体育教員が問い直す、日本の部活と学校体育。〜オランダで見た「補欠ゼロ」の衝撃と、勝ち負けが奪う笑顔〜
はじめに
前回の記事では、不登校になったわが子たちが、自分たちで作った「遊び場」でだけは笑顔を取り戻したエピソードをお伝えしました。
「お父さん、そっちの方が楽しそうだよ」
わが子のその言葉は、20年以上、日本の学校体育と部活動の現場に身を置いてきた私にとって、何よりも重い「突きつけ」でした。今回は、体育教員という立場から、なぜ日本のスポーツ現場が子どもたちを追い詰めてしまうのか。昨今ニュースを賑わせている体罰やいじめ問題の根底にあるものについて、切り込みたいと思います。
「一握りの勝者」と「大量の脱落者」を生む「負けたら終わり」の文化
日本の部活動や少年スポーツの世界では、今もなお「勝利至上主義」が根強く残っています。その象徴とも言えるのが、日本の圧倒的な「トーナメント(勝ち抜き戦)文化」です。
多くの大会がトーナメント形式で行われるため、一度でも負ければそこで終わり。この「負けたら次がない」という極限のプレッシャーが、指導者の焦りを生み、子どもたちへの暴言や体罰、さらに「勝てる子」だけを使い続けるメンバーの固定化を招いています。
100人以上の部員がいても、試合に出られるのは一握り。残りの子どもたちは、暑い日も寒い日も、ただグラウンドの端で「応援」や「球拾い」に時間を費やす。この「補欠文化」こそが、子どもたちの間に歪んだ上下関係を生み、それが「いじめ」という形で噴出することもあります。
大人が勝つために子どもを支配し、管理する。わが子たちが少年野球の見学で感じた「声が大きくて怖い」という拒絶反応は、この「負けられない空気」への本能的なアラートだったのです。
オランダの「仕組み」が守る、子どもの尊厳
オランダのスポーツ現場は、その対極にありました。彼らの基本は「リーグ戦(総当たり戦)文化」です。一度負けても次の試合があり、挑戦が続く。この「次がある」という安心感が、指導者や保護者の心に余裕を生んでいます。
視察した地域スポーツクラブでは、個人の走行距離や活動量をGPSで計測していましたが、それは「追い込むため」ではなく、活動の偏りを防ぐため。さらに、コーチはテンプレートに基づき、実力に関わらず「全員を同じ時間だけ試合に出す」ことが厳格に義務付けられています。
そこには、日本のような「補欠」という概念そのものが存在しません。負けを恐れず、全員が主役としてピッチに立つ。そのための仕組みが、テクノロジーとルールによって担保されていました。
指導者の「勘」を排除し、「質」を担保する講習
驚いたのは、専用アプリの存在です。人数、年齢、場所、用具などの項目を入力するだけで、科学的根拠に基づいた最適な練習プランが提示されます。これにより、特定の指導者の「経験則」や「独裁」が生まれる隙をなくしています。
しかし、仕組み以上に衝撃を受けたのは、「子どもに関わる大人」への厳格なルールでした。
オランダでは、教師やスポーツコーチ、さらには放課後のケアに携わるなど、子どもに関わるすべての大人に対し、「子どもへの声かけや関わり方」に関する講習の受講が義務づけられています。
日本では教員や保育士の免許は一度取得すればほぼ一生ものです。スポーツの指導者や放課後の活動を支える職員には、公的な講習の義務がないケースも少なくありません。オランダでは、たとえボランティアであっても、「子どもを傷つけない、主体性を引き出す関わり方」を学び続けなければ、その場に立つことすら許されません。人間の「関わり」の質に一切の妥協を許さない。この徹底したセーフティネットこそが、子どもたちの笑顔を守っているのだと痛感しました。
問い直すべきは「誰のためのスポーツか」
不登校になったわが子たちは、既存のチームからは「脱落」した存在に見えたかもしれません。でも、評価や周りとの比較をせず、ただ「動く楽しさ」を共有する私たちの遊び場では、彼らは誰よりも輝いていました。
体育教員として、私は自分に問い続けています。 私たちは、オリンピック選手を一人育てるために、何百人もの「運動嫌い」を生み出していないだろうか。 規律を守らせるために、子どもたちの「もっとやってみたい」という芽を摘んでいないだろうか。
評価という「物差し」の向こう側へ
学校教育というシステムの中にいる以上、どうしても「評価」という壁にぶつかります。どんなに子どもが勇気を持って一歩を踏み出しても、それが「出席日数」や「テストの点数」という既存の物差しに合わなければ、通知表には「空欄」が並ぶ。その無慈悲なシステムが、どれだけ親子を追い詰めてきたか、私は身をもって知っています。
学校という枠組み、勝ち負けという物差し。 それらを一度手放してみたとき、そこには、私たちが忘れていた「純粋に動く喜び」と、子どもたちの本物の笑顔が待っていました。
次回は、今回触れたオランダの体育教育について、なぜ彼らがこれほどまでに「個」を大切にできるのか。数値化できない「子どもの輝き」をどう見つめているのか、その具体的なメソッドや哲学について、さらに深く掘り下げてみたいと思います。
(つづく)
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