「居場所」~不登校のわが子が教えてくれたこと~
止まった足と、動き続ける場所
これまで自己紹介記事をのぞき、全8回にわたって、わが子が不登校に至るまでの葛藤や、オランダでの価値観の転換について書いてきました。今回からは新シリーズとして、その経験を経て、私たちが今どのような「居場所」を地域に、そして家庭に創ろうとしているのか、その歩みを書いていきたいと思います。
時計の針を少し戻します。わが子たちが不登校になる少し前、2022年の秋に始まった「遊び場 & ランチ」の活動。それは、わが家にとって単なる週末のイベント以上の意味を持つようになっていきました。
それは2023年。長男、そして次男と、次々にわが子の足が学校に向かわなくなった時のことです。
朝、起きてはくるものの食欲がなく食べることもできない。玄関で座り込んでしまう。ついには眠れず、みるみる痩せていくわが子。追い討ちをかけるように学校からの電話に怯える日々。
少し体調が回復してきていた妻さえも、学校との電話のやり取りや、家庭訪問で疲弊していきました。教員である私には、学校側の「マニュアル通り」な対応の意図がわかってしまいます。しかし、それがかえって妻を追い詰めている現実。理解できるからこそ辛く、対応を控えてもらうことはできないものかと学校へ相談する日々でした。
そんな重い空気が立ち込めていた時期、私たちが唯一、外の世界と繋がっていられたのが、自分たちで作り上げたこの「遊び場」でした。
地方の孤立を破る「集いの場」
私たちは地方に住んでおり、近所に年齢の近い子どもがほとんどいません。友だちと遊ぶには、親同士が連絡を取り、車で送迎をしなければ成立しないのが現状です。不登校になると、その「連絡を取る」気力すら削がれ、親子ともに孤立しがちです。
だからこそ、月に一度の「遊び場」の存在は本当に大きかった。
子どもたちはその日を心待ちにし、グラウンドに来れば、地域も学年も違う様々な子たちに会って、思い切り遊ぶことができる。
「次はいつ?」「ランチはどんなお店を呼ぶの?」
わが子たちから積極的な発言が出ること自体が、この場所が彼らににとっての「希望」であることを示していました。
「お父さんがよく笑ってて楽しそう」
不思議なことがありました。 学校の登校を拒否する子どもたちが、遊び場の日だけは、自ら着替えてグラウンドへ向かうのです。
そこで私は、わが子から衝撃的な一言を聞かされました。
「遊び場の講師としてのお父さんは、普段の家とは違う」 「あの時のお父さんがよく笑ってて楽しそう」 「他の子たちにやさしく笑いかけるように、うちでもしてほしい」
私は、わが子に対し常に「何とかしなければ」「正しい道に戻さなければ」という焦りを抱えていました。家では「教員」としての厳しい眼差しを隠せず、無意識に彼らをジャッジしていたのかもしれません。
しかしグラウンドでは、私は教員でも父親でもなく、ただ「一緒に遊ぶ人」。失敗してもいい、できなくてもいいと、心から笑って楽しんでいた。わが子たちは、その余裕のある父の姿を見て、ようやく心を開いてくれたのです。
「ただ、一緒に楽しく笑っていること」 父としてできる最大限のことが、それまでの私には全くできていなかったのだと気づかされました。
誇りを取り戻す「見本役」
この場所が彼らにとって重要だったもう一つの理由は、「自己肯定感」です。
運動の専門家として、私はよく子どもたちに色々な動きの見本をさせました。わが子たちも、みんなの前で見本役を任されることがとても嬉しかったようです。
既存の少年野球チームの見学では、「指導者の声が大きくて怖い、怒っているみたい」「練習日が多すぎる」と拒絶した彼ら。でも、この遊び場では違いました。学校という舞台を降りても、ここでは自分の身体と個性が認められる。その「やってみよう」という意欲そのものが評価される空間でした。
居場所が居場所を呼ぶ繋がり
活動を通じて、人の繋がりも広がっていきました。 同級生のヨガ講師の家庭とは、お互いの家に泊まりに行くほどの交流が生まれ、ランチの後に参加者がわが家に集まって夕方まで遊び続ける、二次的なコミュニティもできました。
さらに、妻のインスタグラムでの発信が、予想もしない大きな繋がりを連れてきてくれました。 かつて私が部活動指導に打ち込んでいた頃に知り合った方が、その発信を見て連絡をくれたのです。その方もまた、車で2時間ほど離れた場所で「子どもたちのためのスポーツの場」を提供されていました。
「そちらの活動にぜひ参加したい」
そう言って、なんとマイクロバスや保護者の方の車を連ねて、総勢30名もの親子が私たちのグラウンドに駆けつけてくれたのです。遠く離れた場所で同じ志を持つ仲間と、その子どもたちが一緒になって笑い、動く。その光景は、私たちが孤独ではなかったことを証明してくれました。
子どもたちは学校に行かなくなってからも、この活動には参加し続けてくれました。だからこそ、今日まで続けてくることができたのだと思います。
学校という枠から外れても、笑顔になれる場所は自分たちの手で作れる。オランダで目にした「全員が主役のスポーツ」の理想は、実はあの秋、日本の小さなグラウンドですでに始まっていたのです。
(つづく)
次回予告
次回は、体育教員である私が、この経験を経て「日本のスポーツ指導や学校体育」にどのような疑問を抱くようになったのか、専門的な視点から切り込んでいきます。
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