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正しいと思うのに、何かが残る夜に|傘の下でも、濡れることがある

こんにちは、ゆきのです。


「それは正しい判断だったと思う」と言われた夜のことを、
今も時々思い出します。


言葉は確かだった。
間違っていなかった。

それなのに、電車に乗ってからも、
首筋のあたりに何かがうすく残っていました。

重さというより、ざらつきに近い感覚として、
まだそこにあった。


その言葉を届けてくれた人は、悪くありませんでした。

親切だった。
考えてくれていた。
私の話を、きちんと聞いてくれた。

それでも、帰宅してから首筋を指先でそっと触れると、
まだ少し固いままでした。

正しい言葉を受け取ったのに、何かがほどけていなかった。


「あなたの判断は間違っていない」。

その言葉は、頭のどこかにちゃんと着いていた。

正しいと、わかっていた。

でも、胸のあたりはまだ何も受け取っていなかった。


安心、というものが。


正しいとわかることと、安心することは、同じではなかった。

 


正しさは、傘のようなものでした。

差し出してもらった。
受け取った。

傘の下にいるのに、
それでも、まだ守られていない感じがした夜でした。


傘が間違っているのではない。

ただ、守られていない場所が、
傘の外にあっただけのことでした。


私が欲しかったのは、
「それでいいよ」という感触だったのだと思います。

正しかったかどうかより先に。

「あなたが今日、それを選んだことを、
そのまま受け取った」という、その感触。


時間が経ってから、
正しさと安心は最初から別々の場所へ向かっていただけだとわかりました。

そう気づいてから、あの夜のことが、
少し違う形で思い出せるようになりました。


電車を降りてから、首筋に、ふと指先が触れました。

正しさは確かにそこにあった。


ただ、それとは別に、
首筋がまだ少し固かった。



ゆきの
 



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