扱うような手つきで、ゆっくりとなぞり始めた。
偽りの完璧さではなく、「歪なままの私」が、彼の腕の中だけで肯定されていく。

夜の静寂の中で、彼女は自分の呼吸が少しだけ深くなるのを感じた。


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