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いのちよりいのちに伝わる花


言葉への信頼から、
言葉によって、
誰もが本来的自分を認め合い、
素のままでかつ堂々と生きていくことができる社会に向かっていきたい。
優しい社会を広げたい。


大切ないのちからの言葉は
いのちをつくる。
言葉は見えないが、
意味を噛み締めた時、
いのちの尊厳に触れ、
相互に敬意をもちながら協奏する。


誰にでもわかる言葉も、
意味の重なりで、
味わいも変わってくることもある。


「わたしは、わたしとして、わたしを生きる。」
「わたし」に「私」を重ねた時、
「自分を好きになれない私」であったり、
「悩みに挫けそうな私」であったり、
「仕事が上手くいかない私」であったり、
「子育て、教育に悩む私」であったり、
「嫌な思いをさせられる私」であったり、
「痛みを抱える年寄りの私」であったりする。
それでも、生きる。
生きる意味がある。価値がある。
私は私を捨てないで、
私を大切にして生きる。
このような、奥行ある意味が
生成されるのではなかろうか。
言葉の読みの面白いところだと思う。


「あなたとして、あなたを生きる、あなたは、
立派です。」
そう発した、いのちは、
どのような花を伝えようとしたのか。
様々、辛苦も歓喜も真偽も味わったからこその、
傷つけ、傷つけられ、自責も憤怒も経験したゆえ、人間への信頼と敬意と愛を、込めたのではなかろうか。


哲学者、鷲田清一氏は、
「わかりやすいは わかりにくい」と話されていた。


すぐわかることが、いいことなのではなく、
立ち止まり、噛み締めて味わうことの豊かさも、
大切にしたい、と思う。
TALESにて、小説を公開中。
「いのちよりいのちに伝わる花」
登場人物、場面は限定して描いているが、
そうすることで、むしろ普遍性への広がりをと、
受けとめてもらえたら、ありがたい。


ぜひ、最後まで、お読み頂ければ、
これほどうれしいことはない。


読者とともに、
言葉で、優しい社会を広げていきたい。
因みに、「優しい」は、鎌倉時代においては、
「覚悟をもって、〜として在り方にふさわしい振る舞いをする、優れた人」に対してつかっていた。

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