高校教員の私が、なぜ不登校の親になったのか?〜私の「教員モード」が家庭を追い詰めた日〜 ♯2
前回までのおさらいと、本日のテーマ
前回、妻の体調不良による家庭の危機、そしてその回復と同時期に長子の行き渋りが始まった経緯をお話ししました。現役教員である私は、長子のSOSに対し、表面的な問題(補習やクラスのいたずら)だけを処理し、「これで解決した」と思い込んでしまいました。
しかし、長子が本当に求めていたのは、問題解決ではなく、疲弊し切った父親からの心の余裕と安心感だったのです。
本日は、長子の不登校が決定づけられた背景にある、私の**「部活狂い」の教員生活と、最大の過ちである「不登校=学校復帰」という固定観念**が家庭をどう追い詰めていったかについて、自己批判を込めて深掘りします。
「部活いのち」から抜け出せない私
妻の体調不良を機に、私は全日制から定時制への勤務変更を余儀なくされました。これは、部活動に文字通り「いのち」をかけていた私にとって、大きなアイデンティティの喪失でした。
全日制時代は、朝早くから夜遅くまで部活漬け。平日自宅を出るのは6時、帰宅は22時過ぎという生活。土日祝日は遠征か練習試合。生徒の成長のためと信じ、自分の時間も家族の時間も削り続けていました。当時の私にとって、部活の成功こそが、教員としての価値であり、人生の軸そのものだったのです。生徒のためという鎧を纏い、朝練したいという生徒のため7時から朝練、残って練習するという生徒のため21時まで残ることを続けていました。
定時制に移り、物理的な拘束時間は減りましたが、私の思考は依然として「教員モード」から切り替わりませんでした。家庭が大変な状況にあっても、心の中では「目の前にいる生徒のため」という思いがあったのです。今振り返ると、優先順位が1位:勤務先の生徒、2位:わが子となってしまっていたのだと思います。
最大の過ち:「不登校=復帰」という固定観念
家庭での多忙な日々は、私から心の余裕を奪いました。家事・育児・看病をこなす中で、私はいつの間にか、家庭内の問題に対しても**「教員」としての合理性と正論**を振りかざすようになっていました。
その中でも最も決定的な失敗は、長子が行き渋り始めた瞬間から、**「不登校の解決=どうにかして学校に行かせること」**と決めつけてしまったことです。
私の中の思考: 「担任の先生と話して補習は取りやめた。いじめも対応すると言っている。問題点は明確に解消されたはずだ。**合理的ではない。**だから、復帰の方法を考えなければ。」
長子に対しては、「先生(私)はこんなに心配しているのに」「補修もないし、イタズラも無くなったようだ。そろそろ行けないか?」といった、教員が生徒にかけるような突き放す言葉を投げつけ続けました。長子の「心」を見るのではなく、学校に復帰させるための「手段」ばかりを考えていたのです。わが子の心に寄り添うことは全くできていなかったのだと思います。
第二子を追い詰めた、父親の弱さ
長子の行き渋りが始まって以降、家庭の空気はさらに重くなりました。当時、小学1年生だった第二子は、寂しそうに一人で登校する日々が約2ヶ月続きました。地方のため、近所に一緒に通う子もおらず、一人で歩いて登校するのは難しそうだったので、毎日車で送迎しました。
門の前で「お兄ちゃんは?」と聞かれるたびに、私がどう答えていいのか迷っていると、第二子は静かにうつむいていました。
この時、私たちは第二子、三子には「長子は、行きたくても行けない病気である」と伝えていました。ただ、一年生の第二子にとっては元気な長子を見て、「なぜ?」という思いがずっとあったようでした。
私も内心、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、口から出るのは「あなたは行くんだよ」という、これまた正しさに逃げた言葉でした。長子を休ませている後ろめたさから、第二子だけはきちんと学校に通わせなければならない、という強迫観念に囚われていたのです。あの時、寂しさを抱えて登校する第二子に寄り添えなかったことも、大きな間違いだったと今は思います。
私は長子、第二子に対して、苦しみ悩んでいるその心に全く寄り添えていませんでした。
妻の怒り:教員による「仕事」のような我が子への対応
長子の不登校は、最終的に私の教員としてのプライドが崩壊する瞬間を招き、家庭の崩壊を決定づけました。
登校を拒否する長子に対し、私の口から出たのは「とにかく学校に行きなさい」という、最も言ってはいけない正論でした。長子は静かに、しかしはっきりと、私から目を逸らしました。その日を境に、長子は完全に私との会話を避け、妻としか心の内をさらけ出すことはありませんでした。
この時、ついに妻の怒りが爆発しました。
妻は、子どもたちの小さなSOSに気づきながらも家庭の状況から動けなかった苦しみを抱えていました。そんな妻にとって、不登校のわが子に対する私の**「冷静で合理的、仕事のような対応」**は、腹立たしいもの以外の何物でもありませんでした。
妻は私に対し、長子の不登校の背景には**「部活に明け暮れ、家庭に心を向けなかった私への不満」**、そして「家庭の危機の中で『いい子』を演じざるを得なかった長子の苦しみ」があることを、涙ながらに訴えました。
私は反論できませんでした。長子の不登校は、私自身が過去に築き上げた「完璧な教員」という仮面を剥ぎ取り、父親としての無力さと、家庭を顧みなかった傲慢さを突きつける、最大の罰だったのです。
結びに
家庭内の崩壊と、長子の不登校という現実に直面し、私は初めて自分の「教育」が、生徒ではなく、自分の子どもさえも救えないことを知りました。
今振り返るとここまでだけでも絶望的な状況ですが、私自身の誤った対応が
さらにこの絶望的な状況を加速させていきます。次回は、第二子の不登校が始まるまで。さらに、この状況から私たち夫婦がどう立ち直り、「学び直し」に向かうかの過程について書いていきます。特別支援学校教諭免許取得にどう繋がっていくのか。
