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高校教員の私が、なぜ不登校の親になったのか?〜子どもを二人とも失いかけた日:絶望からの「学び直し」へ〜 ♯3


前回まで

前回、長子の不登校は、私の「教員モード」による誤った対応と、「学校復帰ありき」の固定観念によって決定づけられたことを告白しました。教員としての自信は崩壊し、夫婦関係も決定的な亀裂が入り、家庭内は張り詰めた空気に包まれました。

まさに絶望的な状況。しかし、今振り返ると、私の誤った対応は、この絶望的な状況をさらに加速させることになります。

今回は、その後のわが家のさらなる危機、第二子の不登校が始まるまでの経緯、そして、この袋小路から抜け出すために私たちが下した**「学び直し」の決断**についてお話しします。

正しさに固執した父親の末路

長子の不登校が始まって以降、家庭内の空気は「暗いトンネル」に入ったままでした。

長子には「学校に行けない罪悪感」、妻には「私への怒りとどう対応すればいいかの迷い、さらには自らの体調」、そして私には「問題解決できない焦り」「妻も子も体調を崩してしまったと、過去の自分への後悔」がありました。

この状況で、私はまだ完全に「教員」としての振る舞いを捨てきれていませんでした。

妻からは、**「もう、子どもの対応を仕事みたいにしないで」**と幾度も訴えられていましたが、私はどうすればいいのか分からなかったのです。心のどこかで「私が変わらなくても、長子さえ学校に戻ればすべて解決する」という、無責任な期待を捨てきれずにいました。

長子の問題が解決しない間も、私は「父親として、子どもたちの生活を維持しなければ」という義務感から、家事や育児を「こなす」ことに集中しました。この**「問題を直視せず、タスクに逃げる」**行動こそが、長子をさらに孤独にさせ、家庭の崩壊を加速させた誤りでした。

衝撃の瞬間:第二子のSOS

そんな張り詰めた日々が続き、長子が完全に学校に登校しなくなってから間もなく、次の衝撃が襲いました。

それは、寂しさを抱えながらも律儀に登校を続けていた小学1年生の第二子が、ある朝、玄関で立ち止まったことです。

「今日は行きたくない。お兄ちゃんと一緒にいたい」

前回の記事で触れたように、第二子には「お兄ちゃんは休んでいるのに、私は行かなければ」という強迫観念があったのかもしれません。しかし、兄が家にいる寂しそうな登校が約2ヶ月続いたことで、彼の心も限界を迎えていたのです。第二子も長子と同じように、我慢の日々を過ごしていたのだと気づかされます。

実は長子が登校しなくなり、妻は自らの体調のことも踏まえて退職することを決意し、4月からは自宅にて長子と過ごす時間を多く確保していました。食も細くなり、睡眠もまともに取ることができず、やせ細っていく長子を何とかしたいと2人でゆったりと過ごす日々のリズムをやっと見つけ、徐々に長子が回復してきたと感じていました。

「やっと落ち着けるかも」妻と2人そんな話をしていた矢先でした。

私は言葉を失いました。長子を救えないどころか、自分の誤った対応が、今度は第二子の心まで追い詰めてしまった。

家庭内の崩壊と、自分の子どもを二人とも登校させられないという現実。この瞬間、教員としての私の世界は、完全に瓦解しました。

夫婦で迎えた「真の絶望」と、最初の共闘

長子が不登校になった時、私たち夫婦は互いに非難し合いました。しかし、第二子までが立ち止まってしまった時、ようやく私たちは**「誰かを責めても何も変わらない」、そして「これ以上、間違った対応をしてはいけない」**という真の絶望と、ある種の覚悟を共有しました。

夫婦関係は冷え切っていましたが、二人だけになってしまった子どもの前で、「このままではいけない」という危機感だけは一致しました。

そこで私たちが最初にしたことは、「学校に戻す」という目的を一旦捨てることでした。「不登校」という言葉はどうしても「学校復帰」ありきと感じさせます。私たち夫婦も学校に行けていないわが子を、学校に行けるようにするという思いが強かったのです。

まずは、子どもたちがなぜ立ち止まったのか、彼らの**「見えないニーズ」**は何なのかを根本から学ぶ必要がある。自分の経験や教員としての知識は、家庭内では何の役にも立たない。そう悟ったのです。

絶望からの脱出:なぜ「特別支援教育」だったのか?

この「学び直し」の決意が、私を特別支援教諭の免許取得へと向かわせました。

教員である私が、キャリアアップのためではなく、「自分の子どもを理解するため」に学び始める。これは、私にとって教員人生で初めて、「目の前の生徒や子ども」のニーズから出発した学びでした。

なぜ特別支援教育だったのか?

それは、長子が見せていた**「こだわりが強く、少しの崩れも許せない」という性質や、「家庭の状況を察していい子でいようとする」感受性が、単なる「わがまま」や「甘え」ではなく、もしかしたら何らかの発達特性や特性による過緊張**に起因しているのではないか?という疑問が生まれたからです。
第二子は、さらに多動?と思われる行動があったり、癇癪もひどかったため、その理解も進めたいと思ったからです。

特別支援教育を学ぶことで、私は初めて「困難の背景」を構造的に捉える視点を得ることになります。そして、その視点こそが、私自身が過去に学校現場で「問題児」として扱っていた生徒たちへの見方、さらには「部活至上主義」だった私の教育観を根底から変えていく転機となったのです。

次回は、特別支援教育の学びが、長子や第二子の不登校の原因をどう解き明かし、私の教育者としての心をどう変えていったのかを深掘りします。