疎遠になることが、嫌いの証拠とは限らない|カーテンの端に、光が漏れていた夜に
「あの人、急に連絡をくれなくなって。もう嫌われたと思っていたんです」
相談室で、その言葉を受け取ったとき、耳の奥で何かが静かに止まった。
嫌われた。
その解釈が、こんなにも自然に出てくる。
離れることと、拒絶することが、同じ引き出しに収まっている。
私にも、似た時期があった。
ある関係から、少しずつ間を開けていったことがある。
嫌いになったわけではなかった。
近くにいるほど、知らないうちに相手を傷つけてしまう気がした。
疲れが言葉の端ににじんで、それが怖くて、一歩引いた。
でも後から、自分でもわからなくなった。
あれは逃げだったのか。
冷たさだったのか。
夜、部屋のカーテンを引くことがある。
光が多すぎるとき、今の自分が受け取れる量に、絞りたくなるとき。
そのとき、端から細い光が漏れていることに気づいた。
完全には閉まっていなかった。
それでいいと思った。
カーテンは、外を遮断するためにあるのではなく、
今夜の自分に合う光の量を、静かに調整するためにある。
端から漏れていても、ちゃんとその役割を果たしていた。

人との距離も、少し似ているのかもしれない。
連絡を止めることが、嫌いになった証明とは限らない。
言葉を持ちすぎているから、口を閉じていることがある。
近づくほど傷つけてしまうと感じて、一歩引いていることがある。
沈黙は、今の自分に扱える距離を、静かに探している時間であることがある。
相談室で、もう少し話を聴いた。
その人は、連絡が途絶えた相手のことを、今も心配していた。
怒っているのではなく、心配していた。
心配できる人が、嫌われることを恐れている。
その沈黙の中にも、何かが残っていた。
離れた側の人間が、どんな夜を過ごしていたかは、外からは見えない。
カーテンの向こうに何があるかは、引いた本人にしかわからない。
完全には閉じていなかった。
端から、光が漏れていた。
離れることを選んだあの夜が、冷たい選択だったかどうか、今もまだわからない。
ただ、あのカーテンの向こうに、光が入り続けていたことは知っている。
ゆきの

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