「40人一斉・同じゴール」の限界 ~現場から問う教育システムの違和感~
※この記事の内容は、あくまで私個人の一意見としてお読みください。教育のあり方については、肯定的な意見や否定的な意見、さまざまだと思います。みなさまからのコメント等でやりとりができれば幸いです。この記事が、これからの教育を考える議論のきっかけになることを願い、綴らせていただきます。
最近、リビングで子どもたちがそれぞれの世界に没頭する姿を横目に、私はnoteを書き始めました。家庭での「正解のない日常」を綴りながら、ふと、毎日立っている教壇の景色に強烈な違和感を覚えるようになったのです。 今回は、一教員として、その「仕組み」の壁について切り込みたいと思います。
1. 40人一斉授業という「無理ゲー」
日本の教室のスタンダードは、今も「40人一斉授業」です。 一人の教員が、40人の生徒に対して、同じ時間に、同じ内容を、同じペースで教える。冷静に考えると、これはかなり無理のある設定(無理ゲー)ではないでしょうか。
ましてや、今の時代、生徒たちの背景は多様です。不登校を経験した子、特定の分野で突出した才能を持つ子、あるいは特性によって「学習に大きな困難」を抱える子。こうした多様性に対応するためにICTの活用が叫ばれていますが、現実は過酷です。
40人のクラスに担当は私一人。「ログインできません」というヘルプに追われ、一人の画面をチェックしている間に、他の39人の学びが止まる。これを同時に行うのは、人間の処理能力の限界を超えています。 「多様性を認めよ」という理念と、「一斉授業・一律評価」という管理。この矛盾を現場のマンパワーだけで解決しようとするのは、まさに構造的な「無理ゲー」です。
2. 校長は「経営のプロ」。役割を分担する合理性
この行き詰まった状況を突破するヒントはどこにあるのか。オランダの学校視察で、私は日本との決定的な「発想の違い」を目の当たりにしました。
日本の教育現場は常に「足し算」です。新しい課題が見つかるたびに、各校が自前で解決しようとし、教員の役割を増やし続けます。一方、オランダの合理性を支えていたのは、「校長は経営のプロ」という明確な分業でした。
オランダで校長職に就くには、公的に定められた職業基準(Professional Standard)を満たし、専門の登録機関への登録が義務付けられています。民間出身者の場合、1年間にわたる高度なマネジメント研修や、厳格な能力評価(アセスメント)をパスしなければなりません。
さらに、一度就任すれば安泰ではなく、数年おきに自身のスキルアップを証明し、登録を更新する必要があります。こうした「経営のプロとしてのハードルの高さ」があるからこそ、現場の教員とは異なる視点での大胆な決断が可能になるのです。
3. 「持たない」という選択。地域全体を学校にする工夫
経営のプロがトップに立つことで、オランダの学校は「自前で抱え込まない(引き算の)」運営を実現しています。
街を運動場に: オランダの学校には、日本のような広い自前の運動場がありません。その代わり、街の広大な公園を活動の場にします。公園には動物が飼育されていたり、レンタル畑があったりと、多様な人々が日常的に出入りしています。体育館のみを校内に持ち、外の活動は社会のリソースに預ける。この境界線のなさが、学校を閉鎖的な空間から解放しています。
施設の共有: 「1校に1つの体育館」という固定観念を捨て、一つの建物を2校でシェアして維持コストを抑える工夫も。
部活動は「外部」へ: 日本の教員を疲弊させる大きな要因である「部活動」は、学校の役割ではありません。地域には「総合型地域スポーツクラブ」が高度に発展しています。
私が視察したユトレヒトの総合型クラブ「SV Kampong」は、会員数が約6,500名に達する巨大なコミュニティでした。広大な敷地には、サッカーやホッケーのコートがそれぞれ何十面と並び、8歳から80歳まで、まさに子どもから大人までが同じ場所でスポーツを楽しんでいます。「楽しむクラス」や「競技クラス」など、目的別に細かくクラス分けされており、自分のスタンスに合わせた場が用意されています。
「すべてを自前で揃え、教員がすべてを担う」ことを手放し、地域のリソースを共有(シェア)する。この判断が、教員のエネルギーを「目の前の子ども」へと集中させていました。
4. オランダで見つけた「仕組み」の可能性
オランダの教育が素晴らしいのは、こうした「経営の自律性」と「リソースの最適化」があるからこそ、次のようなことが「当たり前」の仕組みとして機能している点です。
「共有」することで、一校では抱えきれない豊かな環境(公園や巨大クラブ)を手に入れる。
学年を超えて、自分のペースで学ぶ。
自分の興味に合わせて、学校やカリキュラム、スポーツのクラスを自ら選ぶ。
もちろん、日本とオランダでは文化も歴史も違います。しかし、「すべてを自前で抱え、一律に」という日本の足し算の仕組みが、もはや限界を迎えているのは事実です。
結びに:仕組みを変えるための「最初の一歩」
令和8年度に開設する「通級指導教室」は、まさにこの強固な一斉教育の仕組みの中に、わずかな「引き算」や「個別の余白」を作る挑戦でもあります。
40人の集団に馴染めない子を、無理に集団に戻すのではなく、その子がその子らしく学べる「仕組み」を、まずは私の目の前の現場から作っていきたい。
教育の大きな仕組みを変えるのは時間がかかります。でも、こうして違和感を言葉にし、「所有から共有へ」といった新しい視点を提案し続けることが、いつか大きなうねりになると信じています。
(つづく)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この記事を読んで、「確かに日本の教育ももっと引き算が必要かも」「現場としてはここが一番苦しいんだよね」など、感じたことがあればぜひコメントで教えてください。みなさまとのやりとりが、これからの教育を考えるエネルギーになります。
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これからも現場のリアルな視点から、新しい教育のあり方を探っていきたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。
