高校教員の私が、なぜ不登校の親になったのか?〜「不登校がない国」を求めて:家族でオランダへ渡る決断〜 ♯5
日本の教育現場で見えた「限界」
特別支援教育を学び、「平等ではなく公平な支援」という視点を得た私。しかし、その眼鏡をかけて改めて日本の教育現場を見渡したとき、私は強い不安に襲われました。
一斉授業、固定された学区、そして「学校に来ること」が前提の評価システム。 現役の教員として、そのシステムの中にいながら、目の前の、そしてわが子の置かれた状況を根本から変えるのは、あまりにも困難ではないか。そんな無力感に苛まれていたのです。
「今の日本にある選択肢以外に、子どもたちが救われる場所はないのだろうか」
そう考え始めた私は、むさぼるように世界の教育事情を調べ始めました。
「不登校」という言葉が持つ、日本特有の響き
調べていく中で、私はある重要な事実に突き当たりました。 実は、「不登校」という言葉の概念そのものが、非常に日本特有のものだということです。
もちろん、海外にも学校に行かない子どもは存在します。しかし、多くの場合それは「慢性的欠席(Chronic Absenteeism)」と定義され、病気や家庭の事情など理由を問わず「学びの継続」のために家庭・学校・専門家が早期に連携する対象となります。
米国や英国ではホームスクーリングが制度として定着しており、台湾の「実験学校」やフィンランドの無償の多様な教育機関など、学校以外の学びの選択肢が公に認められています。日本のように「学校に行かないこと=問題・レールからの脱落」と捉えるのではなく、多様な学びの形として社会が受容しているのです。
「学校に行かないこと」自体が否定的に捉えられがちな日本。その受容度の低さが、親も子も追い詰めているのではないか。そう確信した私は、その対極にある国へと目を向けました。
子どもの幸福度世界一、オランダ。
そこはオルタナティブ教育が公教育として認められ、子ども一人ひとりの「個」の尊厳が守られている国でした。
体育教員としての驚き
人口あたりのメダル数世界第2位
さらに体育教員としての私の心を動かしたのが、オランダの圧倒的な「スポーツの強さ」です。 東京五輪のデータによると、メダル獲得数上位25カ国の「人口100万人あたりのメダル数」において、世界一はニュージーランド(4.15個)、そして第2位がオランダ(2.10個)なのです。
日本は0.46個、米国は0.34個。大国が有利とされるオリンピックにおいて、小国ながらこれほどまでの実績を叩き出す背景には、一人ひとりの特性を伸ばす教育があるはずだ。パラスポーツの先進国でもあるオランダの体育教育を、この目で見たいという衝動が抑えられなくなりました。
「最後の砦」への不安と、渡航の決断
一方、わが家の状況は「待ったなし」でした。 長子と第二子が不登校になる中で、一番下の末っ子も幼稚園を行き渋るようになっていたのです。担任の先生の献身的な支えでなんとか通えてはいましたが、その限界はすぐそこまで来ていました。
そんな折に知った、現地の学校を回る「オランダ教育視察研修」。 当初、私は自分のスキルアップのために一人で行くつもりでした。しかし、家庭の閉塞感を打破したいという思いから、妻と相談し、2025年3月末、まだ幼い末っ子も含めた家族全員でオランダへ渡ることを決断したのです。
「外の世界には、君たちのままでも笑って生きていける場所があるんだよ」
不登校になり、家という狭い世界で「自分はダメなんだ」と傷ついている子どもたちに、日本の「当たり前」とは違う、広い世界を見せたい。それは私たち家族全員にとっての「学び直し」の旅の始まりでした。
帰国後の現実と、揺るがない「眼鏡」
2025年4月に帰国。末っ子は小学校へ入学しました。私たちは、少しでも彼o女が楽しく通えるようにと、幼稚園の友達が多く通う学区への転校も済ませていました。
しかし、オランダで自由な空気に触れた彼女にとって、日本の学校の枠組みはやはり窮屈だったのかもしれません。7月には行き渋りもひどくなっており9月1日の始業式に登校して以降、「学校は行きたくない」と言い、末っ子もまた、ついに不登校となりました。わが子三人、全員が不登校。
客観的に見れば、より絶望的な状況に見えるかもしれません。しかし、オランダでの経験と、特別支援教育の学びを経た私の中に、以前のような焦りや否定の心はありませんでした。
私にはもう、子どもたちの「不登校」という現象を「問題」としてではなく、彼らが自分らしく生きるための「選択」として捉えるための新しい眼鏡があったからです。
次回、いよいよオランダ現地で目にした、子どもたちの「自由」と「尊厳」に満ちた光景を具体的にお話しします。
